11月9日 樺色
11月9日
樺色
かばいろ
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11月9日 樺色
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夕飯を終え、食器を片付けている最中に電話が鳴った。それは、実家の母からだった。
「横浜のみっちゃんと相談したんだけど、今度の七回忌は11月にってことになったの。週末だけど、こっちに来ることできる?」
祖母が亡くなってから、もうそんなにも時間が経ってしまったのか。
時の過ぎる速さを思わずにはいられなかった。
祖母が亡くなったのは1月だったが、法事というのは前倒しにすることは問題ないらしい。
そして、祖母の兄弟姉妹たちも、それなりの高齢者となっており、寒さの厳しい時期の法事は難しいという判断が働いたようだ。
「もう、蒲やさんもお店を閉めることになったしね。」
蒲や、というのは、祖母がひいきにしていた鰻屋である。
母の話だと、店主も高齢となって体力的に厳しいということと、結局のところ、跡継ぎがいないということで、今年の末には店を閉めることになったという連絡が来たそうだ。
祖母は、いつもニコニコしている穏やかな人だった。
そして、何か良いことがあると、決まって樺やの鰻重を食べに行っていた。
「父さんが好きだったからねえ。」
「父さんって、お祖父ちゃんのこと?」
祖父は、私が生まれる前に亡くなっており、よく知らないのだった。
「そう、もともと、あんたのお祖父ちゃんが鰻好きだったのよ。母さんはそれほど好きじゃなかったはずなんだけど、いつの間にか、お祝い事がある時は鰻ってことになってたのよね。」
もう10年以上前になるが、あれは何がきっかけだったのか、祖母に付き合って2人で樺やへ鰻を食べに行ったことを思い出した。帰り道、大きな人工池のある公園で休憩した祖母は、そこの水辺に生えていたガマの穂を数本失敬したのだ。
「これは、お祖父ちゃんへのお土産ね。」
確か、そう言っていた。
その時は、ガマの穂がお土産なんて、お祖父ちゃんは兎年だったのだろうかと思ったが、どうも、あれは鰻の代わりだったらしい。蒲焼きの蒲はガマの穂のことだというし。
ただ、お墓に供えるには変な花だし、結局持ち帰ったガマの穂はどうなったのか? 記憶ははっきりしないのだった。
写真は、ガマの穂とスイレンのある池。
樺桜の樹皮の色、もしくはガマの穂の色が由来になった赤みの強い茶色。
ガマは蒲の字が充てられるため、「蒲色」という表記が使われることもあります。
昔、鰻は串にさして丸焼きにしていたらしく、それがガマの穂に似ていたようです。




