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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第五章 連合艦隊反撃編

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96 満身創痍のベロルシア

 伊勢の放った第三射は、三発がベロルシアへの直撃弾となった。

 ベロルシア艦上で轟音と共に爆炎がほとばしり、すでに傷付いている彼女の船体が悲鳴を上げるように軋んだ。

 一発目は左舷の舷側装甲に命中し、流石にこれは五度の傾斜がついた三八〇ミリの装甲に阻まれた。伊勢型の搭載する四十五口径三十六センチ砲は、距離二万メートルにて三〇七ミリの垂直装甲を貫通する能力しか持たない。

 二発目は第二煙突の少し前方に命中し、やはり装甲に阻まれつつもベロルシアのメインマストを倒壊させた。

 三発目は艦尾に命中し、そこにあったカタパルトを吹き飛ばすと共に非装甲区画であった隔壁を貫通。反対舷まで飛び出した九一式徹甲弾によってベロルシアに浸水を発生させることとなった。

 そして、ベロルシアの被弾は伊勢からものだけに留まらなかった。

 わずかな時間差で、今度は日向の放った十二発の三十六センチ砲弾が降り注いだのである。彼女もまた、伊勢と同様に第二射にて夾叉を達成していた。

 そして斉射となった日向の第三射は、十二発中二発がベロルシアへの直撃弾となった。

 一発目は艦首舷側に命中。そこは二二〇ミリの装甲で覆われていたものの、九一式徹甲弾は装甲を貫通し艦内にて信管を作動させた。爆発と共にすでに被雷によって損傷していた艦首の防水隔壁がさらに喰い破られ、艦首からの浸水量を増大させる結果をもたらした。

 もう一発は第一煙突に命中し、これを倒壊させている。煙突倒壊による排煙能力の低下が起こったものの、すでに四ノットしか発揮出来ないベロルシアにとっては致命的な損害とはいえない。


「アゴーン!」


 五発を被弾した直後、ベロルシアは伊勢に向けて第二射を放った。一番砲塔から三番砲塔まで、それぞれ一門ずつが一一〇五キロの重量を持つ十六インチ砲弾を放つ。

 その衝撃はもともと不完全な完成度であった船体を大きく揺るがし、さらには被雷や被弾によっていっそう脆くなった箇所に被害をもたらした。

 半ば自滅を覚悟した主砲射撃であったが、アンドレーエフは構わなかった。主砲の射撃精度があまりにも拙劣であることに歯噛みする思いであったものの、かといって反撃しないという選択肢もない。

 この艦には、最期まで戦艦としての戦いをさせてやりかった。

 あるいは、スターリンによる無茶な計画と無謀な督戦命令に翻弄されたベロルシアに、アンドレーエフは自分自身を重ね合わせていたのかもしれない。

 ベロルシアが戦艦らしく主砲を放っていることに満足を覚える一方で、砲弾が命中しないことに悔しさを覚える。政治将校が介入してこないからこそ、純粋な戦艦乗りとしての感情にアンドレーエフは身を委ねていた。

 ベロルシアの被弾は、さらに積み重なっていく。

 伊勢の第四射は後部艦橋を吹き飛ばし、もともと射撃に必要な機材の生産が間に合わず内部が空の後部射撃指揮所を消滅させた。

 日向の第四射は第一砲塔に命中し、砲弾は砲塔前面の四九五ミリの装甲に阻まれたものの、その衝撃は砲塔内部へと伝わり仰俯角装置などを飛散させた。ベロルシアの艦船としての完成度の低さが、ここでも露呈した形である。

 砲塔内部に飛び散った機材やリベットは砲塔要員を死傷させ、仰俯角装置の損傷と合せて第一砲塔を使用不能とさせた。これによって、ベロルシアの使用出来る主砲は六門へと減少した。

 艦首からの浸水も、注排水装置では最早抑えようがないほどに増大を続けている。船体は、それと判るほどに前のめりに傾斜を始めていた。


「アゴーン!」


 それでも、ベロルシアは六門の主砲をなおも伊勢に向けて振りかざしていた。砲口から砲炎と共に十六インチ砲弾が放たれる。

 その姿は、不遇な出自を持つ彼女が、自らが戦艦であることを敵味方の将兵の記憶に刻みつけようとするかのようであった。






 ベロルシアの砲弾は、やはり伊勢から二〇〇〇メートルは離れた海面に着弾した。

 噴き上がる水柱は盛大であるが、結局はそれだけである。


「ベロルシアの乗員は、まだ諦めておらぬようだな」


 射撃精度が極端に悪化しているにもかかわらず、なおも砲撃を続けるベロルシアに五藤存知中将は改めて感嘆の言葉を呟いた。

 見張り員からの報告では、すでに艦首は沈下し、第一砲塔からの発砲も確認出来ないという。つまり、ベロルシアは残った六門の十六インチ砲で応戦を続けているわけである。

 速力も低下した現状では、伊勢と日向の追撃を振り切ることも出来ないだろう。敵の司令官や艦長もここが最期だと悟っているのか、沈没のその瞬間までベロルシアに戦艦としての威厳を保たせようとしているのかもしれない。

 だがその一方で、その姿が五藤には哀れでもあった。

 ソ連の最新鋭戦艦として竣工し、ようやく相まみえた敵戦艦との砲戦で、このような不本意な射撃精度しか発揮出来ないベロルシア。司令官や艦長だけでなく、砲術科員たちの無念さはいかほどであろうか。


「降伏を促しますか?」


 岩淵参謀長が、控え目に進言した。未だ健在なベロルシアの前檣楼には、ソ連海軍の戦闘旗が翻っている。

 あるいは彼も、五藤と同じようにベロルシアの姿に哀れみを覚えたのかもしれない。四十年前の日本海海戦でも、ロシア艦隊の一部が日本海軍に対して白旗を掲げている。


「では、平文と発光信号で、降伏勧告を出せ。それに応じぬようであれば、武士の情けだ、一息に撃沈してやらねばなるまい」


 五藤は自らの参謀長に頷くと、伊勢と日向の水柱に囲まれているベロルシアを見据えた。






 だが、ベロルシアに伊勢からの降伏勧告が届くことはなかった。

 メインマストの倒壊によってすでに十分な通信能力はなく、また伊勢からの発光信号も間の悪いことに視認出来なかったからである。

 この時、ベロルシアの惨状を悟った駆逐艦ストレミーテリヌイとソクルシーテリヌイが、彼女と伊勢、日向との間に煙幕を張り始めていたのだ。これは、アンドレーエフから命令があってのことではない。


「あの二隻も、本艦と運命を共にするつもりなのか」


 アンドレーエフは憤りと悲しみを同時に覚えながら呟いた。なおも旗艦を守ろうとする健気さと、最後の砲戦に水を差されたことへの不快感。

 だが同時に、最早ベロルシアが命中弾を出すことはないだろうことも判っていた。だからこそ、二隻もベロルシアの照準を阻害することを承知の上で煙幕を張り始めたのだろう。

 艦長たちの独断なのか、あるいは同乗する政治将校の指示なのかは判らない。アンドレーエフ自身も、二隻に退避を促す指令を出す時機を逸してしまったことを自覚している。

 ストレミーテリヌイとソクルシーテリヌイには、救助された軽巡ウラジオストク、ハバロフスクの乗員も乗艦している。ここでベロルシアも含めた三隻が撃沈されれば、艦艇としても人員としても、北太平洋小艦隊は全滅だろう。


「もうこれ以上、あの二隻を付き合わせる必要はなかろう。ストレミーテリヌイとソクルシーテリヌイに、ソヴィエツカヤ・ガヴァニへの退避を命じよ」


 いささか遅きに失してしまったことを理解しつつも、アンドレーエフはそう命じた。

 自分の司令官としての役割も、この海戦そのものも、もう終わりだということが理解出来て、どこか虚脱したような感覚が彼の身に襲ってきた。

 艦橋にも、諦観を感じさせる雰囲気が流れている。

 ベロルシアの浸水は増大する一方で、傾斜も主砲弾の装填が不可能となりつつあるほどに深まっていた。

 最早、この艦の最期が近いことを誰もが悟っているのだ。煙幕程度で、敵から逃れられるとは誰一人として思っていない。

 と、その時、艦橋に鋭い声が響き渡った。


「北方より、敵巡洋艦が接近中!」


 見張り員には、どこか悲痛なものが混じっていた。


「昨夜の巡洋艦だろう」


 アンドレーエフは、その敵巡洋艦の正体に思い当たるものがあった。


「最後まで、執念深い敵であったな」


 戦艦を指揮する司令官として満ち足りたとは到底いえぬ心境ではあったが、アンドレーエフは割り切っていた。あるいはそれは、ソ連軍人らしい諦観の積み重ねの末に至った境地であったかもしれない。


「艦長。本艦を、自沈させよう」


 そしてアンドレーエフは、自らの手ですべてを終わらせる決断を下したのであった。

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― 新着の感想 ―
ソ連というか、ロシアの悪いところが全部出た戦いでした。 射撃精度がここまで終わってるなら、零式通常弾で副砲群を全滅させたうえで接舷し、陸戦隊を乗り込ませて鹵獲するのも面白かったでしょうが、そんな判断…
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