93 第七艦隊到着
一九四四年八月二十日、日本海軍第七艦隊とソ連海軍北太平洋小艦隊との間に行われた海戦は、後に「樺太沖海戦」と呼ばれるようになる。
礼文島沖海戦に始まる、日本海軍によるベロルシア追撃戦の最終段階に位置付けられる海戦であった。
この日、戦場となった間宮海峡の天候は荒れ模様であった。
ちょうど大陸側からやってきた低気圧が間宮海峡上空に差し掛かり、未明より樺太近海は雨と南向きの強い風が吹き始めていたのである。
「これは、予想以上に駆逐艦の燃料消費が早いかもしれんな」
艦橋の窓に雨粒が付着するのを見ながら、五藤存知中将は呟いた。
昨日からベロルシアを発見した海域に二十ノットで急行していた第七艦隊は、それまで以上に燃料消費量を増大させている。そうした中で、この天候である。
夏の日本海は冬と違いそれほど荒れる海ではないにせよ、この日は風浪が激しかった。時折、波浪によって伊勢の艦首が隠れることもあるほどだ。排水量三万五八〇〇トンの戦艦であっても、波の影響を免れることは出来ない。
それよりもはるかに小型な八隻の駆逐艦は、ほとんど波の中に艦を突っ込ませるようにして進んでいる有り様であった。
旧式の神風型駆逐艦、睦月型駆逐艦は、それ以降に建造された駆逐艦に比べて航続距離が短い。二十ノットで急行してきた上に、間宮海峡の天候がこのようではさらに消費する燃料は多くなるだろう。
いよいよ、大湊ではなく小樽へ入港することを検討しなくてはならなくなっていた。
「……やむを得んな。航続距離の短い第五駆は、四航戦と九航戦を退避させる意味でも、このまま小樽に向かわせよう」
艦隊を北上させる中で、五藤中将はそう決断した。
第五駆逐隊の朝風、春風、松風、旗風の四隻は神風型駆逐艦であり、その航続距離は十四ノットで三六〇〇浬と、四〇〇〇浬の睦月型よりもさらに短い。そのため、もともと水上戦闘に参加出来ない隼鷹以下五空母を伴わせて、小樽に向かわせることにしたのである。
そうして、第七艦隊は伊勢、日向、名取、菊月、三日月、夕月、卯月の七隻となって進み続ける。
しかし、日の出まで一時間を切る頃になっても、海の状況は収まりそうになかった。
「これでは、駆逐艦による雷撃は困難といわざるを得ませんな」
五藤の傍らで、参謀長の岩淵三次少将もまた海上の天候を眺めていた。これだけ波浪が出ていれば、旧式駆逐艦では波をかき分けるので精一杯だろう。
「本日天気晴朗ならずして波高し、と言ったところか」
日本海海戦の故事を引き合いに出しつつ、五藤はいささか冗談じみた口調で言う。
「とはいえ、我々が海軍として果たすべき役割は四〇年前も今日も変わっておらん。必ずやベロルシアを捕捉し、これを撃沈する」
「はい」
司令長官の言葉に、参謀長も静かに頷いた。
第五艦隊の那智からは、ベロルシアとの接触情報が刻々ともたらされている。流石にこの天候のために連山は千歳基地に帰投せざるを得なかったものの、那智は夜を通じてベロルシアとの接触をほぼ維持していたようであった。
その情報に従って、第七艦隊は進んでいる。
艦隊各艦ではまだ夜が明けない内に戦闘糧食を配り終え、すでに総員が戦闘配置についている。
伊勢、日向の射撃指揮所では、砲術長以下砲術科の者たちが腕を撫して射撃命令が下るのを待っている。
しかし、艦橋から見える海上の視界は雨のために良好とはいえなかった。
これでは、夜が明けたとしても視界は艦橋の高い伊勢と日向ですら一万五〇〇〇メートルもいかないかもしれない。もちろん、悪天候の下では弾着観測機も飛ばせない。
ベロルシアとの砲撃戦に際して、伊勢と日向は水上捜索電探である二二号電探と対水上射撃用電探である三一号電探に頼ることになるだろう。
と、那智からの新たな通信が入る。
「敵艦ノ針路二一〇度。速力四ノット。本艦カラノ距離二万二〇〇〇」
それが、主な内容であった。末尾に自らのおおよその位置も付け加えられた那智の電文から、五藤も岩淵も会敵が近いことを悟る。恐らく、あと三十分もしない内に伊勢の電探は敵影を捉えることが出来るだろう。
「長官、戦闘指揮所に移られますか?」
岩淵からの問いに、五藤は少しの間思案を巡らせた。
戦闘指揮所(CIC)は伊勢の司令塔内部に設けられており、そこは三五六ミリと伊勢で最も厚い装甲で守られた場所であった。
この設備が主要な艦艇に設置されて以降、帝国海軍では戦闘時における効率的な指揮運用を行うためにも司令長官は戦闘指揮所に移ることが望ましいとされている。
五藤としても、戦闘指揮所の有効性は演習などを通じて理解しているつもりである。しかしこの時、この第七艦隊司令長官はあえてそれを選ばなかった。
「いや、私はここで指揮をとる。相手が十六インチ砲搭載戦艦ならば、ここにいようと司令塔にいようと大した差はあるまい」
もちろん、戦闘指揮所が昼戦艦橋よりもはるかに艦隊指揮に適した場所であることは五藤も理解している。
しかし、第七艦隊はすでに旗艦の伊勢を除いて六隻しかいない。戦闘指揮所の設備が効果を発揮するほどの混戦になるとも思えない状況である。
それに、艦橋に被弾した際に司令塔ならば敵十六インチ砲弾に持ち堪えられる可能性はあったが、その衝撃で戦闘指揮所内部の機材は破損するだろう。
そして五藤には、実際に敵艦を視認出来る場所で艦隊指揮をとりたいという欲求もあった。これは、戦闘指揮所の能力を信用していないというわけではなく、単純に戦艦同士の砲撃戦をこの目で見てみたいという海軍軍人としての憧れのような感情から来るものである。
そうしたことから、五藤は昼戦艦橋に留まることにしたのであった。
「長官がそのお心づもりならば」
そして岩淵参謀長も、どこか五藤の決断を歓迎するような調子であった。彼は砲術科出身であるので、水雷科出身の五藤以上に戦艦同士の砲撃戦に強い憧れを抱いていたことだろう。
伊勢艦橋では、夜明けに向かって時計の針が進むにつれて緊張感が増してきていた。
帝国海軍にとっては、第一次世界大戦におけるユトランド沖海戦以来の戦艦同士の砲撃戦となる。日露戦争後、アメリカを仮想敵国としながら対峙してきた敵戦艦はドイツやソ連であるというのは皮肉ではあったものの、戦艦同士の砲撃戦ということになれば海軍軍人として相応の緊張と興奮を覚えるものだ。
「……」
伊勢艦長・阪匡身大佐も、どこか逸るように双眼鏡を艦橋の外に向けている。
向かってくる波を艦首で切り裂きつつ、伊勢は進んでいく。盛大に噴き上がったしぶきのいくつかは、艦橋にまで届くほどであった。
そして、待ち望んでいた報告がついに届けられる。
「こちら電探室。真方位三二〇度、距離三万三〇〇〇に敵大型艦らしき艦影を捕捉!」
それは、〇四五三時のことであった。
まだ日が昇っていない未明の空は、東の端の雲がかすかに陽光を含んでいるかのように灰色に見えるだけで、他は暗く沈んでいる。
電探の探知情報によれば、ベロルシアは那智に追い立てられていたからだろう、間宮海峡入口を南西に向かうように進んでいるという。
「艦隊針路は、なおそのままとせよ」
電探室からの報告を受けて、五藤はそう命じた。
伊勢、日向の主砲である四一式四十五口径三十六センチ砲は、最大射程三万五四五〇メートル。しかし、海面の状況が悪く、視界もまた良好とはいえない以上、命中率を上げるためにもさらなる接近が必要だと五藤は判断したのである。
実際、見張り員は未だ敵艦を視認出来ていない。
伊勢は日向を従えたまま、電探の捉えた敵大型艦に向かって接近を続ける。この艦影がベロルシアではなく那智かもしれないという懸念は、ほとんどなかった。
帝国海軍は、夜戦における敵味方識別のために赤外線を用いた識別装置を各艦に搭載していたのである。これは、主要海軍国において帝国海軍のみが装備する独自のものであった。
その敵味方識別装置に反応がない以上、電探の捉えている艦影はベロルシアでほぼ間違いないだろう。
海面はなお波高く、夜が明けつつある海上には雨の帳が下りている。
伊勢の見張り員がようやくベロルシアの艦影を視認したのは、電探による探知距離一万八〇〇〇メートルを切ったところであった。
その頃には、太陽が雲に遮られつつも日の出を迎えつつあるのだと判る程度には明るくなり始めていた。
「取り舵一杯! 右砲戦用意!」
「宜候! 取り舵一杯!」
ついに視認出来たベロルシアと同航砲戦に持ち込むべく、五藤中将はここに来て初めて転舵を命じた。
舵輪が回され、伊勢の艦首が徐々に左へと振られていく。同時に、六基の主砲塔が右舷へと向けて旋回を開始した。
やがて回頭を終えた伊勢は、舵中央に固定してベロルシアと針路を同じくする。
この時点で、彼我の距離は一万五〇〇〇メートルにまで縮まっていた。
測距儀と電探が敵艦との距離を測定し、その数値が射撃方位盤へと入力されていく。それらに自艦と的艦の速力、針路、風向き、風速などの数値を加えて、射撃諸元を整える。
その諸元に基づいて、各砲塔の砲身が仰角を取るのだ。
「射撃用意よし!」
そうしてすべての準備を終えた瞬間、伊勢砲術長・野田知行中佐が急かすように叫んだ。
「撃ち方始め!」
そして阪艦長もまた、これまで抑えてきたものを解き放つかのように命じる。
「てっー!」
刹那、六門の砲身から轟音と共に炎が迸り、九一式徹甲弾が放たれた。主砲射撃の振動が、全艦を震わせる。
伊勢と日向から放たれた十二発の主砲弾は、放物線を描きつつ一万五〇〇〇メートル彼方の目標へと突き進んでいくのであった。




