89 第五艦隊急行
日没後の二三〇〇時過ぎ、第五艦隊旗艦那智は第一駆逐隊の四隻を引き連れて海馬島沖を西方へと向けて進んでいた。
すでに日は完全に落ちた暗い海を、二十ノットの速力で進んでいく。
夕刻あたりから大陸方面にあった低気圧が東へと進んできており、徐々に波が高くなり始めていた。空にも、雲がかかり始めている。
さらにこの日はちょうど新月だったこともあり、艦橋の外は星明かりすら見えない漆黒の世界であった。
「戦艦ベロルシアは、速力を六ノットにまで回復させて北上を始めている。我が艦隊は、これを阻止しなければならん」
那智艦橋で、第五艦隊司令長官・志摩清英中将が言った。
「ソヴィエツカヤ・ガヴァニに逃げ込まれますと、厄介ですからな」
参謀長・松本毅大佐も、司令長官の言葉に頷く。
現在、第五艦隊は連合艦隊司令部の命を受け、ソビエツカヤ・ベロルシアの北上を阻止すべく、間宮海峡へと急行していたのである。
ベロルシアを追撃する第七艦隊が現場海域に到着するのは、明日未明と想定されたからであった。
昼間の空襲では、第七艦隊が放った攻撃隊が戦艦ベロルシアに魚雷三本を命中させ、これを航行不能に陥らせている。さらに戦果確認と接触維持のために第七艦隊が放った天山は、攻撃隊が炎上させたオマハ級軽巡二隻が艦隊から消えていることを確認していた。恐らく、撃沈したのだろう。
一方、連山隊である第七〇三航空隊もまた、ソ連海軍北太平洋艦隊に対し高度三〇〇〇メートルからの爆撃を敢行していた。流石に水平爆撃だったために命中弾は確認されなかったが、ベロルシアが被害を復旧させるのを妨害するだけの効果はあったと思われる。
しかしその後、排水などの応急修理を済ませたのか、ソビエツカヤ・ベロルシアは六ノット程度の速度でソヴィエツカヤ・ガヴァニ方面へと退避を開始したことが確認されていた。
速力を低下させているとはいえ、ソ連の沿岸砲台の援護を受けられる海域にまで退避されてしまえば、第七艦隊による追撃は困難となる。
その前にベロルシアの間宮海峡北上を阻止すべく、GF司令部は宗谷海峡にあった第五艦隊に対し、ベロルシアの捕捉とこれ以上の北上の阻止を命じたのであった。
「七〇三空の連山が、絶えず接触を続けています。会敵は、日付が変わるあたりになるでしょう」
そしてもちろん、日本側は夜間になってもベロルシアへの接触を続けていた。
機上電探を搭載した連山(中隊長機以上には機上電探を装備している)を発進させ、ベロルシアを捕捉し続けていたのである。
その電波に従って、那智は現場海域へと進んでいた。
ただ、これ以上、天候が悪化するようならば連山は千歳基地に帰投せざるを得ないだろう。その前に、志摩としてはベロルシアを捕捉したかった。
「しかし、GF司令部も難問を吹っ掛けてきましたな。宗谷海峡の警戒を怠らず、ベロルシアの北上を阻止せよと言うのですから」
「だが、やるしかなかろう。これ以上、ソ連艦隊の狼藉を許せば、帝国海軍は日露戦争での上村艦隊の二の舞を演じることになる。そうなれば、我が海軍は鼎の軽重を問われることになろう」
いささか固い声で、志摩は参謀長に言葉を返す。
伊王などからの急報を受けて宗谷海峡に向かったのは、旗艦の那智および第二十一戦隊の軽巡多摩、木曾、そして第一駆逐隊(神風、野風、沼風、波風)の計七隻。しかし現在、那智が率いているのは第一駆逐隊の四隻のみであった。
多摩と木曾は、宗谷海峡での警戒のために残さざるを得なかったのである。
もともと宗谷海峡では対潜機雷敷設のために特設敷設艦辰宮丸と護衛の第三駆逐隊(汐風、帆風)が活動しており、宗谷臨時要塞の存在もあったものの、なお防備面では不安があった。
ソビエツカヤ・ベロルシアは宗谷海峡突入を断念したものと思われるが、かといって宗谷海峡の警戒をまったく無防備にするわけにはいかなかった。少なくとも、稚内町民や樺太からの避難民に不安を与えることは、海軍として避けたいことであった。
鈴谷丸事件と伊王沈没、樺太沖で失態を続ける海軍という印象を国内に与えるわけにはいかないのだ。
だからこそ、宗谷海峡の警戒にも万全を尽くすべしというGF司令部からの命令を受け、志摩中将は軽巡二隻を稚内沖に残してきたのである。
そのため、ベロルシアを追撃する戦力は重巡一隻、駆逐艦四隻のみとなってしまった。
これでは、戦力的に敵の護衛を突破、敵戦艦に雷撃を仕掛けるといったことは困難であろうと志摩は考えていた。あくまで、針路を妨害しながら粘り強く戦い抜くことで、ベロルシアの北上を阻止することになるだろう。
司令長官である志摩も、参謀長の松本も、どちらも水雷科の出身である。相手は米戦艦ではないものの、魚雷で大きな獲物を仕留めてみたいという思いは当然にある。しかし、手元にある戦力ではそれは覚束ない。
その意味では、東朝鮮沖海戦で巡洋艦戦隊を率い見事な勝利を収めた田中頼三少将の立場が羨ましくもあった。
「たとえ相手が十六インチ砲搭載戦艦だとしても、帝国海軍として怯むわけにはいかん」
志摩は艦橋から夜の海面の先にあるもの見つめていた。
やがて艦隊は海馬島沖を通過し、間宮海峡へと差し掛かりつつあった。
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一方、ソビエツカヤ・ベロルシアは六ノットという遅々とした速力でタタール(間宮)海峡へと差し掛かりつつあった。
すでに艦隊には、軽巡ハバロフスクとウラジオストクの姿はない。両艦とも火災の拡大と浸水の増大によって、日本海に没していた。
救出された生存者の数は、少ない。
これは、日中に日本軍重爆撃機隊の空襲があり救助作業が妨害されたことの他に、そもそも乗員の退艦が遅れたことが原因であった。
恐らく、乗艦している政治将校が総員退艦命令の発令を許さず、最早手の施しようのない状態であるにもかかわらず復旧作業を続けさせたのだろう。そのために退艦命令の発令が遅れ、乗員の脱出が困難となったのだ。
アンドレーエフ中将は、そうした艦隊の現状に暗鬱な思いを禁じ得なかった。
ようやく再建されつつあるソ連海軍ではあったが、内実がこのようなものでは日英米に匹敵する強大な艦隊を保有することなど夢のまた夢だろう。むしろ、日露戦争におけるロジェストヴェンスキー艦隊と同じ運命を辿ることになるかもしれない。
ちょうど四十年前の復仇を目指した戦争だというのに、再びロシアの艦隊が日本艦隊に敗北するというのは、何という皮肉か。
とはいえ、アンドレーエフは自身がこの戦争の行く末を見ることはないだろうと確信していた。
流石に最新鋭戦艦の喪失を恐れたのか、太平洋艦隊司令部は北太平洋小艦隊が北海道西方沖での通商破壊作戦を中止してソヴィエツカヤ・ガヴァニへと帰還することを認めたが、作戦失敗の責任は誰かが負わされることになるだろう。
当然、太平洋艦隊司令長官ユマシェフ大将が自ら責任を取ることはない。スターリンに至っては、自らの督戦命令が無用の損害を引き起こしたことを認めることすらしないだろう。
ベロルシアが当初の作戦計画通り、タタール海峡に留まって上陸支援に専念していれば、このように北太平洋小艦隊が大損害を負うことはなかったというにもかかわらず。
だとすれば、おのずと自分の運命は定まってくる。
アンドレーエフは、艦隊(といっても、ベロルシアも含め三隻だけだが)が無事、帰港したのを見届けたのち自決するつもりであった。そうすれば少なくとも、NKVDによる拷問は受けずに済むだろう。
あるいは、日没からずっと上空をうるさく付きまとっている日本軍の索敵機が味方艦隊を呼び寄せて、ベロルシアが撃沈されるのが先かもしれないが。
そうやって彼が司令官としても、あるいは一ソ連人としても諦観を抱きながら艦橋に立っていると、突然、艦橋の外の暗闇に眩い光源が発生した。
思わず、アンドレーエフは目の前に手をかざした。
「ヤポンスキーの照明弾と思われます!」
直後、緊迫した見張り員の叫びが、艦橋に響き渡る。
上空を飛行していた日本の索敵機が投下したものかどうかは、判然としない。ギュイース-1対空レーダーが捉えている目標も、上空の日本機一機だけだ。
だが、ギュイース-1が対水上捜索電探として極めて限定的にしか機能しないことは、一昨日の睦月型駆逐艦(この時点でも、まだソ連側は伊王を駆逐艦であると認識していた)との戦いでも明らかになっている。
もしかしたら、こちらが探知出来ない間に日本艦隊が密かに迫っている可能性がある。
「ただちに見張りを厳にせよ! 日本艦隊が接近している可能性がある! どのような些細な徴候も見逃すな!」
一瞬前まで諦観に支配されていたアンドレーエフ中将であったが、命じる声には明朗な力強さが残っていた。
どうやら、自分はまだ海軍軍人であろうとしているらしい。そんな自分自身に、アンドレーエフは苦笑する思いであった。
最後まで海軍軍人らしく戦い、敵艦を一隻でも多く道連れにして、ベロルシアと運命を共にする。
それは、NKVDによって処刑されるよりも、そして自決するよりも、はるかに充足した最期かもしれない。
アンドレーエフはむしろ日本艦隊の到来を歓迎するような気分になりながら、部下たちに毅然として命令を下し続けるのだった。




