88 戦艦伊勢の追撃
「我、敵戦艦ニ魚雷三ヲ命中。巡洋艦二隻大火災。コレヨリ豊原飛行場ニ向カワントス。一〇〇四時」
第七艦隊伊勢の艦橋には、入来院機からの戦果報告が届いていた。
同様の電文はソ連艦隊上空に留まり攻撃隊を誘導した連山からも入っており、確実な戦果だと思われる。
「長官、やりましたな」
岩淵三次参謀長が、いささか興奮気味に言った。
洋上航行中の戦艦に対し、魚雷を三本命中させたのである。九機の天山による攻撃であるから、魚雷の命中率はおよそ三割。
恐らく、航空部隊による攻撃で洋上航行中の敵戦艦を撃破した、世界初の戦例になるだろう。
砲術科出身の岩淵といえど、この快挙に興奮を覚えずにはいられなかった。
「これで、ベロルシアの足は確実に鈍ります」
「うむ」
司令官席に座る五藤存知中将も、安堵と共に頷いた。
「攻撃隊を豊原に向かわせてしまったため、攻撃を反復出来ぬのが残念ではあるが、魚雷を三本も命中させたのならば十分に満足すべき戦果であろうな」
「はい」
ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦の水中防御がどの程度のものかは判らないが、少なくとも最大速力を発揮することは不可能となるだけの損害は与えられただろう。もちろん、浸水による傾斜などで主砲の射撃精度も低下するはずだ。
一方で、魚雷三本の命中でベロルシアを撃沈出来ると思うほど、五藤も岩淵も楽観視していない。
自国の最新鋭戦艦である大和型も、三本の魚雷で沈没するような脆弱な設計ではない。大和型はTNT換算五〇〇キロの弾頭を持つ魚雷を想定した水中防御になっているのだ。
恐らく、ソ連海軍の最新鋭戦艦であるソユーズ級も、排水量などから考えて同等程度の防御力は持っているものと推測された。
このままウラジオストクやソヴィエツカヤ・ガヴァニへと退避されてしまう可能性は、十分に考えられる。そして、そこで修理を終えれば再び日本の海上交通路を脅かす存在となるだろう。
その前に、ベロルシアを捕捉・撃沈すべきであった。
「参謀長、このまま艦隊を前進させ、水上砲撃戦にてベロルシアの撃沈を目指す」
五藤は、そう決断した。
「艦隊速力を二十ノットとせよ。また、長谷川少将に命じてベロルシアに接触機を出せ」
第七艦隊とソ連海軍北太平洋小艦隊との距離はすでに五〇〇キロを切ってはいたが、依然として伊勢、日向の主砲射程に捉えるには距離があり過ぎる。
三十六センチ砲の射程に収めるには、二十ノットで直進しても十三時間はかかるだろう。もちろん、対潜警戒を行いながらの航行となるだろうから、直進というわけにはいかない。
恐らく、ベロルシアが現在の海域に留まっていたとしても、会敵は明日未明ごろになるだろう。それまで接触を維持するために、四航戦に接触機を出すように五藤は命じたのである。
しかし、それ以外にも問題があった。
「長官。それですと、駆逐艦の燃料に不安があります」
岩淵は、そう指摘した。
第七艦隊は東朝鮮沖海戦に参加(とはいっても、残敵掃討のための航空攻撃のみであったが)した後、樺太沖へと急行したのである。舞鶴では駆逐艦の給油を優先させたとはいえ、完全ではない。
巡航速度以上の速力で航行すれば、それだけ燃料の消費もかさむ。
特に駆逐艦の燃料が不足することを、岩淵は懸念していたのである。
「構わん」
しかし、岩淵の言葉を五藤は退けた。
「GF司令部からは、燃料不足時には大湊に向かうように言われているではないか。それでも不足するようならば、一度、小樽に入港して伊勢と日向から駆逐艦に燃料を補給する。あるいは、GF司令部に小樽まで油槽船を回航してもらうよう、要請を出せばよい」
五藤の口調には、断乎とした響きがあった。
「今は、ベロルシアを撃沈することこそが全てなのだ」
「判りました。長官がそうお考えなのであれば」
それで岩淵も、引き下がった。
もともと、彼は砲術科の出身なのである。水上砲戦によって敵戦艦を撃沈する機会が巡ってきたことに、興奮を覚えていた。そのため司令長官である五藤の決断に、個人的には賛成であった。
しかし参謀長としての職責上、駆逐艦の燃料問題を指摘せざるを得なかっただけなのだ。
「では、接触機については七〇三空にも出してもらうよう、要請を出しましょう。特に夜間の接触に関しては、連山の方が適任でしょうから」
「うむ、そうしてくれ」
こうして、第七艦隊は速力を二十ノットに上げつつ、ソビエツカヤ・ベロルシアを捕捉すべく、さらなる北上を開始したのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
隼鷹、飛鷹の放った攻撃隊により、ソビエツカヤ・ベロルシアは三本の魚雷をその身に受けることとなった。
二本は右舷艦首部と中央部に、一本は左舷中央部に、それぞれ命中していた。
ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦は、艦底部に五十三・三センチ魚雷二本、あるいはバルジ部に魚雷三本を同時に受けても耐えられることを目指した設計になっており、実際、ベロルシアは依然として浮力を維持していた。
しかし、一番艦ソヴィエツキー・ソユーズ、二番艦ソビエツカヤ・ウクライナと比べて品質の劣る鋼材やリベットを用い、実際の工程よりも計画優先で建造されたが故の不具合が、ここでもまた露呈していた。
被雷の衝撃で装甲鈑の継ぎ目であるリベットがいともたやすく弾け飛び、それが防水隔壁を損傷させて浸水を拡大させていたのである。
主砲の斉射すら危ういとソヴィエツカヤ・ガヴァニの造船技師から指摘されているほどのベロルシアの船としての完成度の低さが、ここでも祟っていた。
現在、ベロルシアの浸水量は八〇〇〇トン以上に及んでおり、彼女は前のめりになりつつ右舷に七度の傾斜を生じさせていた。
これ以上の浸水を防ぐために一時、艦を停止させて排水と傾斜復元のための注水を試みているが、乗員たちの練度不足によって、ダメージ・コントロールには手間取っていた。
そして、北太平洋小艦隊の被害はそれだけではなかった。
敵急降下爆撃機の攻撃を受け、軽巡ハバロフスクとウラジオストクが炎上。ハバロフスクには五〇〇キロ爆弾一発、ウラジオストクには二発が命中し、三十八ミリの水平装甲を貫通、機関部を損傷させた上に大火災を発生させていたのである。
火災の拡大はどちらかといえばダメージ・コントロールの失敗によるところが大きく、至近弾による浸水もあり、両艦の復旧はすでに絶望的だとアンドレーエフは見ている。
「同志提督、この失態は譴責程度では済まんぞ!」
そうした不甲斐ない状況に、司令部付き政治将校のザイツェフ少将は怒りを露わにしていた。
「精鋭なる赤色海軍が旧式の駆逐艦に宗谷海峡突入を阻まれ、また帝国主義者の索敵機に容易に捕捉されてしまうなど、本来ではあり得ぬ事態なのだ。これは、日本のスパイがこの艦隊に潜んでいることの証左ではないか?」
「本当に我が艦隊に日本のスパイがいるのだとしたら、本艦はソヴィエツカヤ・ガヴァニを出港する前に、艦底部に爆薬を仕掛けられてそれを爆破されていただろう」
アンドレーエフ中将は辟易とした思いを抱きながら、政治将校の言葉に反駁した。
日本の駆逐艦との交戦によって主砲射撃方位盤が故障し、謎の浸水を引き起こして後退を余儀なくされたのは単純に当たり所が悪かったという問題でしかない。そして、敵索敵機に捕捉されたことは、北海道西方という海域の広さから考えても、それほどおかしなことではないのだ。
決して、日本のスパイが艦隊に潜り込んでいたから、などという理由ではない。
しかし、この政治将校にとってはそうではないのだろう。
スターリン、ソビエト共産党、そして赤軍の無謬性を信じている(あるいは信じなければならない)政治将校にとって、自軍の練度不足や作戦指導の失態によってこのような状況に陥っているとは、決して認められないことなのだ。
「いずれにせよ、ここで我がソビエトの最新鋭戦艦が帝国主義者によって撃沈されることの方が問題だ」
アンドレーエフ中将は噛んで含めるように言った。
「それは、帝国主義者に恰好の宣伝材料を与えてしまうことになる。作戦を中止し、ソヴィエツカヤ・ガヴァニに帰還すべきだ」
「作戦の中止など、日本帝国主義海軍の勝利を認めるようなものではないか!?」
「本艦の現状で、宗谷海峡への再突入を目指すなど無謀の極みだ」
政治将校はアンドレーエフの冷静な言葉に、凄まじい形相を向けたまま黙りこくった。
彼も内心では、ソビエツカヤ・ベロルシアが最早戦闘に耐えられない被害を受けたことを判っているのだろう。しかし、スターリンや党への忠誠心が、それを認めることを拒んでいるのだ。
そして、政治将校として作戦の遂行を十分に補佐出来なかったとなれば、彼自身も粛清を免れない。だからこそ、ザイツェフ少将は強硬に作戦の継続を主張し続けているのだろう。
最早、かえって艦隊を危うくするだけの政治将校をアンドレーエフは無視することにした。
「私は作戦の中止を太平洋艦隊司令部に具申する。同志少将も、確認を取るといいだろう」
自らに降りかかるこれからの運命に暗いものを感じながらも、アンドレーエフは海軍軍人として妥当な決断を下すことを選んだのであった。




