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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第五章 連合艦隊反撃編

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87 天山雷撃隊

 入来院良秋少佐率いる天山隊は、隼鷹隊の五機と飛鷹隊の四機に分かれて戦艦ソビエツカヤ・ベロルシアへと突撃を開始していた。

 隼鷹隊と飛鷹隊で、ベロルシアを両舷から雷撃しようというのである。

 本来であればここに艦爆隊が加わり、両舷からの雷撃と上空からの急降下爆撃を同時に仕掛けることで敵艦の回避運動を困難とさせるのであるが、攻撃隊の規模とソ連艦隊による通商破壊作戦を阻止するという目的から、ベロルシア攻撃を敢行しようとしているのはこの九機の天山だけであった。

 九機の天山は目標との距離一万から突撃を開始し、高度を下げつつ速度を上げていく。

 天山一二甲型の最高時速は、時速四八一キロ。

 一世代前の九七艦攻よりも一〇〇キロ以上、優速であった。

 もちろん、二二〇〇馬力発動機を搭載した最新鋭艦攻の流星改の最高時速五六七キロと比較すれば見劣りするが、それでも天山は十分に高速の雷撃機であった。

 九機の天山は降下による加速も加わり、速度を急速に上げつつベロルシアへと迫りつつあった。

 と、ベロルシア艦上で煌めくものがあった。数瞬後、空に炸裂音と共に黒煙が咲く。

 四隻の護衛艦艇も、相次いで対空砲火を撃ち上げ始めた。

 高角砲弾の炸裂が天山の風防を震わせ、海面に落下した弾片が小さな水柱を作る。

 これまで高角砲弾が届かない位置を飛んでいた連山を狙えなかった鬱憤を晴らすかのように、ソ連艦隊は入来院率いる六五二空攻撃隊に対して盛んに対空火器を放っていた。

 空と海は、あっという間に凄まじい喧噪に包まれる。

 発動機の轟音はソ連艦隊を圧し、対空火器の咆哮は六五二空攻撃隊を迎え撃つ。


「……だが、甘い!」


 天山の偵察員席に収まりながら、入来院少佐は凄みのある笑みを浮かべていた。

 練度の問題なのか何なのかは知らないが、ソ連艦艇からの対空砲火はどこか統制を欠いているように思えた。各艦、あるいは各高角砲座、機銃座が好き勝手な方向に撃っているかに見えたのである。

 それに、護衛艦艇の数も少なく、その上艦隊陣形まで乱れている。

 四隻の護衛艦艇は、位置的に天山隊にとってベロルシア雷撃の障害にはなりそうになかった。

 実戦における洋上航行中の敵戦艦への雷撃は、恐らくはこれが世界初だろう。であるならば、帝国海軍母艦航空隊の練度をソ連に、そして世界に示す絶好の機会だ。

 何としても、雷撃を成功させなくてはならない。

 入来院の胸の中には敵対空砲火への恐れは微塵もなく、ただこのような機会が自分たちの艦攻隊に巡ってきた好機を逃したくないという思いで占められていた。

 そしてそれは、他の搭乗員たちも同じだろう。

 天山は護発動機の轟音を響かせて、ベロルシアへの突撃を続ける。機体の側を、曳光弾の煌めきがかすめていった。

 九機の天山は、なおも高度を下げていく。

 その間、烈風隊の内、攻撃隊を直接護衛する直衛隊は低空へと降りてきて、敵艦への機銃掃射を行っていた。敵に上空直掩の戦闘機隊がいないため、彼らは好きなように敵艦に機銃を浴びせかけていた。

 恐らく、敵艦の艦上では機銃員たちが二十ミリと十三・二ミリの機銃弾に肉体を砕かれて肉片と化していることだろう。

 そのためか、心なしか敵艦隊の撃ち上げる対空砲火が弱まったような気がした。

 烈風隊の援護の下、天山隊の突撃は続く。

 ソヴィエツキー・ソユーズ級の巨大な船体が、目の前に迫ってくる。流石に五万九〇〇〇トンの戦艦だけあって、対空砲火を撃ち上げるその迫力は相当なものだ。

 だが、だからこそ魚雷をぶち込む甲斐がある。入来院は一層の闘魂を掻き立てられていた。

 ベロルシアは天山隊の雷撃を回避しようとしているのだろう、徐々に回頭を始めていた。

 天山隊は、それを追うように針路を微調整していく。出来るだけ自機と敵艦との角度が九十度になるように機体を操る。

 一万メートルの距離を詰めるのに、八十秒ほどの時間しかない。天山の操縦員たちは、その調整を瞬時の判断で行った。

 その間にもベロルシアは必死に対空砲火を撃ち上げ、回頭を続けていた。

 撃ち上げられた高角砲弾が炸裂して風防を震わせ、飛び交う曳光弾が機体をかすめていく。

 天山はすでに高度を五メートルにまで下げていた。プロペラが波を叩かんばかりの超低空のまま、ベロルシアとの距離が一〇〇〇メートルを切った。


「用意―――!」


 こうなればもう、雷撃針路の調整は不可能だ。十秒と経たぬ内に敵艦の上空を通過してしまう。


「てっ!」


 距離八〇〇メートル。刹那、入来院の天山は九一式航空魚雷改五を投下した。高速での魚雷投下に対応した、航空魚雷。

 その魚雷が無事に馳走を始めたかを確認する前に、入来院機はベロルシアの上空を突破した。反対舷からは、飛鷹隊の天山がベロルシア艦上を飛び去っていった。

 そして、敵艦隊の間を縫うようにすり抜けた入来院の天山は上昇を開始した。


「……」


 偵察員席から、入来院少佐は天山隊の投下した九本の白い雷跡をじっと見つめていた。


  ◇◇◇


「撃て、撃ち落とさぬか!」


 一方、空襲を受けることになったソビエツカヤ・ベロルシアでは、司令部付き政治将校のザイツェフ少将が苛立たしげに喚いていた。


「ええい、帝国主義者どもの小癪な航空機一機墜とせぬとは、水兵どもは何をやっているのか!?」


「……」


 最早、督戦とも呼べぬ督戦をする政治将校を、アンドレーエフ司令官は白けた目で見つめていた。

 日本軍の四発爆撃機に捕捉された以上、空襲を受けることは覚悟していた。

 その偵察機はこちらの対空砲火の届かぬ高度を延々としつこく飛行し続け、艦隊将兵の不安を掻き立てていた。

 そうした将兵の不安を払拭すべく、アンドレーエフ中将は太平洋艦隊司令部に上空直掩のための海軍航空隊の派遣を要請してはいたが、未だ上空にその姿はなかった。

 アンドレーエフ中将は海軍航空隊の洋上作戦能力にそれほど期待を寄せていたわけではなかったが、それでも孤立無援な状況下である以上、一縷の望みは託していた。

 しかし結局、艦隊上空に現れたのはヤポンスキーの攻撃隊である。

 恐らく、二時間以上上空を付きまとっていたあの偵察機の誘導があったのだろう。

 ベロルシアの速力は、二十四ノットに低下している。そのような状態でどこまで回避運動が出来るのか。

 アンドレーエフ中将はベロルシア以下、五隻の艦艇が対空砲火を撃ち上げるのを見守っているしかなかった。ザイツェフ少将のように督戦をしたところで、それで高角砲や機銃の命中率が上がるわけではない。

 ソヴィエツキー・ソユーズ級には、五十六口径一〇〇ミリ高角砲連装六基、六十八口径三十七ミリ機銃四連装八基が搭載されている。その一部は昨日の水上戦闘で破壊されていたとはいえ、健在な対空火器が迫り来る日本軍機に対して盛んに射撃を続けていたのである。


「右舷より敵雷撃機、突っ込んできます!」


 見張り員の叫びが、艦橋にもたらされる。

 ソ連のシュトルモヴィク(襲撃機)Il-2のような機体が、高速で突入してきた。恐るべきことに、彼らは一歩操縦を誤れば海面に激突しそうな高度で接近してきたのである。


「面舵一杯!」


 敵の技量に驚嘆の声を上げる暇もなく、艦長が間髪を容れずに命じた。敵雷撃機に対して艦首を向け、敵に晒す面積を最小限にしようというのである。

 だが、日本軍攻撃隊はそう甘くはなかった。


「左舷よりも雷撃機!」


「敵機、ハバロフスクとウラジオストクに急降下!」


 ほとんど同時に、左舷からも雷撃機が接近してきたのである。さらには、敵急降下爆撃機がハバロフスクとウラジオストクにも攻撃を開始していた。


「―――っ!」


 アンドレーエフ中将は、声にならない呻きを上げた。

 排水量五万九〇〇〇トンの船体は、しばらく直進を続けた後、ようやく右へと舵を切り始める。


「……」


 アンドレーエフにとっても、艦橋の誰にとっても、もどかしくなるような動きであった。

 やがて、両舷から迫ってきた敵雷撃機はベロルシア上空で交差するようにして離脱していった。その後には、海面をベロルシアに向けて突き進む九本の魚雷が残されている。


「……」


 アンドレーエフは、神へ祈ろうとする言葉を辛うじて呑み込んだ。宗教を否定し、弾圧するソ連において、そのような言動は危険であった。

 しかし、この期に及んでそんなことを考える自分自身が、アンドレーエフには滑稽にすら思えた。

 迫り来る日本海軍の魚雷ではなく、スターリンや政治将校の意向の方を恐れるとは。

 ああ、だからこの艦はこのような状況に陥っているのだ。海軍軍人としての憤りと虚しさをアンドレーエフが覚えた次の瞬間、衝撃はやって来た。

 下から突き上げるような衝撃がベロルシア艦橋を襲い、舷側に高々と水柱を立てる。

 その衝撃は、三度、連続した。

 そのたびにベロルシアの船体は悲鳴に似た軋みを上げ、やがて傾斜を深めつつ洋上へと停止したのであった。

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― 新着の感想 ―
なんちゅうもろいふねじゃ しかも9機の雷撃機を1機も落とせないとな
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