84 北太平洋小艦隊を求めて
一九四四年八月十九日未明、舞鶴から樺太方面に急行中であった第七艦隊は北海道奥尻島沖に差し掛かっていた。
まだ夜の闇が残る海上を、戦艦伊勢を旗艦とする艦隊が進んでいる。
だが、艦隊はすでに夜の静寂を破りつつあった。隼鷹以下、五隻の空母の艦上では艦載機の暖気運転が始まっていたのである。
彼女たちを守る朝風以下八隻の駆逐艦も、敵潜水艦の襲撃を警戒して見張り員が目を光らせていた。
ソビエツカヤ・ベロルシアを追う第七艦隊は、その姿を捕捉すべく索敵機の発艦準備を進めていた。隼鷹、飛鷹からはそれぞれ三機の天山、千歳、千代田、日進からはそれぞれ二機の天山の計十二機が、第七艦隊の用意した索敵機であった。
礼文島沖海戦後のソ連海軍北太平洋小艦隊の動向が不明のため、索敵範囲は北上する艦隊の西側一八〇度(つまり北から南まで)の海域と定められた。索敵機の間隔は十五度で、十二機でちょうど一八〇度になる。
索敵は、一段索敵とした。
これは、第七艦隊の保有する航空戦力が限られているからであった。
戦艦伊勢、日向に搭載されているのは零式水上観測機三機であり、弾着観測には向いているものの索敵を任せるには心許ない。
軽巡名取に至っては旧式の九五式水上偵察機一機が搭載されているだけであり、速度や航続距離の関係から、やはり索敵を任せることは出来なかった。せいぜいが、対潜警戒に用いる程度である。
日ソ開戦に伴って第六戦隊の重巡四隻が朝鮮方面に引き抜かれたため、第七艦隊主力は索敵機不足に陥っていたといえよう。
「いささか心許ないが、やむを得まい」
旗艦伊勢の艦橋で、五藤存知中将は呟いた。
本来であれば二段索敵を行い、ベロルシア捕捉をより確実なものとすべきであった。
しかし、五藤中将はそれを選ばなかった。
まず、索敵範囲が広すぎるというのがその理由である。ベロルシアの動向が不明なため、彼女が作戦を中止してソヴィエツカヤ・ガヴァニへと戻ろうとしているのか、あるいはウラジオストクに向かいソ連海軍太平洋艦隊主力と合流しようとしているのか、あるいは再度の宗谷海峡突入の機会を窺っているのか、まったく不明であった。
このため、ソビエツカヤ・ベロルシアがウラジオストク、ソヴィエツカヤ・ガヴァニのどちらに向かっていようとも捕捉出来るように、一八〇度という広い索敵範囲を設定せざるを得なかったのである。
これにより、一段索敵だけでも十二機の天山を投入することになってしまった。
そしてそのことが、五藤が二段索敵を断念したもう一つの理由であった。
すなわち、母艦航空戦力が索敵に割かれ過ぎることを厭ったのである。
第四航空戦隊の隼鷹、飛鷹に搭載されているのは、それぞれ烈風二十一機、彗星十八機、天山九機の計四十八機。二隻合計九十六機で、第六五二航空隊を構成している。
一方、第九航空戦隊の千歳、千代田、日進に搭載されているのは、烈風二十一機、天山九機の計三十機。三隻合計九十機で、第六五五航空隊を構成していた。
合計すれば、五隻の空母で戦闘機一〇五機、艦爆三十六機、艦攻四十五機となる。
しかし、これはあくまで定数である。第七艦隊はすでに東朝鮮沖海戦で母艦航空隊に若干の損害を受けていた。
実際に使用出来る天山は定数の四十五機ではなく、四十二機であった。
そして、索敵に天山十二機が割かれたことによって、雷撃が可能な艦攻の数はここからさらに三十機に減少してしまったのである。
加えて、第九航空戦隊の天山は、本来は対艦攻撃ではなく索敵と対潜警戒に用いるために搭載されていた(そのため、東朝鮮沖海戦ではソ連艦隊への空襲に参加していない)。ソ連海軍が極東地域に一〇〇隻近い潜水艦を配備しているという認識からも、六五五空の天山には引き続き、艦隊の対潜警戒を行わせたい。
そうなれば、仮にベロルシアを発見したとしても、実際に投入出来る艦攻は隼鷹と飛鷹の計九機のみとなってしまう(二隻で定数十二機であるが、三機は東朝鮮沖海戦で失われた)。
もちろん、反復した攻撃を行うことは可能であるが、すでに東朝鮮沖海戦で航空燃料や航空爆弾、航空魚雷を消耗した第七艦隊にとっては厳しいといわざるを得ない。ベロルシアへの航空攻撃でさらに母艦航空隊は被害を受けると思われるから、燃料、弾薬、機材の消耗で一度の攻撃が限度であろう。第二次攻撃隊は、天山に雷装ではなく爆装をすれば編成は可能だろうが、恐らくはそこまでである。
だから五藤中将は、航空攻撃でベロルシアを足止めし、最終的には伊勢と日向の砲撃で決着を付けなければならないと覚悟していた。
「隼鷹より信号。発進準備完了とのこと!」
やがて、第四航空戦隊司令官・長谷川喜一少将の座乗する隼鷹から報告がもたらされる。五藤は航空戦の指揮を長谷川少将に委ねていたから、第九航空戦隊も事実上、長谷川少将の指揮下にある。
隼鷹から信号が届いたということは、第四、第九航空戦隊ともに索敵機の発進準備を完了させたということである。
「よろしい。艦首風上へ。索敵機、発艦始め!」
五藤の号令と共に五隻の空母を取り囲む艦隊は風上へと針路を変え、そして発動機の轟音を響かせた十二機の索敵機が未明の空へと飛び立っていく。
それを、手空きの乗員たちが帽振れで見送る。
やがて十二機の機影はそれぞれに敵影を求め、空の彼方へと消えていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
第七艦隊が索敵機を放つのと同じ頃、北海道西方海域の上空を一羽の巨鳥が飛んでいた。
夜が明け始めた黎明の空に、四つの発動機の轟音を高らかに響かせている。
帝国海軍の最新鋭四発攻撃機「連山」であった。
連山は高度三〇〇〇メートルで、北海道西方沖を間宮海峡方面へと飛行していた。
「どうだ、何か見えんか?」
その操縦席で機体を操っている帆足正音大尉は、見張りを担当している偵察員に尋ねた。
「いえ、まだ何も見えません」
機体の外に双眼鏡を構えている偵察員は、その姿勢のまま答える。
「そう簡単に見つかるものではないか」
操縦桿を握りつつ、帆足大尉は頷いた。
帆足が機長兼主操縦員を務めるこの連山は、未明に北海道の千歳基地を発進し戦艦ソビエツカヤ・ベロルシアの捜索に当たっていた。他にも、数機の連山が索敵のために千歳基地を飛び立っている。
これらの連山はすべて、第七〇三航空隊の所属であった。
連山は、対米戦においてフィリピンの米航空基地を爆撃するという構想の下に開発された四発爆撃機の系譜の中に位置付けられる機体である。
ワシントン海軍軍縮条約第十九条の太平洋防備制限条項の適用対象外とされたフィリピンは、一九二〇年代から三〇年代にかけてアメリカによる軍事基地化が進んでいた。ルソン島キャビテ湾では軍港設備が拡張され、クラークフィールドなどには広大な航空基地が整備されていったのである。
それらアメリカの軍事施設を九州から飛び立った爆撃機で破壊するというのが、海軍における四発爆撃機の運用構想であった(台湾は太平洋防備制限条項によって軍事基地の拡張が出来ない)。
しかし、広海軍工廠が開発した九九式陸上攻撃機「深山」は、最高時速四三七キロ、爆弾搭載量最大二五〇〇キロと、同時期に登場したアメリカのB17に比べて性能面で劣っていた。
そのため、その後継機として中島飛行機に開発が託されたのが、三式陸上攻撃機「連山」であった。
二四〇〇馬力発動機である「護改」の開発成功もあり、連山は一世代前の深山を凌駕する性能の四発爆撃機として一九四三(昭和十八・皇紀二六〇三)年、海軍に制式採用された。
最高時速六〇三キロ、爆弾搭載量最大五五〇〇キロ、最大航続距離七四〇〇キロと、ようやくアメリカのB17を上回る性能の四発重爆を日本は手にしたのである。
もちろん、この間にアメリカはB17を上回るB29なる重爆撃機の開発を進めているという情報もあったため、日本側も陸海軍共同でさらに高性能の四発重爆、そして米本土を直接爆撃することが可能な六発重爆の開発を進めている。
とはいえ、現在はこの連山が、陸海軍が保有する最も高性能で優秀な重爆撃機であった。
なお、「攻撃機」の名称が付いている通り連山は雷装も可能であったが、現在のところ、海軍では連山を爆撃機として運用することを重視しており、千歳基地にも魚雷は保管されていない。
そうして、帆足の操る連山は朝焼けの空の下を北北西へと真っ直ぐに進んでいく。護改発動機は快調であり、連山は時速三八〇キロの巡航速度で飛行を続けていた。
やがて、千歳基地発進から二時間半ほどが経った〇七〇〇時過ぎ。
「敵艦隊らしき艦影が見えます!」
突然、偵察員が風防に顔を押し付けんばかりにして叫びを上げた。
「間違いないか!? 輸送船を見間違えてはおるまいな!?」
機長の帆足は、内心で高ぶるものを感じながらも冷静に指摘した。
南樺太の周辺海域には、彼我の輸送船が行き来している。流石に南樺太からの避難民を乗せた船団が襲撃されかけたことから、真岡・本斗方面からの避難民輸送は一時中止されたと聞くが、南樺太への上陸を果たそうとするソ連軍輸送船団である可能性は否定出来ない。
「……」
「……」
「……」
しばらく、機内には張り詰めたような沈黙が降りる。帆足も、固唾を呑んで次なる報告を待った。
「いえ、間違いありません! あれは、ソユーズ級戦艦です!」
その叫びに、連山機内に歓呼のどよめきが広がった。
帆足は機体を旋回させつつ、発見した敵艦隊の編成や針路などを偵察員に細かく観察させる。そして、電信員はその内容を即座に電波へと託した。
「敵艦見ユ。北緯四十七度、東経一三九度、針路二三〇度、速力十四ノット、〇七一二時」




