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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第五章 連合艦隊反撃編

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83 ベロルシア追撃命令

 しかし、連合艦隊司令部から基地航空隊の支援を要請された軍令部は、陸攻隊・陸爆隊の投入に否定的であった。


「ベロルシア追撃戦に基地航空隊を投入して、樺太沖の輸送船団はどうするのだ?」


 第一部第一課長(作戦課長)の山本親雄大佐が、眉間に皺を寄せつつ言った。


「このままソ連軍輸送船団、そして後続の船団が順調に兵員物資の揚陸を成功させてしまえば、樺太の守備隊は南北に分断される。陸軍からの要請もある手前、軽々に基地航空隊をベロルシア追撃に投入するわけにはいかん」


 南樺太戦線を巡る攻防は、依然として予断を許さない状況が続いている。

 日ソ国境線を越えて侵攻したソ連軍部隊については、樺太混成旅団を中核とする部隊の奮戦もあり、一度は南下を許したソ連軍を国境線まで押し戻すことに成功していた。

 しかし一方で、十六日に塔路にソ連軍上陸部隊が出現したことにより、樺太兵団は北部の樺太混成旅団と南部の第三十警備隊が分断される危険に晒されることとなったのである。

 間宮海峡に面した南樺太の海岸線を守るには、樺太混成旅団も第三十警備隊も兵力が不足していた。実際、塔路に上陸したソ連軍上陸部隊を迎撃したのは、わずか三個中隊のみである。

 ソ連軍は塔路の港湾施設を占拠すると、後続の船団を次々と入港させて兵員と物資の揚陸を急いでいるという。そして、塔路の市街地を占領したソ連軍は、そのまま南の恵須取方面ヘと南下を開始したことが確認されている。

 現在、恵須取では住民の脱出を急ぎ、守備隊は塔路―恵須取の間を流れるますらお川に防衛線を敷き、辛うじて恵須取市街地へのソ連軍突入を防いでいる状況であった。

 このため、陸軍は自らの航空部隊を南樺太の制空権確保および敵地上部隊への攻撃任務に充て、海軍に対してはソ連軍上陸船団への攻撃を要請していたのである。

 これを受け、軍令部としてもソ連による樺太占領は宗谷海峡の制海権を失いかねない事態に繋がるため、北海道・千島方面の基地航空隊の投入を決断していた。

 アバチャ湾のソ連海軍潜水艦基地は大和以下の艦砲射撃によって壊滅的打撃を与えたとはいえ、ソ連海軍は極東に一〇〇隻近い潜水艦を配備していると見られている。南樺太をソ連によって占領され、宗谷海峡を経由してソ連海軍潜水艦部隊が太平洋に進出する事態になれば、日本の海上交通路が危険に晒される。

 だからこそ、軍令部としても本来は対米戦に備えて温存しておきたい基地航空戦力を投入することを躊躇わなかったのである。

 しかし、その基地航空隊をベロルシア追撃に投入することについては、軍令部第一部長である中澤佑少将を始め、第一部の者たちは否定的であった。


「確かにベロルシアを沈めてしまえば、第七艦隊を間宮海峡に突入させ、ソ連軍上陸船団を撃滅することも可能であろう。しかしかといって、ベロルシアの脅威が消え去るまでの間、敵輸送船団を野放しにしておくわけにもいかん。後続の船団の存在も確認されていることであるしな」


 作戦課長の山本は、あくまでも基地航空隊はソ連軍上陸船団への攻撃にのみ、投入すべきという意見であった。

 基地航空隊をベロルシア追撃戦に投入した結果、樺太兵団が南北で分断され、特に虎の子の戦車第十一連隊が壊滅するような事態になれば、今次戦争における陸海軍間の関係は悪化することになるだろう。

 また、今まさに危険に晒されている恵須取の住民たちを海軍が見殺しにしたとの批判を受けることにもなりかねない。

 その後で艦隊が間宮海峡に突入し、敵輸送船団を壊滅させたところで、海軍の面子は保てないのだ。

 確かに海軍は対米戦に備えるのを第一としており、今次日ソ戦争は徒に海軍戦力を消耗させるだけであるとして消極的な面もあったが、一方であまりに日ソ戦争に消極的姿勢になりすぎるのも対米関係上、日本の、そして帝国海軍の立場を損なうものであると認識していた。

 この戦争において帝国海軍がその実力を十分に発揮すれば、その実力を世界に示すことによってアメリカに対する抑止力となるからであった。

 日ソ戦争において、帝国海軍与しやすしとの対外的印象を与えるがごときことは、絶対に避けなければならないのであった。

 そのため、海軍の作戦指導の誤りによって陸軍部隊が壊滅したり、あるいは樺太住民に犠牲が出来ることは、軍令部としては容認出来なかったのである。

 だからこそ、すべての兵力をベロルシア追撃のために投入すべきという連合艦隊司令部からの具申に否定的だったのだ。


「しかし一方で、ここでベロルシアを取り逃がすこともまた、帝国海軍の実力を疑われかねない恐れがあります」


 そう指摘したのは、戦争指導担当の藤井茂大佐であった。作戦班長の山本親雄とは海大三十期の首席・次席という間柄ではあったが、藤井の方が海兵三期下(山本は海兵四十六期、藤井は四十九期)のため、口調は自然と丁寧なものになる。


「日ソ開戦からまだ二週間も経っておりません。その中で我が海軍は、開戦初日に鈴谷丸事件を防げず、そして今また避難民を乗せた輸送船が危険に晒されたとなれば、帝国海軍がソ連海軍に翻弄されているという印象を与えかねません。カムチャッカ沖や朝鮮沖での勝利がソ連側の宣伝工作によって、国際世論の中からかき消されつつある現状、帝国海軍として明確な失態は絶対に避けねばならないのです」


 ソ連はカムチャッカ沖で戦艦大和を撃沈したと喧伝し、東朝鮮沖海戦は日本海軍による非道な虐殺であったと言う。そうした宣伝工作の結果、アメリカでは東朝鮮沖海戦を「極東のシノープの虐殺」であるとして、日本を非難する論調が高まっているという。

 日本側もカムチャッカ沖から帰還した戦艦大和の姿を外国人記者に見せ、また東朝鮮沖海戦では海に投げ出されたソ連将兵を救助した事実を国際世論に訴えているが、第一次世界大戦以来続くアメリカの反日感情・対日脅威論は根強いものがあった。

 戦争指導を担当する者として、藤井は国際世論、特にアメリカ世論に与える影響を考慮していたのである。


「何とも、板挟みな状況であるな」


 軍令部第一部長の中澤佑少将も、嘆息気味であった。

 結局、海軍の対ソ戦への備えが何もかも中途半端であったことが、現在の状況を生み出しているといえないこともない。

 北海道・千島方面に展開する航空部隊では、南樺太の陸軍部隊を支援しつつ、戦艦ベロルシア追撃を行うだけの余裕がないのだ。必然的に、どちらを優先するかを決断しなくてはならなかった。


「この際、七〇三空を投入してはいかがでしょうか?」


 と、そこで声を上げたのは作戦班長(甲部員)の榎尾義男大佐であった。


「馬鹿な! あれは虎の子の連山部隊だぞ」


 即座に渋ったのは、作戦課長の山本であった。

 北海道・千島方面に展開する基地航空隊の多くは大湊警備府の指揮下にあるが、その中で唯一、第七〇三航空隊(旧千歳航空隊)のみは軍令部直属となっていた。

 その理由は、この航空隊が最新鋭四発陸上攻撃機「連山」を装備する部隊であるからであった。

 軍令部はアメリカによるアリューシャン方面からの戦略爆撃の可能性を警戒しており、それに対する抑止力として千歳基地に連山部隊を配備していたのである。

 連山の生産数自体がまだ少ないこともあり、常用三十六機、補用十二機の計四十八機を定数とするのが、この第七〇三航空隊であった。

 それを、榎尾はベロルシア追撃に投入すべきと主張しているのである。


「しかし、我が軍が他に出せる航空隊はありません。八〇一空(飛行艇部隊)の一部が千島方面に派遣されていますが、北海道西方海域までは距離があり過ぎますので」


「……」


 山本は、渋い顔を崩さない。榎本の主張にも一理あるが、最新鋭四発陸攻部隊が消耗することを恐れていたのである。

 藤井もまた、悩ましそうな表情を浮かべていた。


「……ここは、腹を括るときだろう」


 そうした逡巡の空気を破ったのは、第一部長の中澤佑であった。


「ベロルシアを追撃する第七艦隊への支援のため、七〇三空を出そう。ただし、極力部隊の消耗を避ける方針でいく」


「部長がそうおっしゃるのであれば」


 中澤の決断に、山本も折れざるを得なかった。


「では、ただちに伊藤次長と嶋田総長に七〇三空を動かすための決裁を求めよう。ここで、戦艦ベロルシアを逃してはならん」

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四発爆撃機の連山で対艦攻撃? 連山を地上攻撃に回して、雷撃できる他の機体で攻撃したほうがまだいいのでは?
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