82 ソ連最新鋭戦艦の脅威
一方、内地では同日に発生した礼文島沖海戦への対応を迫られていた。
一九四四年八月十八日に生起した礼文島沖海戦は、海防艦伊王の犠牲によって南樺太からの避難民を乗せた輸送船三隻は無事、稚内に入港することが出来ていた。
しかし、ソ連艦隊が宗谷海峡に突入するという危険性は依然として否定出来ず、宗谷臨時要塞の守備隊、稚内町民、そして稚内に辿り着くことが出来た南樺太からの避難民たちは緊張の夜を明かすことになった。
幸いにして港や町が夜間に艦砲射撃を受けるという事態は発生しなかったものの、宗谷海峡方面の制海権がかなり危ういものであることを日本側は認識せざるを得なくなっていた。
この海域に帝国海軍の大型艦艇は存在せず、大湊警備府所属の第一〇四戦隊が、ほとんど唯一のまとまった海上戦力であったのである。
第五艦隊も宗谷海峡へ対潜機雷堰を敷設するために特設敷設艦辰宮丸と護衛の第三駆逐隊(汐風、帆風)を派遣していたものの、やはりソ連海軍最新鋭戦艦に対抗出来る戦力ではない。
そのため、海防艦伊王、そして伊王から輸送船を託された敷設艇石埼からの緊急電を受けて、第五艦隊司令長官・志摩清英中将は自らの旗艦那智および第二十一戦隊(多摩、木曾)などを中心とする艦艇を率いて宗谷海峡へと急行した。
速力の遅い日露戦争期建造の装甲巡洋艦磐手、八雲はこれに随行出来ず、護衛の駆逐艦と共に千島沖に取り残されている。
翌十九日未明には重巡那智、軽巡多摩、木曾に第一駆逐隊(神風、野風、沼風、波風)を加えた七隻が宗谷海峡に到着して、宗谷臨時要塞の守備隊や稚内町民が歓呼の叫びを上げたと言われているが、依然としてソ連海軍最新鋭戦艦に対抗するには厳しい戦力であると日本側は見ていた。
日本側はこの時、ソビエツカヤ・ベロルシア以下北太平洋小艦隊に唯一、対抗可能な戦力は、舞鶴から急行中の第七艦隊だと考えていたのである。
問題は、十八日夜間の宗谷海峡突入を断念したと思われるソ連海軍北太平洋小艦隊が、伊王撃沈後、どこへ消えたのかということであった。
そして帝国海軍は、ベロルシア撃沈にどの程度の戦力を割くべきかという問題も抱えていた。
すでに間宮海峡にはソ連軍の上陸船団が存在し、この船団の撃破、そして後続船団の南樺太到着阻止もまた、帝国海軍にとって重要な作戦目的だったからである。
◇◇◇
北海道西方海上に展開する第一〇四戦隊は、大湊警備府所属の部隊であった。
この他、大湊警備府は北海道・千島方面に展開する第二五四航空隊(戦闘機隊)、第四五二航空隊(水上偵察機隊)、第五〇二航空隊(陸爆隊)、第七〇一航空隊(陸攻隊)および第九〇三航空隊(対潜哨戒隊)といった航空部隊も指揮下に置いている。
ただし、大湊警備府所属のこれから水上戦力・航空戦力は、連合艦隊の指揮下にはない。鎮守府・警備府は軍政事項については海軍省から、統帥事項については軍令部から命令を受ける組織であるからだ。
「戦艦ベルロシアの発見には、大湊警備府の航空部隊の助力を得るべきであると考えます」
横須賀沖の連合艦隊旗艦大淀艦上では、航空甲参謀の内藤雄中佐がそう主張していた。
「ただちに、軍令部に対して要請を出すべきです」
危惧されていたソ連艦隊による十八日夜間の宗谷海峡突入が発生しなかったため、逆に連合艦隊司令部では戦艦ベロルシアを追撃、これを撃沈して北海道西方沖および南樺太沖の制海権を盤石なものとしようと考えていた。
そのために、北海道・千島方面の基地航空隊もこの追撃作戦に投入すべきだと、内藤は主張していたのである。
「しかし、北海道・千島方面の基地航空隊はGFの指揮下にはない。東朝鮮沖海戦と同じように、通信連絡の不備を生じさせることにはならぬか?」
一方、内藤の主張に疑念を示したのは、参謀長の塚原二四三中将であった。
八月十三日、北鮮に上陸したソ連軍上陸船団を撃滅し、さらには護衛艦隊にまで壊滅的打撃を与えた東朝鮮沖海戦ではあったが、帝国海軍は通信においていくつかの失態を演じている。
まず、ソ連軍上陸船団がウラジオストクを出港したことを潜水艦が探知していたにもかかわらず、その情報が朝鮮に展開する第十一航空艦隊司令部や陸軍部隊に届けられるのが遅れてしまったのだ。すでにソ連軍が上陸した後に、ソ連軍上陸船団のウラジオ出港を報された部隊もあったほどである。
第六艦隊と第十一航空艦隊という、同じGF指揮下の部隊間であっても通信の不備を生じさせてしまったというのに、さらにGF指揮下の部隊と軍令部指揮下の部隊ということになれば、事前の調整が不可欠だろう。
しかし、今はそのような悠長なことをやっていられる場合ではない。
仮にベルロシアがウラジオストクのソ連海軍太平洋艦隊主力と合流する事態になれば、いよいよ日本海を担当する第七艦隊だけでは対処が及ばなくなる。
北太平洋小艦隊という形で艦隊が分散している今が、東朝鮮沖海戦と同じように、強大なソ連艦隊を各個撃破出来る好機なのだ。
GF司令部の誰もが、この絶好の機会を逃すべきではないと考えている。
また同時に、海軍としての面子からもベロルシアを取り逃がすわけにはいかなかった。
開戦初日に樺太沖で鈴谷丸がソ連潜水艦によって撃沈され、多数の民間人が犠牲になった出来事からまだ十日も経っていない。だというのに海軍は、再び樺太からの避難民を乗せた輸送船を危険に晒してしまったのである。
その上、海防艦伊王は輸送船を逃がすために壮烈な最期を遂げたという。
現在までに、どの程度の生存者がいるのかGF司令部では把握していなかったが、小寺艦長以下多くの乗員の生存は絶望的であろうと見られている。
彼らの献身は帝国海軍の将兵が命を賭して輸送船と避難民を守ろうとしていると喧伝する材料にはなるだろうが、一方でソ連海軍に翻弄されているという印象を与えかねない危険性もあった。
相手がソ連ということもあり、日露戦争時のウラジオ艦隊の跳梁跋扈、それによる国内の混乱といった歴史を思い出している者も司令部には多い。
五藤存知中将率いる第七艦隊には、今次戦争における上村艦隊となってソ連海軍を撃破してもらいたいというのが、GF司令部の者たちの共通した思いであった。
「通信連絡の不備を懸念するよりも、七〇一空や五〇二空がベロルシア追撃に加わる利点の方が大きいでしょう」
内藤は、塚原の懸念を理解しつつも続けた。
「我々にとって真に恐れるべきは、ベロルシアが太平洋艦隊主力と合流すること、あるいは間宮海峡に戻り陸上に対して艦砲射撃を行うことです。特に間宮海峡に面した真岡、本斗には避難民が押し寄せています。これら港町がベロルシアによって艦砲射撃を受ければ、避難民に多くの犠牲が出るでしょう。それは我が帝国海軍にとって、汚点となりかねない失態となります」
その言葉に、古賀峯一長官以下、司令部の者たちは険しい表情を見せた。
現在、南樺太では樺太庁の指揮の下、北海道へと疎開させる避難民を大泊、真岡、本斗の三港に集めている。これら避難民で溢れかえりつつある港町が戦艦ベロルシアからの艦砲射撃を受けることになれば、その犠牲者数は鈴谷丸事件の比ではないだろう。
「七〇一空には一式陸攻、五〇二空には銀河が配備されており、これら航空隊の雷撃によってベロルシアの足止めに成功すれば、第七艦隊による追撃は容易となりましょう」
幸い、七〇一空および五〇二空に対しては大湊警備府を通して軍令部より樺太沖のソ連軍輸送船団攻撃の命令が出ている。攻撃は連日、反復して行うことになっており、現地ではすでに魚雷を搭載しての出撃準備が進められていると思われた。
それを、船団攻撃からベロルシア攻撃に切り替えようというのである。
GF司令部の方向性は、すでに決まりつつあった。
「うむ。ではその旨、軍令部に要請を出そう」
そして、参謀たちの意見がまとまったところで、古賀峯一大将はそう言った。
GF司令部はただちに霞ヶ関の軍令部へと連絡を取り、ベロルシア追撃戦に七〇一空および五〇二空を投入するよう、求めたのである。




