75 第七艦隊の出撃
一九四四年八月十六日、南樺太北部西岸の港町・塔路にソ連海軍第三六五海軍歩兵大隊および第一一三狙撃旅団の一部が上陸を開始した。
洋上兵力は、ウラガーン級哨戒艦モールニヤ、ザルニーツァの二隻および機雷敷設艦一隻、哨戒艇六隻、掃海艇四隻、魚雷艇十九隻、輸送船二隻の計三十四隻である。
十一日以降、塔路やその南に位置する恵須取に対して、ソ連軍は港湾施設や鉄道、軍事目標に対する空襲を行っており、十三日以降には駆逐艦や哨戒艦といった小型艦艇による艦砲射撃も実施していた。そうして十六日、上陸作戦を決行したのである。
一方、塔路と恵須取ではすでに住民の南部への疎開が開始されており、ソ連軍が塔路に上陸した十六日時点で、住民はその八割以上が疎開を完了させていた。
問題であったのは、塔路・恵須取地区の海岸の防備がそれほど強固なものではなかったことである。
そもそも、樺太混成旅団、戦車第十一連隊、第三十警備隊の三部隊からなる樺太兵団の兵力では、北樺太との国境地帯を守備しつつ南樺太西岸全域を守備するには不足していたのだ。
従来、樺太混成旅団は内路―恵須取以北の地域の守備を担当し、それ以南の地域は北海道の第七師団の管轄であった。
しかし、ソ連海軍の増強によって北海道直接侵攻の可能性が高まったことで、第七師団は北海道の守備に専念せざるを得なくなり、結果として南樺太南部の守備は新設された第三十警備隊(三個大隊および特設警備中隊七個からなる部隊)が担うことになっていた。
ソ連軍が上陸した塔路は、恵須取以北の地区であったためにその担当は樺太混成旅団であった。
しかし、樺太混成旅団主力は北樺太との国境地帯でソ連軍との戦闘を繰り広げている最中であり、開戦前の段階で塔路・恵須取地区に配備されていたのは歩兵二個中隊(機関銃一個小隊を含む)のみであった。
当然、国境地帯での戦闘が続いている現状で、樺太混成旅団は塔路・恵須取地区に増援を向かわせる余裕はない。
こうした事態をある程度見越して、開戦前の段階で塔路・恵須取地区には第三十警備隊から特設警備中隊一個が派遣されていた。
結果、ソ連軍の上陸を迎撃したのは、この三個中隊のみだったのである。
ソ連軍上陸の報を受けて陸軍飛行第三戦隊の九九式双軽爆撃機が出撃したものの、十六日夕刻までに塔路の港湾施設はソ連軍により奪取されるなど、守備隊は劣勢に立たされる事態となっていた。
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ソ連軍樺太上陸の報を受けた連合艦隊司令部は、上陸船団の撃滅を果たすべく舞鶴の第七艦隊に対してただちに出撃を命じた。
八月十三日から十四日にかけての東朝鮮沖海戦から舞鶴に帰港したばかりの第七艦隊は、燃料の補給を受けると再び樺太へと向けて出撃したのである。
その戦力は、次の通りであった。
第七艦隊 司令長官:五藤存知中将
第三戦隊【戦艦】〈伊勢〉〈日向〉
第四航空戦隊【空母】〈隼鷹〉〈飛鷹〉
第九航空戦隊【空母】〈千歳〉〈千代田〉〈日進〉
第五水雷戦隊【軽巡】〈名取〉
第五駆逐隊【駆逐艦】〈朝風〉〈春風〉〈松風〉〈旗風〉
第二十三駆逐隊【駆逐艦】〈菊月〉〈三日月〉〈夕月〉〈卯月〉
燃料の補給は駆逐艦を優先させ、十六日一五三〇時過ぎには第七艦隊は舞鶴を出撃していた。
たとえ帰路、燃料不足に陥ったとしても大湊に入港させればよいと判断されたのである。
また、これら艦艇は東朝鮮沖海戦での砲雷戦に参加しておらず、砲弾と魚雷の補給を行う必要はなかった。唯一、隼鷹以下の五空母が航空燃料と爆弾、航空魚雷を消耗していたが、あと一、二度の出撃には十分に間に合うものと判断され、そのまま舞鶴を出撃している(隼鷹型の弾薬搭載量は、八〇〇キロ爆弾五十四発、二五〇キロ爆弾一九八発、六〇キロ爆弾三四八発、航空魚雷二十七本)。
この他、第七艦隊所属の第四潜水戦隊の一部も北海道・樺太沖に展開していた。
「GF司令部から南樺太方面の戦況について通信がありました」
一八〇〇時過ぎ、旗艦・伊勢の艦橋に連合艦隊司令部からの通信が届いていた。司令長官・五藤存知中将に、参謀長・岩淵三次少将が報告する。
「塔路沖のソ連輸送船団に対し、七〇一空および五〇二空が空襲を敢行。艦種不詳七隻を炎上させたとのことです。空襲は、明日以降も反復して行う模様」
第七〇一航空隊(旧美幌航空隊)および第五〇二航空隊は、ともに北海道・千島方面に展開する陸攻・陸爆部隊であった。これらが、樺太沖のソ連輸送船団に対して空襲を行ったことを、通信は伝えていたのである。
「敵上陸船団の詳細な情報は判らぬか」
だが、司令長官用の座席に腰掛けている五藤中将は報告に満足していない様子であった。
空襲の成果も「艦種不詳七隻炎上」というものであり、具体性に欠けている。基地航空隊は、輸送船団およびそれを護衛しているソ連艦隊の陣容を十分に掴めていないらしい。
それが、五藤中将には不満だったのである。
「はい。塔路沖に敵輸送船団が展開しているのは確実のようですが、それ以外の情報、特にソ連海軍北太平洋小艦隊の動向は依然として掴めておりません」
「とはいえ、我が艦隊が塔路沖に突入するとなれば、当然、ソヴィエツカヤ・ガヴァニを根拠地とする北太平洋小艦隊の迎撃は覚悟せねばなるまい」
第七艦隊が撃滅を企図しているソ連輸送船団は、樺太西方海上に存在している。
つまりはユーラシア大陸と樺太に挟まれた間宮海峡が目指すべき海域であり、当然、間宮海峡に面しているソヴィエツカヤ・ガヴァニを根拠地とするソ連北太平洋小艦隊の存在は第七艦隊が敵輸送船団に突入する際の障害となる。
また、ウラジオストクを根拠地とするソ連海軍太平洋艦隊主力部隊の動向も気掛かりではあったが、こちらについては出撃したという情報はもたらされていない。
第四潜水戦隊の報告や第十一航空艦隊の索敵結果から判明している情報であるので、ソ連太平洋艦隊主力部隊がウラジオから動いていないという点については確実だろう。
そうなるとやはり、樺太沖に展開するソ連海軍北太平洋小艦隊の存在が気に掛かってくる。
「十六ノットで北上し、樺太沖への到達は十九日黎明となるか」
現在、第七艦隊は十六ノットで北上を続けていた。対潜警戒のための之字運動などの必要から、樺太沖への到達日時はそのくらいになるだろうと見積もられている。
「明日以降、四航戦および九航戦に命じ、索敵機を北海道西方沖や樺太沖に放たせて敵情を探るべきだろう」
「承知いたしました。索敵計画を立案の上、長谷川少将に伝達いたしましょう」
長谷川少将とは、四航戦司令官の長谷川喜一少将のことであった。恐らく、艦隊司令部も含めて第七艦隊内で最も航空部隊の指揮経験が豊富な人物である。
そもそも、司令長官である五藤存知中将は水雷屋であり、参謀長の岩淵三次少将は砲術屋であった。司令長官と参謀長はともに、航空部隊を指揮した経験に乏しいのだ。
一方の第四航空戦隊司令官・長谷川喜一少将は水雷学校出身ながら、その後は航空隊司令や空母龍驤、赤城艦長などを歴任、母艦航空隊の練成部隊である第五十航空戦隊司令官も務めるなど、航空戦に造詣の深い人物であった。
これは、ソ連太平洋艦隊を牽制するという目的の下に編制された第七艦隊の歪さが現れた形といえる。
戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦と、各艦種をまんべんなく集めて見かけ上は有力な艦隊に見せかけてはいたものの、戦艦部隊としても空母部隊としても、あるいは潜水艦部隊としても、中途半端な戦力でしかなかったのである。
そこに、基本的には兵学校の席次と年功序列で決まる海軍の人事制度が合わさり、司令長官や参謀長自身も自艦隊の効率的な運用方法をよく理解していない状況が生じていたといえよう。
このため、基本的に航空戦に際しては四航戦司令官の長谷川少将に指揮を一任するというのが、五藤長官や岩淵参謀長の方針になっていた。
事実、先日のソ連艦隊への航空攻撃でも、実際の指揮を執っていたのは長谷川少将であった。
「果たして、ソ連の北太平洋小艦隊はどう出てくるか……」
五藤中将は艦橋の窓から遙か彼方の樺太沖を幻視していた。
先日の東朝鮮沖海戦ではソ連太平洋艦隊主力と沿海州のソ連航空部隊によって艦隊が損なわれることを危惧して航空攻撃のみに留めてしまったが、今回はそうはいかないだろう。
東朝鮮沖海戦は、第七艦隊主力が駆け付ける前に田中頼三少将率いる第六戦隊以下の艦艇がソ連艦隊と輸送船団を壊滅させていた。だから正直、第七艦隊主力には残敵掃討程度の役割しか存在していなかった。
だが、今回はそうではない。
五藤自らが率いる第七艦隊主力を以て、樺太沖の敵艦隊を排除し、敵輸送船団を撃滅しなくてはならないのだ。
ソ連海軍北太平洋小艦隊には、ソヴィエツキー・ソユーズ級三番艦ソビエツカヤ・ベロルシアがいるという。
果たして三十六センチ砲搭載戦艦である伊勢型二隻で敵う相手であるのか。
五藤がその表情を厳しいものにしていく中で、艦隊は樺太沖を目指して北上を続けていた。




