64 松花江戦線概況
ただし、東部国境方面とはいっても、その全域が危機的状況に陥っているわけではない。
虎頭や綏芬河、東寧といった東部国境正面については、関東軍が沿海州攻略作戦を断念させる要因となった森林などの地形的障害があり、また虎頭要塞に代表される各要塞の奮戦もあって、牡丹江方面への突破を目指すソ連軍を食い止めることに成功していた。
問題となっているのは、松花江流域の東部国境北部であった。
この方面の守備を担っているのは、山下奉文中将率いる第一方面軍(司令部:牡丹江)麾下の第二軍(司令部:佳木斯)および海軍の哈爾浜特別陸戦隊一個旅団であった。
第二軍が守備を担うのは三江省(省都:佳木斯)とほぼ重なる地域であった。黒龍江(アムール川)、松花江、ウスリー川の三つの大河が合流する地域でもある。そのため、この地域一帯は湿地が多く、大規模な部隊を展開させるには適さない地域とされてきた。
佳木斯はこの地域の中心的都市であり、交通の要衝でもあった。
松花江の河川港として発展してきたこの都市は、鉄道や道路などの結節点となっていたのである。綏佳線(綏化―佳木斯)、あるいは松花江を利用した舟運によって、哈爾浜とも直接に繋がることが可能だった。
佳木斯北東一三〇キロの位置にある同じく松花江沿いの街・富錦もまた、商業都市として発展してきた街であり、軍事的に見れば佳木斯の前方拠点であった。
日本側は佳木斯に第三師団、富錦に第六師団を配置して防衛体制を固めていた。さらに佳木斯には陸軍第四飛行師団が司令部を置いていた。ここに、柴崎恵次少将率いる哈爾浜特別陸戦隊第二旅団が加わる。
これに対しソ連軍は、ハバロフスク方面より第二極東正面軍第十五軍およびアムール小艦隊が合同しての水陸両用作戦を敢行したのである。
第十五軍の兵力は三個狙撃師団および三個戦車旅団を基幹として、戦車・自走砲一六四輌、火砲一四三三門。これを、アムール小艦隊の砲艦六隻を基幹とする二個分艦隊が支援しながら松花江を遡上し佳木斯の占領、そして哈爾浜進撃を行うというのが、ソ連側の作戦の骨子であった。最大の障害となる湿地帯の突破には、大量の工兵を投入することで解決しようとした。
八月九日、開戦と同時に第十五軍はアムール小艦隊の支援を受け、まず黒龍江上に存在する満洲国領となっている島々を占拠して、日本軍監視哨陣地を電撃的に壊滅させた。日本側守備隊は、短時間で全滅している。
そうして渡河のための障害を除去したソ連第十五軍は、松花江と黒龍江との合流地点から少し下流に行ったレニンスコエとヴォスクレンスコエを渡河、松花江右岸(東岸)へと侵攻を開始したのである。
最初に上陸した第三六一、第三八八狙撃師団および第一七一戦車旅団は、そのまま富錦に向けて前進を開始、さらに同時に第六三〇狙撃連隊が撫遠に上陸した。
撫遠は、東方にハバロフスクを臨む満洲国東端に近い街であり、ここを占領しなければソ連軍は黒龍江・松花江の安全な航行が不可能であったのだ。
だが、その戦略的重要性に対して、日本側は撫遠の防備をほとんど固めていなかった。撫遠はあまりにもソ連領に向けて突出し過ぎており、逆に松花江上流に上陸されれば容易に孤立してしまう位置に存在していたからである。
このため撫遠にあった部隊は、航空監視などを担う三十名あまりの将兵のみであった。
一方、開戦前、撫遠には一九〇名の日本人開拓団などがいた。しかし、開拓団の順次引き揚げ方針もあり、これに撫遠の開拓団が応じたため、開戦時点では日系警察官および日系官吏の男子三十名あまりが存在するだけとなっていた。彼らは日ソ開戦に伴い、即日、軍に召集されていた。
上陸したソ連軍に応戦したのは、この六十名の日本人たちであった。
佳木斯の飛行場からはソ連軍上陸部隊に対する航空攻撃が実施されたものの、主に富錦に向けて進撃を開始しようとしている部隊に集中し、撫遠に対しては十分な航空攻撃が行われたとは言い難い。
結果、九日夕刻までに召集された日系警官および日系官吏も含めた六十名あまりの日本軍守備隊は玉砕、辛うじて七名が友軍陣地に収容されたに過ぎなかった。
一方ソ連軍は、八月十日、黒龍江上流ブラゴスロヴェノでも上陸作戦を敢行していた。黒龍江と松花江に挟まれた地域(つまり松花江左岸)より、北側から佳木斯を突くためである。
兵力は、第三十四狙撃師団および第二〇三戦車旅団であった。
松花江流域には満洲国の江上軍(河川砲艦を中心とした陸軍船舶部隊)が存在しており、順天など四隻の砲艦が佳木斯周辺にあったものの、ソ連のアムール小艦隊との戦力差から積極的な出撃は行わず、もっぱら佳木斯防衛のために留め置かれていた。
さらに日本側は松花江に船を沈めて障害としようとしたが、八月が雨季であったことから川の水量が増しており、ソ連アムール小艦隊の遡上を十分に阻止し得なかった。
このため、日本側はアムール小艦隊に護衛された地上部隊の上陸を各所で許すことになってしまったのである。
ソ連軍の上陸および撫遠の玉砕を受け、日本側第六師団は富錦に向けて進撃するソ連軍に対して遅滞防衛戦を開始、この地域に多い満蒙開拓団員たちが避難する時間を稼ぎつつ、戦力を富錦に集結させてソ連軍の佳木斯への進撃を阻止することを決定した。
一方、佳木斯の第三師団は、黒龍江を渡河して松花江左岸に上陸したソ連軍の迎撃に当たっていた。ここには、哈爾浜特別陸戦隊第二旅団も加わっている。
こうした日本側の防衛体制に対し、黒龍江を渡河し松花江左岸に上陸したソ連軍第三十四狙撃師団および第二〇三戦車旅団は、佳木斯に向けて南下を開始、まずは佳木斯北方に存在する炭鉱の街・鶴崗の占領を目指して前進を始めたのである。東方から佳木斯に迫る第三六一、第三八八狙撃師団、第一七一戦車旅団と共に、日本側第二軍を挟撃しようという構えであった。
佳木斯を守る第三師団は、その北側第一線の防衛陣地を鶴崗北方の村落・鳳翔に敷いていた。しかし八月十二日から十三日の戦いにおいて、数に勝るソ連軍は日本軍の鳳翔陣地を奪取、さらに南方の鶴崗に向けて迫ったのである。
こうして、伊東徳夫大尉に率いられた三式砲戦車など海軍陸戦隊も含めた形での、鶴崗防衛戦が開始されたのであった。
ここを突破されれば佳木斯の陥落を防ぐのは難しく、仮に佳木斯が陥落すれば富錦に拠る第六師団は東西からソ連軍によって包囲されることになる。
また、鶴崗を放棄して佳木斯へと撤退することになった場合、背後の松花江が河川障害となって戦車や重砲などの重装備はすべて放棄しなければならない(そのまま松花江左岸に沿って哈爾浜へ後退することも可能であったが、そうするには佳木斯を放棄する決断が必要)。
そうした意味でも、松花江戦線は関東軍司令部に難しい作戦指導を迫る戦線だったのである。
「現状の戦況を鑑みますと、第二航空軍に対しては航空撃滅戦よりも地上支援を優先させるべきかと」
そう言ったのは、関東軍第一課長(作戦課長)松村知勝大佐であった。
「従来、我が航空部隊は対ソ戦に際しては沿海州方面の敵航空基地を撃滅、以て本土への空襲を阻止することを求められておりましたが、現状では徒に航空兵力を消耗するだけであると考えます」
「今のところ、ソ連の重爆による本土空襲が行われたとの報告はない」
梅津総司令官が、松村作戦課長の言葉に応じた。
「北満油田の防空の成果を見るに、仮に本土空襲が行われたとしても内地の航空戦力で十分に迎撃が可能であろうな」
「はい。こちらの迎撃戦の戦果を見ますと、徒に航空攻勢に打って出るのはかえって我が軍の航空戦力の消耗を早めることとなりかねません。ここは戦闘機による迎撃と、襲撃機による地上攻撃に集中し、ソ連軍の満洲国中枢への進撃を阻止すべきかと」
「だとしても、シベリア鉄道爆撃作戦はすでに発令してしまっている」
いささか語気を強めて反論したのは、参謀副長の池田純久少将であった。
「シベリア鉄道を叩かねば、ソ連軍の兵站に打撃を与えることは出来ん」
池田少将は国家総動員政策に精通している人物であり、だからこそソ連西部地域からの動員や兵站の大動脈となっているシベリア鉄道爆撃作戦の重要性を認識していたのである。
「はい。シベリア鉄道爆撃作戦については私も行うべきと考えております。しかし、敵航空基地への攻撃など、こちらの航空戦力を消耗させかねない航空攻勢については、当面、控えるべきでしょう」
「実際、現状の戦況で航空攻勢に打って出るだけの余裕はない。開戦以来の航空機の消耗や戦果も考えれば、作戦課長の意見は妥当であろう」
梅津大将は、松村作戦課長に同意した。
開戦以来、陸軍航空部隊は空襲を行おうとするソ連軍爆撃機の迎撃と、侵攻する地上部隊に対する攻撃とで忙殺されていた。とても、爆撃機とそれを護衛する戦闘機を、ソ連領内の航空基地に差し向ける余裕はなかったのだ。
その意味では、松村大佐の方針は現実的なものであった。
「シベリア鉄道への爆撃作戦を除き、今後の航空作戦についてはソ連軍爆撃機に対する迎撃と地上部隊への攻撃に絞り、その侵攻を阻止することに努めるべきであろう。海軍にも、そのように伝達することとする。よいな?」
総司令官として、梅津は関東軍の航空作戦の方針をそのように決定するのであった。




