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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第三章 日ソ開戦編

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55 最初の海戦

 カムチャッカ沖の夏の日照時間は長い。

 流石に白夜のように一日中太陽が沈まないということはないが、カムチャッカ半島付近の八月の日照時間は十七時間を超える。

 午前四時過ぎにはもう水平線の彼方に太陽が現れ、それがようやく西の空に沈むのが午後の九時半過ぎである。

 また、南からやってくる高気圧が寒流である親潮によって冷やされ、霧が多く発生するのも夏の時期の特徴であった。

 とはいえ、この海域で長年、漁業を営んできた者たち、そして彼らをソ連官憲から保護してきた海軍の者たちにとって、そうした北太平洋特有の気象条件は十分に理解されていた。

 日ソ開戦を択捉島沖で報された戦艦大和が航行しているのは、そうした海域であった。

 日付が八月八日から九日へと変わった直後に日ソ開戦に関する通信を傍受した第一艦隊と第五艦隊は、夜間演習を切り上げて択捉島単冠湾へと帰還。大和以下第一艦隊に所属する各艦は湾内で待機していた油槽船からの給油を受けると、角田覚治司令長官の指揮の下、カムチャッカ半島ペトロパブロフスク・カムチャッキーへの砲撃に向かうべく、出撃したのである。

 第一艦隊の単冠湾出撃時刻は、八月九日一三〇〇時のことであった。

 すでに〇八三〇時の時点で、ペトロパブロフスク・カムチャッキーへの艦砲射撃を期して出撃するという電文を連合艦隊司令部に対して送っている。


「結局、GF司令部からは何もありませんでしたな」


 大和戦闘(昼戦)艦橋に佇みながら、小柳冨次参謀長が言った。

 第一艦隊は単冠湾から出撃を開始したというのに、大淀のGF司令部からの通信はなかったのである。


「今さら引き返せと言われても困る。GF司令部が何も言ってこないのであれば、それはそれでいいではないか」


 司令長官用の座席に腰掛けている角田中将が、苦笑して応じた。


「独断専行は承知の上だが、このまま帝国海軍最強の戦艦がおめおめと柱島に帰るわけにもいくまい。全軍の士気にも関わる」


 確かに、開戦となった以上、整備のために呉に帰投する必要性はあるだろう。また、帝国海軍最強の戦艦を不用意な危険に晒さないという慎重さも求められるだろう。

 だが、角田はそのすべてを無視した。

 ソ連海軍の根拠地の一つであるペトロパブロフスク・カムチャッキーまで一昼夜程度の距離であるというのに、世界最大の四十六センチ砲搭載の大和型が引き下がるようなことになれば、将兵の士気に悪い影響を与えかねない。

 そして、見敵必殺を旨とする角田の信条からも、柱島への帰投という選択肢は相容れないものだ。

 公海上での臨検、北太平洋での不当な漁民の取り締り、そして日本本土を周回するような艦隊演習、そうした狼藉行為を重ねてきたソ連海軍に対し、一矢報いてやらねば気が済まなかった。

 もちろん、角田としてはソヴィエツキー・ソユーズを旗艦とするソ連太平洋艦隊との決戦こそが、鉄砲屋として望むものである。しかし、今はまだその時ではない。

 現在、角田の手元にある戦力は、第一戦隊(大和、武蔵、信濃)、第三航空戦隊(瑞鳳、祥鳳)、第九戦隊(大井、北上)、第三水雷戦隊(川内および駆逐艦十二隻)だけである。

 ソ連との艦隊決戦に臨むのであれば、第二戦隊(加賀、土佐、長門、陸奥)と第一水雷戦隊(阿武隈および駆逐艦十二隻)を欠いた状態ではなく、第一艦隊の全力を率いて臨みたい。

 さらに、千島沖からウラジオストクまでの距離という問題もあるし、流石に逸り過ぎであろうという自覚もあった。

 だからこそ、開戦劈頭にソ連海軍に対して痛撃を加えることが出来、またそれによって太平洋航路の安全を確保出来るアバチャ湾への艦砲射撃を、角田は選んだのである。

 連合艦隊司令部からの返答がもたらされたのは、すでに艦隊が千島列島を北上中であった九日一八〇〇時過ぎのことであった。それは、第一艦隊司令部の作戦を承認し、千島列島に展開する航空部隊に対して第一艦隊の支援を命じた、というものであった。

 つまり、連合艦隊司令部は角田らの作戦計画を正式に追認したわけである。

 これは、樺太沖で鈴谷丸がソ連海軍潜水艦によって撃沈されたことが影響していた。つまりGF司令部は、海軍としての面子からソ連に対して何らかの戦果を挙げる必要性に駆られていたのである。

 この時、千島列島には千島防空を担当する第二五四航空隊および水上偵察機部隊である第四五二航空隊が展開していた。

 また、大湊警備府麾下で海上護衛を担当する第九〇三航空隊、横須賀鎮守府麾下の飛行艇部隊である第八〇一航空隊の一部も、千島列島に進出している(なお、鎮守府および警備府は、軍政事項については海軍省から、統帥事項については軍令部からそれぞれ命令を受けるため、連合艦隊司令部の指揮下にはない)。

 これら航空隊によって、十日黎明を期してアバチャ湾の偵察および第一艦隊の上空直掩を担当することとなった。

 角田も十日から十一日にかけての夜間におけるアバチャ湾砲撃を計画し、搭載水偵による吊光弾投下や三水戦による湾口の掃討などの詳細について小柳参謀長らとの打ち合わせを行っている。

 しかし、十日から十一日の夜間にかけては天候が芳しくなかったため、一度、艦隊は南へ退避し、十一日から十二日の夜にかけて、再度の砲撃の機会を狙うこととなった。

 十一日の昼間は瑞鳳、祥鳳から発進した烈風による対空警戒、そして九七艦攻による対潜警戒を行いつつ、第一艦隊も自ら水偵を発進させてアバチャ湾内の偵察を行っている。

 この時、日本側がアバチャ湾内に確認したのは、駆逐艦四隻、輸送船二十隻あまりというものであった。

 前日の十日に行われた第四五二航空隊の偵察結果と合せ、アバチャ湾内には有力な敵艦隊は存在しないと角田らは判断する。

 こうして、水偵による弾着観測も望める程度の天候となることが予想されたため、十一日から十二日にかけての夜間を期してペトロパブロフスク・カムチャッキー砲撃作戦が実施されることとなった。


  ◇◇◇


 この時、アバチャ湾内にあったのは、NKVDの警備艦キーロフ、ジェルジンスキー、海軍の機雷敷設艦オホーツク、掃海艇四隻、哨戒艇八隻、輸送船十四隻、それに十隻程度の魚雷艇など小規模な艦隊のみであった。

 日本側はキーロフやジェルジンスキー、そしてウラガーン級哨戒艦を駆逐艦と誤認していたわけである。

 キーロフ級警備艦は排水量一一〇〇トンと駆逐艦並みの船体ではあったが、主要な武装は一〇二ミリ砲二門と機銃、爆雷のみで雷装はなく、速力も二十ノットと低い。一方のウラガーン級哨戒艦は排水量六〇〇トン前後(型によって多少前後)、一〇二ミリ砲二門および四五〇ミリ三連装魚雷発射管一基などを搭載しているものの、実用的な速力は二十三ノット程度が限界であった。

 これらアバチャ湾所在の海軍部隊を指揮するのはドミトリー・ポノマリョフ海軍大佐である(NKVD所属のキーロフとジェルジンスキーも、対日侵攻作戦に合せて海軍に編入されていた)。

 カムチャッカ半島に展開する航空部隊は、第一二八混成飛行師団および海軍飛行連隊の合計七十八機のみであり、軽空母である瑞鳳、祥鳳の搭載機数を合計した数をわずかに上回る程度であった(瑞鳳、祥鳳はそれぞれ烈風二十一機、九七艦攻九機の計三十機を搭載している)。

 しかし、スターリンはこれらの兵力で、千島列島の奪取を目論んでいたのである。

 それは、この地域がアメリカ領アリューシャン列島に近く、日本はアメリカを刺激しないために大規模な兵力を展開することは政治的に不可能だろうと見込んでたからだと言われる。

 しかし、現実として日本海軍の大艦隊(ソ連側から見れば)がアバチャ湾に接近していることが確認されると、海軍側指揮官ポノマリョフ大佐と陸軍のカムチャッカ防衛区司令官アレクセイ・グネチコ少将は半ば恐慌状態に陥った。

 ある意味で彼らは、赤い独裁者の楽観的予想の代償を支払わされることになったといえる。

 もちろん、スターリンが自らの情勢判断の誤りを認めることはない。すべての責任は、現場にいるグネチコ少将とポノマリョフ大佐がとることになる。

 彼らは、自分たちには日本艦隊との交戦で戦死するか、生き残っても職務怠慢、あるいは日本のスパイという名目で敗北の責め負わされて処刑される未来しか残されていないと、半ば絶望的な気分に陥っていた。

 アバチャ湾に存在する戦闘艦艇すべてをかき集めたとしても、日本艦隊には敵わない。

 それでもポノマリョフ大佐は、千島攻略作戦の指揮を執るために旗艦と定めた警備艦キーロフに座乗し、日本艦隊の迎撃のために出撃したのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 艦隊毎亡命してきてもええんやで……(憐憫の目)
[一言] これは流石にソ連側が哀れすぎるw
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