54 日ソ開戦に対するアメリカの態度
日本政府からの訓令を受けた野村吉三郎駐米大使および山本五十六特使と、ルーズベルト大統領・ハル国務長官との会談が実現したのは、現地時間の八月九日午前十一時のことであった。
日本とワシントンD.C.との時差は十四時間であり、すでに日本では八月十日を迎えていた時刻である。
外務省からの訓令が駐米日本大使館に届けられたのは日本時間九日十四時のことであり、当然、ワシントンD.C.はようやく九日の午前零時を回ったところであった。日本大使館は暗号解読後、即座にアメリカ側に会談を申し込んだとはいえ、どうしても会談の時刻は翌朝以降に持ち越さざるを得なかったのである。
ソ連からの宣戦布告の確認が遅れたこともあり、明らかに日本側の対米工作はスターリンに対して後れをとっていた(もちろん、吉田外相や野村大使、山本特使はそうした事情を知らないが)。
「貴国がソ連と開戦したこと、すでに私もグルー大使より報告を受けています」
野村がルーズベルト大統領とハル国務長官にソ連の対日宣戦布告を伝えると、ハルはそのように応じた。
グルー大使とは、駐日アメリカ大使であるジョセフ・グルーのことである。
「極東でこのような事態が発生したことに対し、合衆国は深い懸念を示します」
「はい、我が国としても、このような事態になりましたことは極めて遺憾であります」
ハル長官の言葉に、野村はそう応じた。
「この上は、一刻も早く極東地域に平和を回復することが重要でありましょう。ついては、これ以上の極東地域での紛争が拡大する前に、貴国政府に日ソ講和の斡旋の労をとっていただきたい」
「ふむ。我が合衆国としても極東での紛争拡大は憂慮していますので、講和の仲介をすることにやぶさかではありませんが、極東における紛争の根本原因を取り除かない限り、こうした事態は何度でも発生しましょう」
ハルの言葉は、日本側の要請に対して前向きなものとは言えなかった。
「私はグルー大使以外にも、ハリマン駐ソ大使からの報告を受けております。それによりますと、スターリン首相は、貴国が幾度にもわたり日ソ中立条約に違反し、さらには貴国が不法にも樺太・千島を占拠していることが、今回の事態の根本原因であると述べたようです」
「それは、ソ連の一方的主張ではありませんか?」
流石にハルの発言を認めるわけにはいかず、野村は険しい声で応じた。
「そもそも、日ソ中立条約が依然、有効であるにもかかわらず侵攻を開始したのはソ連であり……」
「野村大使」
野村の発言を遮るように、ハルはぴしゃりと言う。この非礼に、野村は思わず不愉快そうな表情を見せた。
「スターリン首相の主張如何にかかわらず、私は今回の事態の原因の一端は貴国に存在すると考えています。九ヶ国条約に違反した満洲事変、これがすべての原因であり、現在の米日関係においても大きな障害となっている問題です。中国における領土保全と機会均等、門戸開放、こうした理念を貴国は蹂躙し続け、周辺諸国に軍事的脅威を及ぼしてきたのです。その結果が、ソ連の貴国への宣戦布告であると、そうお考えにはなりませんか?」
「貴国はかねがね、ドイツを侵略国家であると断じ、五年前の冬戦争の際にはフィンランドに侵攻したソ連に対しては道徳的禁輸措置をとっておられた。だというのに、此度のソ連の侵攻に際しては、ソ連側の正当性を認めるような発言をなさる。長官の今の言葉は、我が国にとってまったく受け入れられないものです」
野村は、語気を強くして反論した。ハル長官の発言は、あまりにも一方的かつ二重規範に満ちたものであったからだ。
「私の発言は、何も矛盾しておりません」だが、ハルの態度は変わらなかった。「私は貴国に対して、何度も九ヶ国条約の精神に反していると申し上げてきました。中国の領土保全、機会均等、門戸開放、こうした我が国従来の主張をことごとくはね除けてきたのは、貴国自身ではありませんか?」
「……どうやらこの点に関して、私と長官とは見解を異にしているようですな」
話があまりにも嚙み合わない上、この期に及んでもハル四原則(領土主権の尊重、機会均等、内政不干渉、太平洋の現状維持)に固執するこのアメリカ国務長官に対して、野村は辟易とした思いを抱き始めていた。
「野村大使」
そうした両者の険悪な雰囲気をなだめるように、ルーズベルト大統領が口を開いた。
「我が国はあくまでも極東の平和を願っていることに変わりはありません。ソ連との講和に仲介が必要なのであれば、我が国はかつてのセオドア・ルーズベルト大統領のように、その労を惜しみません。しかし、貴国とソ連……当時はロシア帝国でしたが……との間の平和がわずか四十年しか続かなかったこともまた事実。極東に恒久的な平和を確立するためには、貴国もまたその対外政策を平和的なものに転換する必要性があると、私や国務長官は主張したいのです」
「では、同じことをソ連に対しても主張なさるのですかな?」
会談の成り行きを見守っていた山本五十六が、口を開いた。
「極東に恒久的な平和を確立するためには、当然、講和の仲介に際して、南下政策じみたことを未だ続けているソ連に対しても、平和的外交への転換を貴国は求めるものと解釈してよろしいですな?」
「ええ、ソ連側の主張で正当な部分は認め、そうでない部分については我が国としても認めるつもりはありません」
「大統領の公正中立なご姿勢に、感銘を受ける次第です」
半ば皮肉を込めて、山本はそう返した。
日本が日ソ中立条約に違反しただの、樺太・千島を不当に占拠しているだの、ソ連側の主張に正当性があるとは到底思えない。にもかかわらず、ソ連の正当な主張について云々しようとするルーズベルト大統領に、山本は懐疑的であった。
要するに、ソ連による満洲侵攻という事態に直面してなお、ルーズベルト政権はソ連に融和的な姿勢を継続するつもりなのだろう。アメリカにとって日本はなお仮想敵国であり、その日本と敵対するソ連はアメリカにとって実質的な味方だという認識ということか。
山本は内心でそう分析した。
結局、この日の会談はルーズベルト大統領から講和斡旋の労を惜しまないという儀礼的な返答を得るのみで終わり、アメリカの日本に対する好意的な態度を引き出すことは失敗に終わったのである。
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「大統領閣下、私は従来通り日本に対し厳しい姿勢で臨むことには賛成いたしますが、それは必ずしもソ連に対する融和的な姿勢に結び付くものではないと考えます」
野村吉三郎と山本五十六が去ったホワイトハウスで、ハル国務長官はルーズベルト大統領に対してそう進言していた。
「今回のソ連の対日侵攻を受けてなお、ソ連に対し融和的な姿勢で臨む続けることは、合衆国にとって危険であると申し上げざるを得ません」
「ふむ。ハル国務長官、君が東欧をドイツと共に分割し、フィンランドを侵略したソ連に思うところがあるのは判るが、今、我が国にとって真に脅威となっているのは太平洋を挟んだ日本、そしてヨーロッパを征服したドイツなのだ。その両国と対峙するソ連を無下に扱うことは、合衆国の安全保障上、得策とは言えまい」
だが、ルーズベルトはハルの意見をやんわりと退けた。
もともと、ルーズベルトは国務長官であるハルを飛び越えて側近と共に独自の外交を進める傾向が強かった。自由貿易論者でもあるハルにとってルーズベルトのニューディール政策は思想的に相容れない部分もあり、政権発足当初から国務長官を務めているという経歴に比して、ハルの政権内部での影響力は限定的であったのだ。
ハリマン駐ソ大使からはスターリン首相の主張が伝えられると共に、大使としての立場からソ連の対外政策について警戒を要すべきという具申も届けられており、ハルは日本と同程度にはソ連もまた警戒すべき国家であると捉えていた。
だが、ルーズベルトは日本への警戒心もあり、同じく日本と対峙しているソ連に融和的な姿勢を崩していなかった。
政権内部におけるハルの国務長官としての影響力が限定的である以上、ルーズベルトの対外認識こそがアメリカ外交の主軸であったのである。
つまり日本が期待する日ソ戦争におけるアメリカの好意的態度というのは、日本の楽観的な対米観の中にしか存在し得ないものであったといえよう。




