47 ソ連の対日宣戦布告
外務人民委員(外相)モロトフから駐ソ大使・佐藤尚武が宣戦布告の文書を手渡されたのは、日本時間一九四四年八月八日午後十一時(モスクワ時間八日午後五時)のことであった。
これまで日本海公海上におけるソ連海軍による臨検問題や北太平洋での漁船取り締り問題について会談を求めてきた佐藤は、モロトフからクレムリン宮殿に呼び出されたことでようやく交渉の糸口が掴めるものと、当初は期待していた。
もちろん、これまでのソ連側の冷淡な態度からして友好的な形での交渉は望めないだろうが、少なくともソ連を交渉の席に着かせることが出来るだけでも一歩前進であると考えていたのである。
クレムリン宮殿に到着した佐藤大使は、モロトフ外相とは久しぶりの面会となるためまずは儀礼的にせよ挨拶を交そうとした。
だがモロトフは、佐藤の挨拶を途中で遮ると、何の前置きもなく突然、一つの文書を読み上げ始めた。
「我がソビエト社会主義共和国連邦は、建国より二十余年、万国人民の福祉と安寧、諸国民の平和と友好を衷心より希求し来たれり。よって、ソ独不可侵条約およびソ日中立条約は万邦の平和を切望するソ連人民の統一された意思により締結されたものなり。しかるに、貴国・大日本帝国は今日に至るまで帝国主義的野望により世界人民の冀求に背き戦禍を極東に広げたること十余年、この間、ソ連人民は隠忍自重、日本人民の平和友好の精神を信じ続けたり。されど、日本帝国主義勢力はソ日両国人民の切なる願いを顧みることなし」
厳かながらも威圧的な口調で、モロトフは文章を読み上げていった。
一方的に滔々と、日ソ中立条約以来、日本がどれだけの条約違反を犯し、それに対してソ連がどれだけの譲歩をし、世界平和を維持すべく努力と忍苦を重ねてきたかを述べ続ける。
「……」
ロシア語とフランス語に堪能な佐藤尚武(帝政ロシア時代、ロシア上流階級はフランス語の方をよく用いていたため)は、通訳を介さずともモロトフが何を言っているのかが判った。
そのあまりに一方的で独善的な主張に、内心で唖然とするばかりである。
ソ連は一九二二年の建国以来、世界平和を切望し続けてきたというが、一九二〇年代の時点で奉ソ戦争のように帝政ロシア時代の権益を維持しようと対外戦争を仕掛けているではないか。そして第二次欧州大戦が始まるやドイツと共に東欧を分割し、さらにフィンランドに対し理不尽な理由で侵攻を行っている。
とても、ソ連が世界の平和を擁護しようとしているようには見えない。
だが、ソビエト連邦という国家が自国の非は一切認めず、かえって言い掛かり的理由で他国を批難する国家であることを、佐藤は理解していた。
自分がこれまで交渉を求めてきた日本海公海上での臨検問題や北太平洋での日本漁民取り締り問題について、モロトフは厳しい態度で臨もうとあえて仰々しい言い回しをしているのだろうと、佐藤は若干不愉快に思いながら彼の口上が終わるのを待っていた。
だが、モロトフの読み上げる文章は後半に行くに従って徐々に不穏なものとなっていく。
「―――よってソ連政府は、東洋平和の回復、世界平和の促進、ソビエト・日本・中国・朝鮮・モンゴル各人民の将来の犠牲を防止し、併せて帝国主義政府の弾圧を受ける日本人民を救済し、極東より帝国主義勢力を取り除き、以て極東を危険と破壊から救う唯一の手段を執らざるべからざる情勢に至れりと判断す。以上の見地より、ソ連政府は明日、即ち八月九日より同政府は日本と戦争状態にあるべき旨を宣言す」
「……」
モロトフの口上が終わると、佐藤は表情を険しくせざるを得なかった。
「……ただ今のモロトフ外相の宣言は、本使の誠に遺憾とするところである」
佐藤は、最早日ソ開戦は避けられないものと自覚しながらも、そう言わざるを得なかった。
「日本国民を救済すると称して我が国に宣戦布告をなすとは、まったくもって理解し難い」
「私の読み上げた宣言は、ソ連政府の意思を代表したものである。その宣言のすべてにおいて、貴国は了解しなくてはならない」
だが、モロトフは冷厳な態度で佐藤の言葉をはね付けた。
是非もないと思い、佐藤はこのソ連外相に確認する。
「八月九日より戦争状態に入るとは、八月八日は平和状態にあり九日より戦争状態にあると理解してよろしいか」
「その通りである」
時計は、午後五時を指している。モスクワ時間で考えればあと七時間の猶予があるが、極東時間で考えれば今は八日午後十一時。
日付が変わるまで、あと一時間しかないと見るべきだろう。
「先の宣言を本国に打電することに支障はないでしょうな?」
「貴使が先の宣言や本会談の内容について本国に打電することは、外交特権として認められている」
モロトフは、事務的な口調で答えた。その態度にますますソ連政府というものへの不信を感じながら、佐藤は吐き捨てるように言った。
「では、私はこれにて失礼させていただく」
そうして彼は、急ぎ日本大使館へと向かった。当然、本国にソ連による宣戦布告の事実を伝えるためである。
◇◇◇
「君、電信局への手回しはしているな?」
佐藤大使がクレムリン宮殿から去ると、モロトフは側に控えている秘書官に確認した。
「ダー、同志モロトフ。すでに電信局には日本側の電報を受理しても発信しないよう、命じてあります」
「よろしい。これで日本政府が宣戦布告の事実を知るのは遅れよう。我が赤軍は、日本に対し完全なる奇襲攻撃を仕掛けられるわけだ」
モロトフは満足げに頷いた。
対日宣戦布告にあたり、ソ連側は出来るだけ開戦時の優位を確保出来るよう、策を巡らしていた。その一つが、宣戦布告の事実が日本本国に届かないように妨害することであった。
スターリンは、対日開戦にあたってアメリカの好意的態度を取り付けるようモロトフに命じている。また、ソ連も一応、ハーグ開戦条約に批准している国家であった。
そうした要因もあり、宣戦布告なしの騙し討ちのような形で日本に奇襲攻撃を仕掛けることは、かえって戦争の正統性を失わせ、アメリカの好意的態度を期待出来なくしてしまうものであると判断されたのだ。
そこで考え出されたのが、宣戦布告の文書を日本側に手交しつつ、それを日本本国が把握出来ないようにすることであった。
この時期、宣戦布告についてはハーグ開戦条約という明文化された国際法が存在していたが、外交特権についてはあくまで国際慣習に留まっていた。在外公館と本国との間の通信を妨害することは国際慣習には反するものの、明文化された国際法がない以上、どうとでも取り繕えるとソ連側は考えていたのである。
大使館に帰った佐藤は早速、宣戦布告の事実を本国外務省に打電しようとするだろうが、それをモスクワの電信局が打電しないよう、ソ連側は密かに命じていたのだ。
宣戦布告文書の手交と違い、電信を打電しなかったことについては様々に言い逃れが出来る。曰く、受理した記憶がない、他の電報の中に紛れ込んでしまった、云々。
さらに、ソ連政府ではなく電信局の手違いとして、ソ連政府自体が責任を回避することが出来るのだ。最悪、この日担当の電信局員を処分すれば、それで済む話だ。
モロトフはひとまず自分の仕事は終わったと思い、そのことをスターリンに報告しようとする。
「同志スターリンは、まだ映画をご鑑賞中かね?」
スターリンの警護官に、モロトフは確認する。
「はい、同志モロトフ。おっしゃる通り同志スターリンは映画をご鑑賞中であられます」
スターリンは、大の映画好きであった。日々の執務の疲れを癒すために、クレムリン宮殿にいる間は毎日のように映画を見ているのだ。時には、映画の脚本に意見を出すこともある。
この日もまた、あと一時間ほどで対日戦争が始まるというのに、スターリンは映画を楽しんでいた。
とはいえ、対日戦争計画はすでに始動している。今さら、スターリンがこまごまとした指示を下すまでもない。だからこそ、開戦までの余興として、映画を楽しむことにしたのだろう。
モロトフは、スターリンの機嫌を損ねた者がどのような末路を辿るのかを熟知しているので、あえて上映中に報告をするまでもないと引き下がった。
ソ連政府による対日宣戦布告文書を日本政府が正式に受け取ったのは、日本時間八月九日午前十一時十五分のことであった。
日本側からの照会に応じたヤコフ・マリク駐日大使が、ようやく宣戦布告文書を吉田茂外相に手交したのである。
これが、ソ連の対日宣戦布告の実相であった。
【ソ連の対日宣戦布告電文妨害】
史実でも、佐藤大使の発信したソ連の対日宣戦布告を報せる駐ソ大使館から日本本国に向けた電文は、内務人民委員部(NKVD)によって妨害されていたことが明らかになっています。




