45 虎頭の巨砲
虎頭の地に夜中から降り注いでいた雷雨は、朝になる頃には止んでいた。
要塞を構成する山々に生い茂る草に朝露が輝くような、一瞬の静寂を感じさせる情景が要塞一帯に広がっている。
だが、要塞から南側を見れば、その静寂は嵐の前の静けさに過ぎないことが理解出来た。
要塞南側に位置する虎頭街が、黒煙に包まれていたのである。
北部国境、西部国境とともに、ソ連と国境を接する東部国境もまた、日付が変わると同時にソ連軍による侵攻に晒されていた。九日〇〇〇〇時過ぎより、雷雨を突いてウスリー川対岸のソ連軍による砲撃が始まったのである。
だが、ソ連側が照準を誤ったのか、あるいはあえて狙っていたのか、その砲撃は要塞より南側に存在する虎頭街に降り注いだ。
この当時、満ソ国境の街である虎頭街に住んでいた居留民は日系五百名、鮮系二百名ほどであった。虎頭は国境の街かつ要塞の街であったので軍事特別地域に指定されており、住民は身元がしっかりと特定されている人物しか居住出来なかった。
寝静まっていたところに突然、街に砲撃が降り注いだのであるから、居留民たちは一時的な恐慌状態に陥ってしまった。
しかし、彼らの動揺は長くは続かなかった。
そもそも国境の街であるから、日ソ開戦となれば真っ先に戦場となる場所である。平素から、虎頭の住民たちは有事の際の訓練を受けていた。男子は義勇奉公隊として警察の指揮下に入って街の警備を担うように訓練されており、女子についても負傷者を運ぶための担架持ちの訓練が行われていたのである。
午前三時には虎頭の警察署から正式に避難命令が発令され、住民たちは訓練通りに街の中央十字路に集合を開始した。
ただ、後世でいうところの“正常性バイアス”がかかっていたのか、街からの避難は一時的なものであると考えていた住民は多かったようである。各自、三日分程度の食糧と毛布一枚を持って、中央十字路に集合していた。
住民たちが飼っている豚などの家畜も、数日分の餌を置いてそのままにしてある。
住民の内、義勇奉公隊の男子は引き続き街の警備にあたり、老幼婦女子は警察署長や郵便局長などの誘導の元、近くの完達駅へと避難させることとなった。
午前六時、虎頭街住民は未だ黒煙の燻る街を後にして、西へと避難を開始する。
同時に、街の北方に位置する虎頭要塞では、ウスリー川を渡河してくるであろうソ連軍を迎え撃つ準備が進められていた。
対岸のソ連領を監視する臨江台監視哨に設置された倍率百十六倍の双眼鏡からは、ソ連軍の兵舎、イマン鉄橋、イマン迂回鉄橋、イマン街、ラゾ給水塔などが確認出来る。
朝、視界が開けてくると対岸のサリスキー地区およびポロウンカ地区にソ連軍の砲兵陣地が出現しているのが確認された。
監視哨にいる誰もが、呻かざるを得ない光景であった。
すでに新京の関東軍司令部からは、日ソ開戦を伝える通信がもたらされている。関東軍司令部は麾下部隊に通信を送ると共に、満洲全土にラジオ放送でも日ソ開戦を伝えていたのである。
だから要塞守備隊の誰もが、これが単なる国境侵犯事件や国境紛争ではなく全面的な開戦なのだと理解していた。
自ずと、守備隊将兵の間に緊張が走る。
そんな兵士たちの緊張をほぐすためか、要塞司令官である秋草俊隊長はこの日の朝食をかなり奮発するように命じた。
兵士たちに銀飯と豊富な副食、そして一人一本、羊羹を配るように命じたのである。
夜が明けてソ連軍の砲撃は小康状態を迎えていたから、兵士たちは食後の煙草を楽しむ時間すらあった。
何故、夜が明けてソ連軍の砲撃が一時的に止んだのかは不明であったが、多分に欺瞞工作的なものだろうと、秋草少将は考えていた。
要するに、ソ連側はこちらにこれがちょっとした国境紛争であると印象付けて油断を誘おうとしているのではないか、と彼は受け止めていたのである。
実際、要塞守備兵の間でも、いまいち開戦の実感が湧いていない兵士たちも多かった。夕方辺りには停戦協定が結ばれてまた平常に戻るのではないか、と冗談交じりに談笑する兵士もいたほどである。
しかし、すでに開戦の通告を知らされていた秋草少将は、油断なく反撃の準備を整えさせていた。
試製四十一センチ榴弾砲一門、九〇式二十四センチ列車砲二門の他、虎頭要塞には七年式三十センチ榴弾砲二門、四五式二十四センチ榴弾砲二門といった巨砲を備えている。
さらに九六式十五センチ加農砲、八九式十五センチ加農砲、九一式十センチ榴弾砲、九〇式野砲(七十五ミリ)など、無数の重砲、野砲が要塞各所に配置されていた。
虎頭要塞に拠る第四国境守備隊は、第一から第三地区隊の各連隊規模の歩兵部隊と要塞砲などを指揮する砲兵隊から成っている。
そして秋草隊長の予想通り、ある程度周辺地域の地面が乾いてきた頃を見計らって、ソ連軍は猛然と攻撃を再開した。
今度は、昨夜のような砲撃だけではない。
ウスリー川を渡河しようと、無数の舟艇が満洲国側である右岸へと殺到を開始する。虎頭要塞を挟み込むように、要塞正面を避けて南北から右岸へと迫りつつあった。
この様子では、恐らくさらに南方の興凱湖を渡って虎頭へと繋がる鉄道を遮断しようとする部隊もいるだろうと、各所からの報告を受けた秋草少将は予測した。だが、現状では要塞守備隊は要塞を死守することが求められている。陣地外に出撃する余裕はない。
ソ連軍の渡河を阻止すべく、重砲や野砲、そして機関銃が火を噴き始める。
コンクリートで覆われた中猛虎山の要塞司令部にも、かすかな砲撃と銃撃の音が響いてくる。
そして一一〇〇時、虎頭要塞はすべての砲の射撃準備を整えた。
「砲兵隊長、遠慮なくやって構わん!」
要塞司令部から砲兵隊指揮所へと繋がる電話に、秋山少将はいっそ朗らかともいえる声で命じた。
そして、それを受けた砲兵隊長・瀧波幸助中佐もまた吠えるように部下たちに叫ぶ。
「四十一センチ榴弾砲、撃ち方始め! イマン鉄橋を吹き飛ばしてやれ!」
その瞬間、大正十五(一九二六)年に製造されてからの長い沈黙を経て、試製四十一センチ砲が実戦にて初めて咆哮を上げた。
地下要塞の天井すら震わせるほどの轟音と共に、帝国陸軍最大の巨砲が火を噴いたのである。
イマン鉄橋、そしてイマン迂回鉄橋を見渡せる地に築城された虎頭要塞は、開戦以前からすでに射撃諸元を整えていた。そこに、この日の気象諸元等を加えた修正を行い、試製四十一センチ砲は放たれたのである。
同時に、要塞に備えられた他の要塞砲、重砲、野砲も次々と砲撃を開始した。
陸軍の保有する砲の中で最大の射程を誇る九〇式二十四センチ列車砲二門が狙いを定めたのは、ウスリー川とグラフスキー山を挟んで視認出来るラゾ給水塔であった。
目標までの距離は、二万メートルほど。通常弾を用いた場合、射程五万一二〇メートルを誇る二十四センチ列車砲にとっては、十分に射程圏内である。
その他重砲、野砲は対岸のサリスキー地区、ポロウンカ地区のソ連軍砲兵陣地、そしてイマンのトーチカ陣地に対して射撃を加えていく。
砲撃による爆風で、虎頭の山々に濛々たる土煙が上がった。
虎頭要塞による砲撃は、必然的にソ連軍に自らの砲陣地の位置を暴露することにも繋がる。
ウスリー川の対岸より、ソ連軍もまた虎頭要塞に対する砲撃を開始した。虎頭要塞側は、砲撃を受けると砲を山中の掩蔽壕に退避させ、また別の箇所から砲を出して砲撃を続ける。
四十一センチ榴弾砲は、ちょうどソ連側からは中猛虎山や虎北山の影になって視認出来ない。西猛虎山の南側に配置された二十四センチ列車砲も、同じく東猛虎山、虎東山の影になるように配置されていた。
この三門の巨砲は、ソ連軍からの砲撃に一切晒されることなく、射撃を継続した。
そして一三〇〇時。
試製四十一センチ榴弾砲の放った第十一射が、イマン迂回鉄橋の一つ、ワーク橋の左側基礎部分に命中。四十一センチ砲弾の炸裂は橋桁すらも吹き飛ばし、橋を破壊することに成功した。
それを目視していた弾着観測班の者たちの間から、期せずして「万歳!」の叫びが上がる。
試製四十一センチ砲は、開戦初日にしてその真価を発揮したのである。
さらに二十四センチ列車砲もまた、ソ連側の重要施設であったラゾ給水塔を倒壊させた。やはり根本から倒れていく様を、弾着観測班は視認している。
虎頭要塞は東部国境から侵攻するソ連軍にとって、最大規模の障害として立ちはだかりつつあった。




