42 北満航空戦の始まり
八月九日未明以降、後世「北満航空戦」と呼ばれる日ソ間の熾烈な航空戦が開始された。
夜間に行われたソ連軍機による奇襲的な空襲は、主に都市部や鉄道施設を目的としたものであったらしく、満洲各地に建設された日本軍飛行場はほぼ無傷であったのだ。
また、満洲に展開する第二航空軍司令官・原田宇一郎中将の対応も迅速であった。彼は関東軍司令部から正式な命令が下る前に、司令部偵察機による敵情偵察を命じていたのである。
これが、九日〇一三〇時のことであった。
新京西飛行場からは一〇〇式司令部偵察機、四式遠距離爆撃機(キ74)などで構成された司令部直属の偵察航空隊が続々と発進し、未明の段階ですでに多数の敵情偵察結果を得ることに成功していた。
この段階で、関東軍司令部の予測した通り、西部方面でソ連軍の大戦車部隊が確認されている。
原田中将はただちに麾下航空部隊に対し、このソ連軍機甲部隊の攻撃を命じた。
ソ連軍機甲部隊攻撃の主体となるのは、空対空・空対地親子爆弾であるタ弾を搭載した四式戦闘機「疾風」、そして三式一番二十八号爆弾一型を搭載した流星改であった。
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飛行第六十四戦隊隊長・黒江保彦少佐は、ハ45発動機の轟音を奏でる疾風を駆りながら満鉄の白杜線に沿って西へと飛行を続けていた。
眼下には、満洲の広漠たる大地が延々と続いている。
第六十四戦隊は白城子飛行場を発進した後、未明の偵察結果に基づいて大興安嶺山脈南端を突破して満洲国へと雪崩れ込みつつあるソ連軍機甲部隊への攻撃を命じられていた。
同様に、本来は鞍山製鉄所(昭和製鋼所)防空のために編制された飛行第一〇四戦隊、そして地上襲撃部隊として編制された独立飛行第二十五中隊などもこの攻撃に参加している。この二隊は、独立第十五飛行団麾下の部隊であり、日ソ関係の緊張化に伴って、鞍山から白城子に進出していたのである。
白城子飛行場を発進した攻撃隊は、疾風と流星改で編成された一〇〇機近い大編隊であった。
四式戦闘機疾風は、二〇〇〇馬力級発動機であるハ45(海軍側名称「誉」)を搭載し、最高時速六六七キロ、二〇ミリ機関砲四門を搭載した帝国陸軍の最新鋭戦闘機である。
一方の流星改は、本来、陸軍機ではない。海軍が多用途艦上攻撃機として開発したものを、陸軍も地上襲撃機・急降下爆撃機として導入したものである。
陸軍はすでに九九式襲撃機を保有していたものの、一九四四年となると流石に旧式化は否めなくなっていた。陸軍は双発戦闘機としては失敗作ともいえる二式復座戦闘機「屠龍」を襲撃機に改造、さらに開発元である川崎飛行機はその後継機たるキ96(双発戦闘機)、キ102(キ96を元にした襲撃機)を開発したものの、結局、両機とも実用化はされずに終わっている。
双発戦闘機としては三菱の開発したキ83が高度七〇〇〇メートルにおいて最高時速七六二キロという高性能を発揮したことで、キ96やキ102の開発が中断されてしまったからである。
この三菱キ83は、すでに四式復座戦闘機として陸軍に制式採用されていた。
しかしそうなると、陸軍において対ソ戦における敵地上部隊攻撃などを担う襲撃機が旧式の九九式襲撃機しか存在しなくなってしまう。
もともと、九九式襲撃機が開発された要因には、ソ連側が「シュトルモヴィク」と呼ばれる襲撃機を生産していたことがある(有名なシュトルモヴィクは、Il-2)。
そこで陸軍が注目したのが、海軍が多用途艦上攻撃機として開発した流星であった。
そもそも陸軍は敵のトーチカなどを爆撃するための急降下爆撃機を保有していなかった。そのため、最初は海軍の艦上爆撃機「彗星」、そして流星が開発されるとそれに目を付けて、その実用型である流星改の導入に踏み切ったのである。
また、流星改は陸軍の新鋭戦闘機である四式戦疾風と同じく誉系統の発動機を搭載しており、整備面においても疾風との共通化が期待出来た。
そして流星改の翼下に搭載された三式一番二十八号爆弾一型も、もともとは海軍の開発した空対空噴進弾であった。しかし、この噴進弾も地上攻撃に適していると見られ、陸軍も採用していたのである。
やがて、黒江らの眼下に砂埃を蹴立てて進むソ連軍機甲部隊の姿が見えた。上空から見れば、まるで砂漠を進む蟻の大群である。
黒江は、素早く周囲の空を確認した。
ソ連軍の航空機は、見当たらない。
これならば、自在にソ連軍地上部隊を攻撃出来る。黒江は、内心で快哉を叫んだ。
空対空・空対地親子爆弾であるタ弾は、内部にタ一〇二と呼ばれる成形炸薬弾が無数に詰め込まれている。これを目標上空一〇〇〇メートルあたりで投下すれば、敵戦車に対して効果的な攻撃が行えた。
黒江は自らの戦隊を率いて、ソ連軍機甲部隊上空へと侵入する。
地上からの反撃は、ほとんどない。
急いで上空に向けたのだろう対空火器が、まばらに撃ち上がってくるだけである。
一方の流星改隊は、噴進弾を発射するため緩降下を開始していた。
やがて疾風の編隊が、敵隊列の上空に差し掛かった。
刹那、黒江はタ弾の投下レバーを引いた。途端、機体が一気に軽くなる。部下たちの機体も、次々にタ弾を投下していく。
空中で炸裂したタ弾は、内蔵されていた成形炸薬弾をソ連軍戦車の群れへとばら撒いた。金属ジェットが、次々とソ連軍戦車の上面装甲を貫いていく。
流星改隊も果敢に低空から噴進弾を発射し、装甲部隊の車列に打撃を与えていた。そして、噴進弾を撃ち尽くすと、そのまま地上のソ連軍に向けて機銃掃射を開始していた。
流星改の両翼には、二〇ミリ機関砲(海軍的には「機銃」)が搭載されている。エンジンなど当たり所が悪ければ、戦車ですら撃破出来るだけの威力があった。
黒江は、また周囲の空を確認した。
未だ、機甲部隊の上空を守るべきソ連軍機は現れていない。
「よし、俺たちも加わるぞ!」
彼は無線で部下たちにそう呼びかけると、操縦桿を倒した。陸軍最新鋭戦闘機の機首が、地上のソ連軍の隊列へと向けられる。
高度一〇〇〇メートルから、黒江は目標を見定めながら高度を落としていく。
蟻の大群に見えたソ連軍の隊列も、高度を落としてみると戦車とトラックの違い程度は判るようになっていった。
そして、タ弾と三式一番二十八号爆弾一型は、相応の戦果を挙げていたようだった。ソ連軍の隊列の各所で、黒煙と炎が上がっている。
流星改隊の機銃掃射によって地上を逃げ回るソ連兵の姿も、疾風の操縦席から確認出来た。
だが、ソ連軍の数はあまりにも多すぎた。一〇〇機近い編隊で空襲したにもかかわらず、蟻の行進は依然として続いている。
地上のソ連兵たちは撃破された戦車やトラックを置き去りにして、なおも満洲国を東へ向かって進もうとしていた。
黒江は疾風を巧みに操って低空へと降り立つと、目標を素早く三式照準器の中に収めた。
静かに、発射ボタンを押し込む。
四門の二〇ミリ機関砲から火箭が伸び、それが地上のトラックを直撃した。部下たちも、それぞれに見繕った目標に機関砲を発射している。
発動機の轟音と機関砲の発射音が、満洲の空に縦横に響き渡っていく。
エンジンを撃ち抜かれた戦車が炎上し、重砲を牽引するトラックが爆発する。二〇ミリ機関砲弾が人体に命中すれば、一瞬にしてそのソ連兵は挽肉になった。
疾風と流星改の編隊は、ソ連軍の隊列に死と破壊をもたらし続けていた。
だが、殺戮の巷と化しながらも、ソ連軍は進撃を止めなかった。
そんな不気味な蟻の行進を、この日以降、黒江は何度も目にすることになる。
満洲の大地を血に染める戦いは、まだ始まったばかりであった。




