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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二章 北方の赤い影編

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40 昭和十九年八月の砲声

 一九四四年八月八日、四回目の進水記念日を、戦艦大和は千島列島沖で迎えていた。

 二番艦の武蔵、そして今年の四月に竣工した三番艦信濃と共に隊列を組み、択捉島沖での砲撃訓練を行っていたのである。

 三隻の大和型戦艦は第一戦隊を構成し、第三航空戦隊の軽空母瑞鳳、祥鳳、第九戦隊の重雷装艦大井、北上、そして軽巡川内を旗艦とする第三水雷戦隊が彼女たちに随伴していた。

 千島列島沖での訓練は、当然ながらソ連に対する牽制を目的としたものであった。今年三月の日ソ漁業条約五年延長が成立したにもかかわらず、日本の北洋漁業はソ連側官憲からの執拗な妨害に晒されていたのである。

 カムチャッカ沖での北洋漁業は、日本にとって重要な食糧供給源であった。それを脅かされているのだから、日本側の姿勢も次第に強硬になっていた。

 さらに八月に入り、樺太対岸のソヴィエツカヤ・ガヴァニ、カムチャッカ半島のアバチャ湾に多数の船舶が入港しているのが確認されている。

 また、北海道東方海上でソヴィエツキー・ソユーズを旗艦とするソ連海軍太平洋艦隊が演習を行う回数も増加していた。

 すでに日ソ開戦が現実のものとして考えられている以上、海軍も千島沖に大和型三隻を派遣して活発な活動を続けるソ連海軍に対して示威行為を行うことにしたのだ。

 もちろん、この千島沖での演習には本来、この海域を担当している第五艦隊も参加している。とはいえ、第五艦隊は旗艦である重巡那智を除けば、装甲巡洋艦(現在の公式な種別では一等巡洋艦)磐手などを主力とする艦隊であり、やはり第七艦隊などと同じく旧式艦艇を中心に構成されていた。

 磐手は、一九〇一(明治三十四)年、イギリス・アームストロング社で竣工した艦であり、すでに艦齢は四〇年を超えている。日露戦争で蔚山(うるさん)沖海戦や日本海海戦に参加した後は、海防艦として日本近海の警備につき、さらに一九三九年まで遠洋航海に参加して海軍士官の育成に努めていた。

 このように明治・大正・昭和と陰に日向に帝国海軍を支えてきた艦艇ではあったが、すでに老朽化は否めない。

 しかし、帝国海軍では依然として、こうした日露戦争にも参加した旧式艦艇を第一線に配備し続けていた。

 支那方面艦隊の旗艦を務める出雲は磐手の姉妹艦であるし、敷設艦常磐も日露戦争期の装甲巡洋艦を改装した艦である。中東に派遣された装甲巡洋艦春日も、やはり一九〇四(明治三十七)年竣工(イタリア・アンサルド社)の旧式艦艇であった。

 第七艦隊を編制し、南遣艦隊に重巡足柄を組み込んでしまったこともあり、海軍首脳部はこれ以上、主力艦隊である第一、第二、第三艦隊の兵力が他方面に引き抜かれることを厭っていたのである。

 実際、ソ連太平洋艦隊の主力はウラジオストックに展開しており、カムチャッカ半島アバチャ湾に展開する水上艦艇は海防艦程度の海上警備用艦艇であると考えられていたから、装甲巡洋艦でも十分に千島列島・カムチャッカ半島沖での漁民保護の任に耐えられると連合艦隊司令部や軍令部は判断していた。

 とはいえ、緊迫化する日ソ関係を考えれば、まだまだ第五艦隊の戦力では十分な抑止力たり得ないこともまた事実であった。

 だからこそ、最新鋭戦艦である大和型が千島沖での演習を行うこととなったのである。






「やはり竣工から三ヶ月弱では、信濃の砲撃成果は振わないな」


 大和前部檣楼下部にある司令塔、分厚い装甲に守られたそこには、樹脂板を中心とした十畳ほどの区画が設けられていた。

 戦闘指揮所。

 いわゆる「CIC」と呼ばれる、戦闘情報を集約する施設であった。

 第一次世界大戦におけるユトランド沖海戦での戦訓などから、日本海軍は将来における艦隊決戦においては彼我艦隊の位置情報を正確に把握して効率的な指揮統制を行う必要性を感じていた。

 ユトランド沖海戦ではたびたび彼我の針路や位置情報が不明となり、大艦隊同士の艦隊決戦を遂行することの難しさを帝国海軍に教えていたのである。

 特に帝国海軍はアメリカ海軍に対して劣勢な戦力しか保有していなかったから、なおさら個々の艦艇の練度や性能の向上と共に、効率的な艦隊指揮は米艦隊との決戦に勝利するための重要な要素であると見做されるようになっていた。

 そして、そうした認識が帝国海軍における電波探信儀レーダーの開発を促進させ、さらには夜戦の訓練を繰り返していく中で戦闘指揮所を設けるという発想に繋がったのである。

 戦艦大和に設置された戦闘指揮所は、そうしたユトランド沖海戦以来、帝国海軍が試行錯誤してきた効率的な艦隊指揮を行うための一つの答えであったのだ。

 今、この戦闘指揮所では、砲撃訓練で第五艦隊の磐手などに曳航されていた標的への命中率の集計が行われていた。

 各所から届く通信を通信手が受話器を取り上げて対応し、昼間砲撃の結果と夜間砲撃の結果をそれぞれ計算していく。

 時刻は、すでに八日の二三〇〇時を過ぎ、九日へと日付が変わろうとしている。

 第一艦隊司令長官・角田覚治中将は戦闘指揮所の中でその集計結果の報告を受けていた。大和型三隻の中で、竣工からまだ半年と経っていない信濃の命中率はやはり低かった。

 特に夜戦における命中率は、電探や照明弾搭載の弾着観測機を用いてもなお低い。

 とはいえ、嘆くほどのことでもないと角田は思う。信濃も訓練を続けていけば、いずれ良好な砲撃成果を挙げることが出来るだろう。

 そして、今年中に竣工するという大和型四番艦常陸。

 角田は四隻が揃った大和型戦艦が隊列を組み、その三十六門の四十六センチ砲が火を噴いて敵戦艦を打ち据える光景を脳裏に描いていた。

 一時期、航空戦隊の司令官も務めていた角田であるが、本来は砲術屋であった。大尉時代には戦艦霧島に乗り組み、ユトランド沖海戦に参加したこの戦艦に乗り組む先輩たちから海戦の模様を何度も聞いて回ったほどである。

 第一艦隊司令長官となった今、そうした光景を幻視するのも無理からぬことであった。

 やがて日付は、八月九日へと変わった。

 大和の電探は僚艦や随伴艦の艦影を捉え続け、それらが樹脂で作られた表示板に反映されていく。夜間における艦隊運動の訓練は、衝突一つ起こさず順調に進んでいた。

 と、不意に戦闘指揮所に何台も備え付けてある電話の一つが鳴った。通信室と繋がる電話であった。

 即座に担当の通信手が取り上げ、何事かを話す。その顔が徐々に強ばっていくのが、角田や指揮所に詰める他の者たちにも判った。


「……通信長より、牡丹江から関東軍司令部に宛てた電文を傍受したとのこと」


 その通信手の顔は、薄暗い戦闘指揮所の中でも判るほどに青ざめていた。彼は電話の内容を走り書きした紙片に一度目を落として、ほとんど一息に報告した。


「『ソ連軍ハ零時、虎頭正面監視所ヲ攻撃、満領ニ侵入。有力ナル後続部隊アリ』! 発信時刻は本〇〇二〇時。傍受した通信内容は以上です! また、満洲里から発信されたものと思われる電文も傍受、目下、解読中とのこと!」


「……」


「……」


「……」


 角田は、参謀長である小柳冨次少将ら参謀たちと険しい顔を見合わせた。傍受した電文の内容を信じるのならば、いよいよ恐れていたソ連の対日侵攻が始まったということか。

 しかも、いかに大和の通信設備が優れているとはいえ、受信したのは満洲の地から発せられた緊急電である。本来であればソ連の対日宣戦布告を伝えてくるはずの、連合艦隊司令部や軍令部からの通信を受信し損ねたということはあるまい。

 つまりソ連は、宣戦布告などによらず奇襲的な対日侵攻作戦を敢行したということか。


「……GF司令部および軍令部に通信」


 角田は、硬いながらも決然たる口調で言った。


「各種通信よりソ連の対日侵攻はすでに確実と認む。第一戦隊はこれより、機宜の行動をとる。以上だ」


 猛将の誉れ高い角田の瞳には、すでに燃えるような闘魂が宿っていた。参謀たちの背筋が自然と伸び、戦闘指揮所は異様な緊張に包まれようとしていた。






 一九四四年八月九日午前零時。

 ソ連軍は満洲国との国境を各地で突破し、ついに対日侵攻作戦を開始したのである。

 本話の表題は、バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』と猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』の両作品からとっております。


 さて、ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

 これにて拙作「北溟のアナバシス」第二章は完結となります。

 次章よりいよいよ日ソ戦を描いてまいりますので、また何卒よろしくお願いいたします。


 ここまでの内容につきましてご意見・ご感想などございましたらばお気軽にお寄せ下さい。

 また、評価・ブックマーク等していただけますと大変励みになりますので、併せてよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 唐突に戦争が始まりました。数に任せて国境は突破できたようですが、関東軍の装備を見るかぎり、ソ連軍がどこまで進撃できるのかみものですね。
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