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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二章 北方の赤い影編

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37 行き詰まる日本外交

 六月を迎えても、日本は対ソ関係の緊張を緩和させる糸口を見出せずにいた。

 また、山梨内閣の中にも日ソ関係の改善に対して諦観を滲ませる者も多くなっていた。五月以降、シベリア・極東方面におけるソ連軍の強化が確認されていたからである。

 例えば、ソ連のチタにある満洲国領事館からは、シベリア鉄道の運行情報が逐一、もたらされていた。これは、表向き外務省職員“久松一郎”を名乗っている陸軍の松平定堯(さだたか)大佐から送られてくる情報で、彼は危険を冒してシベリア鉄道の監視作業を続けていた。

 松平大佐は天井裏に十二倍の双眼鏡を設置して、日の出から日没まで監視を行っていたのである。領事館にはソ連官憲の詰め所が隣接しており、領事館内での行動はほぼソ連側に筒抜けになっている。

 このため、松平大佐は物音一つ立てないよう天井裏に上がり込み、日々の監視結果を新京に打電し続けていた。

 時にはクーリエ連絡の口実で駅まで出向き、直接、シベリア鉄道の運行状況を確認したりもしている。

 この結果、日本側はかなりの精度でシベリア・極東地域に集結しつつあるソ連陸軍の兵力を知ることが出来たのである。

 この他、駐スウェーデン大使館付陸軍武官である小野寺(まこと)少将からは、ソ連の使用する暗号についての解読情報がもたらされている。小野寺少将はポーランドなど独ソによって母国を奪われた東欧の人々と接触を持ち、特にフィンランドの諜報機関からソ連暗号の解読に関する情報を入手することに成功していたのである。

 フィンランドは一九三九年の冬戦争において、理不尽な理由でソ連から宣戦布告され、領土の割譲を余儀なくされていた国家である。日本は冬戦争当時、独ソ不可侵条約の成立やノモンハン事件の直後だったこともあり、ソ連を牽制する都合上からフィンランドに対する借款や武器の供与を行っていた(イギリスからフィンランドを支援するように、という要請も当然にあった)。

 こうした出来事が、日本の欧州諜報網とフィンランドの諜報機関が接触する切っ掛けを作ったといえる。

 また、特にロンドンに亡命しているポーランド政府は、小野寺にとって貴重な情報源となっていた。

 亡命ポーランド政府はヨーロッパ大陸から切り離された存在ではなく、四十万人とも言われる地下抵抗組織であるポーランド国内軍と繋がりを持っていた。ポーランドという国家が第二次欧州大戦で消滅する以前に張り巡らしていた独ソに対する諜報網も依然として生き残っており、そうしたポーランド諜報組織の生き残りが日本と協力関係にあったのである。

 そもそも、諜報活動における日本とポーランドとの関係は、一九二〇年代にまで遡る。シベリア出兵によって暗号解読の重要性を認識した陸軍を中心に、特に対ソ諜報能力に優れたポーランドとの協力関係が築かれていたのである。

 日本の暗号に関する技術は、ポーランドとの交流の中で磨かれていったといっても過言ではない。

 そして一九三九年十月、ポーランドが独ソによって分割占領されると、ポーランド参謀本部情報部のスタニスロー・ガノ大佐は駐ワルシャワ日本大使館付陸軍武官・上田昌雄大佐に対して、日本によるポーランド諜報組織の接収を提案した。以来、日本の外交官や駐在武官は各地でポーランド諜報員を支援し続けていたのである。

 そのため日本政府や満洲国は、彼らに対してパスポートを発行してもいる。大使館や公使館の現地職員という形で、外交特権を用いてポーランド諜報員を保護していたのである。

 ポーランド諜報機関はソ連領内のスモレンスクやミンスクなどポーランド系住民の多い地域に対ソ諜報網を張り巡らせていたから、日本にとっても協力関係を続けることの利点があったのだ。

 もちろん、もう一方のポーランドにとってみても、自らの祖国を分割した片割れであるソ連が日本と開戦し、その兵力がシベリア・極東方面に引き抜かれることは抵抗運動を行う上でも好都合だったのである。だからこそ、同じくソ連を脅威と認識するフィンランド同様、ソ連に関する情報を日本に流し続けていた。

 結果として、こうした諜報情報が日本政府や軍部にもたらされ、日ソ関係の緊張緩和は絶望的とみなされるようになったのである。

 和戦両面で対ソ外交にあたるという当初の方針は、すでに崩壊しつつあった。


  ◇◇◇


「ソ連との開戦が最早避けられぬものである以上、太平洋方面では静謐が求められます」


 閣議の席上、東條英機陸相はそう主張した。


「我が陸軍は全力で対ソ戦に当たる所存であり、比島攻略などに兵力を回す余裕はありません」


 年度作戦計画では、対米戦となった場合、陸軍はフィリピン攻略などを行う計画となっていた。だが、対ソ戦が最早避けられないものと考えられている以上、満洲と太平洋で二正面作戦を行えるだけの戦力は、日本には存在していなかった。

 つまり東條の発言は、アメリカを第一の仮想敵国とする海軍を牽制する意味合いがあったのである。


「もちろん、海軍としても対数国作戦計画には自信を持ち得ていません」


 堀悌吉海相は、そう言って東條の言葉に応じた。

 帝国国防方針やそれに基づく年度作戦計画は、基本的に対一国作戦を基本としている。一応、作戦計画上は対二国作戦、対数国作戦と、二ヶ国以上の国家と同時に戦争を行うことも想定されている。しかし、あくまでも作文的な意味合いが強く、現実の作戦計画としては考えられていない。


「海軍としては、対ソ戦中の第三国による干渉を防ぐことが、最大の任務であると考えております」


 堀は、アメリカの側から対日宣戦布告をしてくるような可能性は低いと考えていたものの、日ソ戦となればアメリカ側が何らかの圧力をかけてくる可能性は想定出来た。

 以前、吉田茂外相が言ったように、今年は大統領選挙の年である。ルーズベルト大統領が有権者に対し“強い指導者”を印象付けようとすることも、当然に考えられた。

 そうしたアメリカからの干渉をはね除けるには、やはり対ソ戦を遂行中であっても大日本帝国にはなお余裕があるのだと内外に喧伝する必要がある。その意味で、世界最大の主砲を搭載する大和・武蔵を擁する連合艦隊は、恰好の抑止力であった。


「とはいえ問題は、日ソ戦となった場合のアメリカの外交政策では?」


 そう指摘したのは、吉田茂外相であった。


「ルーズベルト大統領は、どうにもアカどもに甘い指導者のようですからな。中立法はキャッシュ・アンド・キャリー方式であれば、アメリカから軍需物資を輸入出来ます。我が国が米ソ太平洋航路を封鎖することは可能でしょうが、大西洋航路を封鎖することは出来ぬでしょう」


 アメリカの中立法は一九三九年十一月の改正により、交戦国であっても自前の船を用いるのならばアメリカから軍需物資を輸入することが可能となっていた。これは当初、ドイツと戦う英仏を支援するための改正であったが、第二次欧州大戦が終結したとはいえドイツの脅威が未だ欧州に存在しているため、これ以降の改正は行われていない。

 つまり、日ソともに自国の輸送船を用いれば、アメリカから各種物資を輸入することが可能なのである。


「しかし、アメリカはかつて冬戦争の際、ソ連に対して道徳的禁輸を行った事例があります。中立条約に違反するような形でソ連が戦争を引き起こせば、再び同じようなことが期待出来るのでは?」


「アカに甘い大統領に、期待せん方がいいでしょう」


 堀の意見を、吉田は切り捨てた。


「もちろん、大西洋航路を使う場合には英国に妨害してもらうなどの手はありますがね。チャーチル首相は、ルーズベルト大統領と違い、アカどもの脅威を正確に認識しておるようですから」


 アメリカの大統領を嗤うように、吉田は付け加えた。


「もう一つ問題なのは、中東の油田でしょう」今度は、岸信介商工相が言う。「昭和十六(一九四一)年にはイラクで親独派の政変が起こっている。まあ、その後、イギリスが介入して親英政権を樹立させて事なきを得ましたが、あの地域に石油権益を持ち、また北樺太や蘭印に代わる石油供給源として成長しつつある中東が独ソ陣営の手に落ちないか、私は懸念せざるを得ませんな」


 第二次欧州大戦におけるイギリスの実質的敗北は、当然ながらイギリスの影響下にあった国々や植民地にも影響を与えた。その最たるものが、一九三二年までイギリスの委任統治領であったイラク王国での親独派クーデターであろう。

 このクーデターはその後、イギリスが軍事介入して親独政権を打ち倒したが、その隣国パフレヴィー朝イランもドイツに接近する姿勢を見せており、中東地域の石油権益の維持に大きな不安を残したのは事実であった。

 こうした事態を受け、イギリスはペルシャ湾に海軍艦艇を派遣して両国に対する軍事的圧力を強め、石油権益の維持に努めている。日本も中東の石油権益を守るため、邦人保護を名目に装甲巡洋艦春日(種別上は一等巡洋艦)、駆逐艦栗、(つが)、蓮などの旧式艦艇をペルシャ湾に派遣していた(現在もこれら艦艇はペルシャ湾の警備に当たっている)。


「流石に、ソ連がイランやイラクに手を出せば英国との戦争は必至でしょう。実際、イギリスからはイラン・イラクへのソ連軍進駐は英ソ外交関係に重大な結果を招来する危険性があると、ソ連側に申し入れたと報されております」


 岸の懸念にそう返したのは、吉田であった。


「アメリカも中東地域に石油権益を持つ。現在のルーズベルト政権の宥和的な姿勢を転換させる危険性を犯してまで、ソ連が中東に攻め入ってくることはないものと考えます」


「となると、いかに米国に中立を維持させるか、あわよくば日露戦争のごとく日ソ戦争の仲介を担わせられるか、という点にかかっているな」


 山梨勝之進首相は、日米外交の方針をそのように示した。

 もっとも、現在のルーズベルト政権の厳しい対日姿勢を考えれば、日ソ仲介の可能性はかなり低いと見積もらざるを得ない。

 ハル四原則が日本の満蒙政策や国内産業の保護と相容れない部分を含んでいる以上、アメリカからの好意的反応を引き出すのは難しい。

 せめて四原則を個別に議論出来ればまだ日本側としては交渉の余地があったのであるが、アメリカ側、特にハル国務長官は四原則の一括交渉という姿勢を崩すつもりはないようであった。

 アメリカ側のあまりに頑なな姿勢に、山梨は内心で嘆息する。

 そして、日英間に不可侵条約は結ばれているが、それは軍事同盟ではない。

 四十年前の日露戦争と違い、日本は国際的な後ろ盾が不十分な状況のままソ連との対決に臨まなければならないのだ。

 その厳しい国際情勢を、山梨は己が身命を賭して切り抜ける覚悟であった。

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