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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二章 北方の赤い影編

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35 帝国海軍の軍戦備

「それと、参謀本部からは対ソ戦時には海軍航空部隊の協力を仰ぎたいとの要請もなされています」


 伊藤は、塚原に対する通達を続けた。


「これを受けまして、対ソ戦時には第十一航空艦隊についても満鮮方面へ進出させることを計画しています」


 第十一航空艦隊は、“航空艦隊”と名前が付いているものの、基地航空隊であった。

 現在、帝国海軍は基地航空隊である航空艦隊を四個、編制していた。軍令部直属の第一、第二航空艦隊と、連合艦隊所属の第十一、第十二航空艦隊である(この他、横須賀海軍航空隊など航空艦隊に所属していない基地航空隊も存在する)。

 第一航空艦隊はテニアン島、サイパン島を中心とした南洋群島に配備され、第二航空艦隊は台湾への配備を目指して現在、内地にて練成中であった。これら二個航空艦隊が軍令部直属であるのは、対米戦における決戦兵力の一翼を担うものと認識されていたからである。

 仮に対ソ戦が発生し、基地航空隊も含めた連合艦隊の戦力が対ソ戦に投入されることになっても、この二個航空艦隊のみは軍令部の意思で温存することが出来るのだ。

 一方、連合艦隊の指揮下にあるのは第十一航空艦隊と第十二航空艦隊であった。

 第十二航空艦隊は第七艦隊と同じく、極東におけるソ連の海軍増強に対抗して、北満油田防空のために創設された航空隊などを中心に一九四三年十月一日付で編制された部隊である。第二十三、第二十四、第二十八航空戦隊の計三個航空戦隊を中心として、油田防空のための紫電改部隊、偵察のための彩雲部隊、そして戦略爆撃のための深山・連山部隊など、その定数は約一〇〇〇機にも及ぶ強大な航空部隊であった。

 ただしもちろん、第十二航空艦隊の編制にあたっては、既存の航空艦隊からの航空隊の引き抜きが行われていた。このため、戦力の抽出を受けた第二航空艦隊などは、新たな航空隊の編成とそれに伴う訓練が必要となっていたのである。

 そして、もう一方の第十一航空艦隊は、第二次欧州大戦による国際情勢の緊迫化を受けて、一九四一年に既存の基地航空隊を統合する形で発足した最初の航空艦隊であった。第十一航空艦隊も一部戦力を第十二航空艦隊に戦力を引き抜かれたとはいえ、それでも定数八〇〇機超の部隊である。

 すでに第十二航空艦隊の各航空戦隊、航空隊は満洲や朝鮮方面に配備されており、日ソ戦時には北満油田の防空、ウラジオストクへの空襲などを担う作戦計画となっていた。ここに、第十一航空艦隊の戦力を加えようというわけである。

 シベリア・沿海州に展開するという四〇〇〇機とも五〇〇〇機とも言われるソ連軍航空隊に対抗するには、満洲・朝鮮方面に展開する陸軍の第二航空軍や第十二航空艦隊の兵力だけでは不足と見られていたのだ。

 ここに第十一航空艦隊の兵力および第七艦隊の母艦航空隊を加えて、ようやく日本側の航空戦力は四〇〇〇機に届くかどうかといったところであった。


「……対ソ戦が現実のものとなれば、致し方ないか」


 塚原としても、本来であれば対米戦に備えるべき第十一航空艦隊が対ソ戦で消耗してしまうことは避けたいことであった。しかし、北満油田の存在がある以上、海軍としても満洲防衛にある程度の力を注がなくてはならなかったのだ。


「それに、ソ連太平洋艦隊との艦隊決戦にも臨まねばならぬ以上、ソ連に対する航空優勢の確保は絶対に必要であるからな」


 また、塚原としてはソヴィエツキー・ソユーズを中心とするソ連太平洋艦隊の撃滅を目指さなければならない以上、日本海上空の制空権確保は絶対であると認識していた。


「はい、そのためにも第十一航空艦隊を対ソ戦に投入することを、軍令部としても決断した次第です」


 塚原の言葉に、伊藤も頷く。

 一九三〇年代以来、日本海軍は空母戦力や航空戦力の増強に努めてきた。これは、来たるべきアメリカ艦隊との艦隊決戦において、航空優勢を確保していなければ戦闘を有利に進めることは出来ないと認識されるようになっていたからである。

 戦場海域上空の制空権を確保していなければ弾着観測機を飛ばすことは出来ず、また戦艦部隊が敵空母戦力の脅威に常に晒される。

 未だ航空機が洋上航行中の戦艦を撃沈したという事例は存在していなかったが、それでも魚雷が一本でも命中すれば、浸水による速力の低下や傾斜による砲撃精度の低下といった事態が考えられるのだ。

 航空戦力によって米海軍に劣る艦隊戦力を補完するという構想が大元にあるとはいえ、日本海軍は一九三〇年代初頭の段階で航空戦力の有用性に着目していたのである。

 だからこそ、日本海軍は昭和九年度(一九三四年)から開始された第二次補充計画以降、空母戦力の増強に努めてきた。

 ワシントン海軍軍縮会議で対英米七割である九万四五〇〇トンの空母保有枠を認められていた日本は、すでに天城、赤城、鳳翔、龍驤の四空母を保有していた。

 ロンドン海軍軍縮条約で排水量一万トン未満の空母も保有枠に含めることになった結果、第二次補充計画立案段階での日本の残りトン数は、三万三六〇〇トン。これは艦齢超過する鳳翔を廃艦にした場合の数値であり、これを二等分して第二次補充計画では一万六八〇〇トンの空母を新たに二隻、建造することとなったのである。

 しかし、その後に発生した友鶴事件や第四艦隊事件によって、設計が改められた結果、この二隻の空母は最終的に二万四〇〇〇トンの蒼龍、二万六〇〇〇トンの飛龍として竣工することになった。

 友鶴事件、第四艦隊事件という二つの事件によって、海軍艦艇の復元性や船体強度の問題が発覚し、対策がとられることとなったからである。

 条約上、対米七割の保有比率を認められていたとはいえ、それでも対米劣勢比率であることに変わりはない。そうした意識から、それまでの海軍艦艇は排水量を抑えながら重武装を施すという設計がなされており、それが水雷艇友鶴の転覆事故、そして台風による第四艦隊所属艦艇の損傷事故を引き起こしたのであった。

 蒼龍・飛龍はそうした事故の影響を受け、またアメリカ側が一九三四年にワシントン海軍軍縮条約の廃棄を通告してきたため、軍縮条約に囚われない形で設計が大幅に改められたのである。

 その後、昭和十二年度予算の協賛を受けた第三次補充計画では、戦艦大和・武蔵とともに飛龍を拡大・発展させた三万五〇〇〇トン級空母である翔鶴・瑞鶴が建造され、昭和十四年度の第四次充実計画では四万五〇〇〇トン級装甲空母として大鳳・白鳳が建造されている。

 一九四〇年代に入ると、アメリカによる両洋艦隊法の成立と第二次欧州大戦の勃発を受けて立案された戦時艦船急造計画(マル急計画)において改飛龍型の雲龍、神龍が建造され、昭和十六年度の第五次充実計画では改大鳳型の建造が開始されていた。

 戦艦の建造が第三次補充計画の大和、武蔵、第四次充実計画の信濃、常陸に留まっている点から考えても、一九三〇年代後半以降の日本海軍における空母戦力の増強は急激なものであった。

 大神海軍工廠では五十一センチ砲三連装三基、排水量十万トンの超大和型戦艦の建造が計画されていたとはいえ、日本は海軍の主戦力を戦艦から空母へと移行させつつあったのである。

 結局、戦場海域上空の制空権を確保しなければ艦隊決戦は成り立たないであろう以上、航空戦そのものの方が勝敗を決する要因になると認識されるようになったのである。


「とはいえ、仮に日ソ開戦となった場合、まず懸念すべきは北満油田への空襲、そして日本海航路の安全確保であろうな」


 伊藤から一通りの伝達が済まされると、塚原はそう感想を漏らした。


「特に北鮮三港は、あまりにウラジオに近すぎる」


 満洲国建国以降、朝鮮半島東側の港は満洲国の東の玄関口として重要性を増していた。特に朝鮮東岸北部にある“北鮮三港”と呼ばれる雄基(ゆうき)港、羅津(らしん)港、清津(せいしん)港は、満鉄の吉会線(吉林―会寧)や延海線(延吉―海林)と接続しており、対ソ戦時には満洲東部に円滑に兵員や物資を送るための重要な港として認識されていた。

 満鉄側にとっては北満の貨物が大連ではなく朝鮮に取られてしまう経営上の不利益があるため、当初、吉会線の敷設には反対であったが、朝鮮総督府や陸軍、外務省の圧力、そして満洲事変による情勢の変化もあってこれら満洲東部と朝鮮東岸を結ぶ路線は開通した。

 対ソ戦が現実味を帯び始めた昨今、朝鮮から吉林へ至る吉会線、朝鮮から牡丹江に至る延海線の戦略的重要性は増していた。

 満洲産業開発五ヶ年計画、その後の第二次五ヶ年計画は吉会線・延海線の複線化を実現し、合せて朝鮮の側でも港湾施設や操車場、停車場の拡張などを行ってこれら地域の輸送能力を向上させている。

 日ソ開戦となった場合には、海軍はこの北鮮三港と敦賀など内地の日本海側諸港との間の海上交通路を保護しなければならないのである。

 北鮮三港とウラジオストックとの距離は二〇〇キロから三〇〇キロ程度しか離れておらず、敵航空部隊だけでなく水上艦隊ですら容易に接近出来てしまう。

 そして朝鮮北部東岸には日本高周波重工業の城津工場など、日本の戦争遂行能力の維持に欠かせない工場が存在していた。海軍は、これら施設に対する海からの攻撃も阻止しなければならなかったのである。

 だからこそ、塚原は日本海における海上護衛作戦の困難さに呻いたのだ。


「今後、日ソ関係がより深刻化するようであれば、第七艦隊の主力は舞鶴から鎮海ないし元山に回航すべきであろうな」


 現在、第七艦隊は舞鶴軍港を根拠地としている。しかし、舞鶴から朝鮮北部東岸までは距離があるため、ソ連水上艦隊が朝鮮北部東岸の工業地帯への艦砲射撃を目論んだ場合、迎撃が間に合わない可能性が考えられた。

 そのため、朝鮮半島南端にある鎮海警備府(ここは、日露戦争時の日本海海戦に際して連合艦隊が根拠地としていた場所でもある)ないし朝鮮半島東岸最大の港湾都市である元山への進出を、塚原は口にしたのである。


「はい。日ソ関係についての情勢判断は、軍令部の方でも定期的にGF司令部に伝達いたします。GF司令部はその情勢判断に基づき、対ソ作戦における艦隊運用について具体的な検討を続けていただきたい」


「承知した」


 こうして海軍もまた、対ソ作戦計画をより具体化させていくこととなったのである。

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