33 沿海州攻略作戦の構想
「ソ連要地に対する空襲でしたら、私からも一点、申し上げてよろしいですか?」
土井と真田にそう確認したのは、高山兵站班長であった。
「ただ今、杉田作戦班長より空襲によるソ連の継戦能力の破壊という方針が示されましたが、でしたらば開戦劈頭に何としても叩くべき場所があります」
そう言って、高山は指揮棒でアムール川の下流域を指す。
「この、コムソモリスク・ナ・アムーレです」
コムソモリスク・ナ・アムーレは、ハバロフスクの北東約三五〇キロの地点に築かれた都市である。
それまではアムール川に面した寒村であったのだが、一九三二年以降、ソ連はこの地を工業都市として整備し始めた。一九三九年までに航空機製造工場と造船所が完成し、一九四一年にはソ連極東地域唯一の製鉄所であるアムール製鋼所が建設されている。
特にコムソモリスク・ナ・アムーレ造船所では、現在までにチャパエフ級巡洋艦二隻が建造されるなど、ソ連海軍太平洋艦隊の増強に貢献していた。また、太平洋艦隊の根拠地であるウラジオストクの艦艇整備能力は依然として低く、その意味でもコムソモリスク・ナ・アムーレの存在は重要といえた。
一九四〇年代、このコムソモリスク・ナ・アムーレが極東におけるソ連最大の工業都市であったのだ。
「この地にある航空機製造工場、製鉄所、造船所を空襲にて破壊すれば、極東地域におけるソ連軍の継戦能力は大幅に低下します。我が軍佳木斯飛行場からの距離は六〇〇キロほど。連山のみならず、飛龍(四式重爆撃機)でも航続圏内に捉えられます」
「コムソモリスク・ナ・アムーレでしたら、樺太側からの接近も容易です」
杉田が地図を見つつ指摘した。
「満ソ国境地帯に近い我が軍飛行場は、開戦と同時に防空戦闘やソ連侵攻部隊への攻撃、あるいはソ連領内の飛行場爆撃に忙殺される可能性が高いですから、むしろ樺太側から空襲部隊を発進させることも考慮すべきでしょう」
「いずれにせよ、陸軍単独ではソ連の航空部隊への対抗が難しい以上、海軍側からの増援をどこまで仰げるかが重要になってこような」
部下たちの対ソ作戦構想を聞きつつ、土井部長は海軍をどう説得すべきか思考を巡らしていた。
少なくとも、ウラジオストクやコムソモリスク・ナ・アムーレへの空爆作戦を、海軍が厭うとは思えない。海軍はアメリカに対抗する都合上、日本海側でソ連海軍太平洋艦隊を封じ込める必要があるのだ。
そのためには、造船施設や艦艇整備施設、燃料貯蔵施設などのあるウラジオストク、コムソモリスク・ナ・アムーレ、あるいは樺太対岸のソヴィエツカヤ・ガヴァニなど破壊する作戦に海軍は前向きになるだろう。
そのあたりを説得材料として、土井は中澤佑軍令部第一部長と協議することを考えていた。
「また、ソ連を講和会議の席に引き摺り出すためには、ソ連領内への直接進攻が欠かせません」
一方、高山兵站班長はなおも自らの主張を繰り返していた。
「確かに、沿海州全土、あるいはイルクーツク占領などといったことは困難かもしれません。しかし、ウラジオストクに上陸しそのまま北上、ハバロフスクまでは攻略すべきであると考えます。この地域であれば他の沿海州地域と違って山岳地帯はそれほどなく、ウスリー川による舟運での補給、進攻も可能と考えます」
「とはいえ、ウラジオストクからハバロフスクまで進軍するとなれば、その距離は直線でもおよそ七〇〇キロ。攻略はウラジオのみで、ハバロフスクについては空襲による無力化を図るべきではないか?」
作戦班長の杉田は、ハバロフスク攻略については消極的であった。
「あるいは、満州国に侵攻したソ連軍を撃退後、余力があれば満洲国側から攻略作戦を行うべきではないか?」
「いや、むしろソ連軍が満洲へ侵攻したならば、ウラジオからハバロフスクへの進撃はソ連軍の側背を突き、後方を遮断することにも繋がる。関東軍に対し満州国内での持久作戦を実施させるのであれば、ハバロフスク攻略は沿海州側から行うべきだ。それが、関東軍への援護にもなる」
杉田の意見に、高山はそう反論した。
「ひとまず、ウラジオ上陸作戦とハバロフスクへの進撃にどの程度の兵力が必要か、算出すべきであろうな」
真田が、両者を取りなすように言う。
「現在、我が軍の歩兵師団は三十個。戦時には五十個まで増強する予定であるとはいえ、一部は後備役の者たちを中心とした留守師団となる。増強した二十個師団すべてが沿海州攻略作戦に使えるわけでもなく、関東軍に対する予備兵力、また第三国からの干渉に備えた戦略予備という観点からもある程度の兵力は内地に残しておく必要があろう」
現在、関東軍には第一、第二、第三、第六、第八、第九、第十、第十二、第十四、第十五、第十七、第二十一、第二十二、第二十三、第二十四、第二十五、第二十六、第二十八の計歩兵十八個師団が所属している。
さらに朝鮮軍には第十九(羅南)、第二十(京城)、第三十(平壌)の三個師団が存在しているため、内地にある歩兵師団は第四(大阪)、第五(広島)、第十一(善通寺)、第十三(仙台)、第十六(京都)、第十八(久留米)、第二十九(名古屋)の七個のみであった。
この他に、戦車第四師団などの機甲部隊が存在しているというのが、内地に存在する陸軍の地上戦力の概要であった。
動員をかけることでここからさらに歩兵二十個師団を増強することが計画されていたものの、訓練などに費やされる時間、そして年齢の高い後備役の者たち中心で構成される師団の存在なども考えると、すでに編成を終えているこの七個師団の内から、沿海州上陸作戦に投入する部隊を決定すべきであった。
「ハバロフスクまで約七〇〇キロ近い距離を進撃するとなりますと、当然、部隊の損耗や休養などが必要となるでしょうから、最低でも五個師団、この他に後方警備のために後備役中心の師団で構わないですからさらに三個師団ほどは必要となるかと」
「いや、ウスリー川の舟運が利用出来れば攻略に三個師団、後方警備に一個師団程度の兵力で済ませられよう」
杉田と高山の意見は、噛み合わなかった。
「アムール川にはソ連海軍の河川艦隊が存在する」
そう指摘したのは、土井部長であった。
「当然、我が軍がウスリー川を遡上しようとすれば、アムールの河川艦隊はそれを阻止せんとするだろう。そう単純に舟運が利用出来るとは思えん。鉄道についてもそうだ。ウラジオからハバロフスクまでシベリア鉄道が延びておるが、たとえウラジオの攻略に成功したとしてもソ連軍は後退に際して鉄道路線や橋梁を破壊していくだろう。仮に無傷で鉄道路線を手に出来たとしても、ソ連の軌間は広軌。改軌のための労力も必要となり、内陸のハバロフスクへの迅速な進撃は困難となろう」
「それに、仮に日ソ開戦となれば我が軍の方でシベリア鉄道を破壊する計画です」
土井の指摘に、杉田は付け加える。
「特に虎頭要塞は、シベリア鉄道のイマン鉄橋を破壊するために築かれたようなものです。そうした点から考えましても、ソ連が整備した交通網を我が軍が無傷で鹵獲出来るとは思えません」
「ではせめて、ウラジオ北方にあるヴォロシロフまでは攻略すべきであると考えます」
第一部長と作戦班長に共に自らの構想を否定されながらも、高山はなおも食い下がった。
「ヴォロシロフ、旧名ウスリースクは沿海州におけるソ連軍航空部隊の一大拠点です。ここを攻略することで、以後のソ連軍航空部隊の動きを大幅に封じることが可能となります」
「ヴォロシロフまでならば、先ほど高山兵站班長の示した兵力でも攻略可能と考えます」
杉田は高山の沿海州攻略作戦の構想に、一定程度の理解を示した。杉田自身もソ連に対して決定打を与えるためには何かしらの積極的な作戦が必要であると考えており、兵力と国力が許す範囲での攻勢作戦ならば、あえて否定する必要もなかったのである。
「ただ、ウラジオ上陸作戦を敢行するのであれば、ソ連太平洋艦隊の撃滅は絶対に必要であろうな」
そう指摘したのは、真田作戦課長であった。
「そのためにも、海軍の対ソ戦への理解、そして協力は不可欠であろう」
「ではその点も含めて、私から中澤第一部長に申し入れるとしよう」
土井第一部長がそう言い、沿海州攻略作戦の実現は海軍がどこまで対ソ戦に戦力を投入することを許容するのかという問題へと移りつつあったのである。




