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北溟のアナバシス  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二章 北方の赤い影編

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28 関東軍の作戦方針

「満鉄には酷な役目を押し付けてしまったな」


 司令部の敷地から去っていく車を窓から見下ろしながら、梅津は呟いた。

 山崎総裁の乗る車は真っ直ぐ新京駅へ向かい、彼はそのまま大連の本社に帰るという。望めば関東軍名義で新京ヤマトホテルの手配をしたのであるが、山崎はそれを断って即座に本社に帰ることを選んだのだ。


「とはいえ、我々関東軍に満鉄を慮っている余裕などありません。致し方のないことかと」


 総司令官の心労を労るように、笠原参謀長が言う。

 関東軍自身も、実際に対ソ開戦となればそれほど余裕のある立場ではいられない。満蒙開拓団の保護には十分力を尽くすつもりではあったが、やはり戦火に巻き込まないためには満鉄に開拓団の疎開を託すしかないのだ。


「本国の連中も、なかなか無理難題を言ってくる」


 梅津は、疲れたように目頭を揉んだ。


「満蒙開拓団の送り出しの中止、そして入植した者たちの疎開・引き揚げを閣議決定しておきながら、対ソ関係に配慮してそれを公にしないとは」


 実際のところ、山崎が感じていたであろう困惑は、梅津も感じていた。山崎には対ソ関係への配慮や有事の際に開拓村が補給拠点となるという理由を述べた梅津であったが、彼自身もそれに納得しているわけではなかったのである。

 正直、ここまで日ソ関係が悪化している状況では、少なくとも国境付近の開拓民は疎開させるべきではないかと考えている。開拓村が有事の際の補給拠点となるというのも、東宮鉄男らの構想に負う部分が大きく、建前としてはともかく実際上はほとんど無価値に等しいもであった。

 北満辺境に日本人を入植させ、日本の勢力圏を確立するという以上の意義はない。

 むしろ、国境付近に開拓村が点在するために、それらすべてを補給拠点として保持しようと思えばかえって兵力が分散してしまうという弊害も存在していた。

 その意味では、開拓団の存在は戦時において関東軍が満州国内で日本人に動員をかけられるという利点程度しかないといえる。開拓“村”の方に固執する理由は、それほどないのだ。

 むしろ、開拓団の所為で満洲防衛計画が複雑化しているといえるのだから、満蒙開拓団にどれだけの軍事的意義があったのかは判らない。

 やはり、梅津としては今の関東軍司令部に尻拭いをさせている石原莞爾などの連中を呪いたい気分であった。

 結局、有事における避難民の輸送を満鉄に要請したとはいえ、関東軍は依然として満洲防衛という難問に頭を悩ませ続けなければならないのだ。

 今年に入ってから関東軍は参謀本部に対し、東部国境で攻勢、西部国境で守勢という従来の対ソ作戦方針の見直しを求めていた。さらに関東軍司令部では、満洲防衛作戦を想定した参謀旅行も実施している。

 その結果、梅津総司令官らの意見具申は認められ、参謀本部は関東軍に対し満洲での持久作戦を命じることとなった。つまり、対ソ作戦構想の転換が図られることとなったのである。

 しかし、やはり四四〇〇キロもの国境線を抱える満洲国を七十五万の兵力で防衛することは、困難と言わざるを得なかった。

 そのため新たな対ソ作戦計画では、国境付近を前衛陣地と定め、その後方に主抵抗陣地線を設定することで、防御正面を出来るだけ縮小する方針がとられることとなった。

 まず、従来、沿海州への攻勢を担うはずであった東部国境には、虎頭要塞や東寧要塞などの永久陣地が築かれていた。特に第四国境守備隊の拠る虎頭要塞は、満州国内に十四ヶ所築かれた要塞の中で最も強大な要塞であると認識されている。

 虎頭は四四〇〇キロに及ぶ満ソ国境の中で唯一、シベリア鉄道を視認出来る場所であった。当然、その地に築かれた虎頭要塞は、対ソ戦に際してシベリア鉄道を砲撃によって破壊する任務を帯びている。

 これに危機感を覚えたソ連側は、ウスリー河に架かるイマン鉄橋をさらに十五キロ、国境線より遠ざける措置を取っている(イマン迂回鉄橋)。

 このため虎頭要塞には、そのイマン迂回鉄橋を破壊すべく、試製四十一センチ榴弾砲が運び込まれている。最大射程は二万メートルにも及ぶため、十分にイマン迂回鉄橋を射程に収めることが可能であった。

 さらに要塞には帝国陸軍唯一の列車砲である九〇式二十四センチ列車加農(列車砲)も配備されていた。

 陸軍は第一次世界大戦の戦訓から、遠距離より敵の拠点を砲撃出来る列車砲の存在に注目しており、九〇式二十四センチ列車砲は、フランスのシュナイダー社が製造した列車砲(ただし、シュナイダー社が製造したのは砲身のみ)を国産化したものである。

 とはいえ、制式採用された一九三〇年(皇紀二五九〇年)以降、航空機の発達が著しかったことから列車砲の存在意義は薄れ、結局、この砲はフランスから輸入された一門と、国産化された四門の計五門が製造されただけで終わってしまった(後継の列車砲も開発されていない)。

 陸軍の保有する五門の二十四センチ列車砲の内、虎頭要塞には二門が配備されていた。こちらは最大射程五万一二〇メートルと、試製四十一センチを凌駕する射程を誇る。さらに新開発のロケット推進弾を用いれば、射程は六万五〇〇〇メートルにも達する計算であった。

 そして、これらの巨砲を擁する虎頭要塞の主要な区画は一トン爆弾の直撃にも耐え得る鉄筋コンクリートに覆われていた。

 このため、虎頭要塞は満洲国内で最も有力な要塞と見做されていたのである。

 そして、これらの要塞および野戦陣地を前衛陣地として、佳木斯(ジャムス)―林口―八面通―下城子を結ぶ線を関東軍は東部国境における主抵抗陣地線と定めていた。

 一方、北部国境については孫呉および海拉爾(ハイラル)を主抵抗陣地と設定し、鉄道の遮断・破壊などによってソ連軍の侵攻を阻止・遅滞させる方針がとられた。この地域には、黒河(こくが)要塞、霍爾莫津(ホロモチン)要塞、愛琿(あいぐん)要塞、海拉爾要塞の四つが築かれている。

 この内、海拉爾要塞は北西部国境の要であり、残り三つの要塞は北部正面を守る位置に存在する。

 北部正面の三要塞の内、最も施設が充実しているのがコンクリートを用いた地下陣地の存在する愛琿要塞であった。

 また、この地区には虎頭要塞と同じく二十四センチ列車砲二門が配備されていた。こちらは、黒河対岸に位置するブラゴヴェシチェンスクにあるソ連軍飛行場を破壊するためである。

 加えて、特に北部正面はソ連軍が国境線を突破しそのまま南下されれば北満油田の保持が困難となることが予想されたため、さらに嫩江(のんこう)、北安、綏化などにも野戦陣地を構築し、防衛の際の十分な縦深を確保する計画であった。

 そして、最も防衛が困難であると考えられていたのが、西部国境である。厳密に言えば西部国境はモンゴル人民共和国と接している距離が長いのであるが、日本はモンゴル人民共和国をソ連の傀儡国家であると見做していたため、この地域も実質的には満ソ国境の一部であった(日ソ中立条約に附属する声明書では、満洲国およびモンゴル人民共和国の領土の保全および不可侵を明記している)。

 西部国境は東部や北部と違い、山岳地帯や大河といった地形的な障害に乏しい。大興安嶺山脈の南端に位置するため地形的障害がほとんどなく、しかも砂漠と草原が広がるために樹木等の障害もまばらだったのである。

 ここから満洲国の中枢である新京、奉天まで地形的障害のない地域が続いているため、満洲防衛上の弱点であるといえた。

 さらに、日本側には単線の白杜線(白城子―杜魯爾(トロル))というか細い一本の補給線しか存在していないことも問題であった。

 この地域にはコンクリートを用いた大規模な要塞は存在せず、阿爾山(アルシャン)五叉溝(ごさこう)王爺廟(おうやびょう)に野戦陣地が築かれている程度であった。これら陣地を前衛陣地とし、主抵抗陣地線はその遙か後方にある洮斉線(洮南―斉斉哈爾)に沿って、ソ連軍の新京・奉天侵攻を阻止するというのが、西部国境線防衛計画の骨子であった。

 このため、満蒙開拓団の疎開地域を満鮮国境の三角地帯と定める決定に繋がったのである。

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