93.森を越える戦士たち
夜はまだ冷えるが、日中は相当過ごしやすくなった。
彼方の森には新緑の芽吹きが。
近場で言うと、冬の間は放っておかれてすっかり土が固くなった畑から、雑草が生えてきた頃。
私の生活はあまり変わらなかったが、冬の間はほとんど外に出ることがなかった白蛇族の姿を、最近ちらほら見るようになった。
もう、春と言っても差し支えない季節になったのだ、と思う。
「そろそろ家に帰らんとなぁ」
――婆様がごろごろしながら冬の終わりを認めたので、冬越えは果たしたと判断していいだろう。
「婆様帰るの?」
サジライトの胴をにょーんと伸ばして遊んでいたナナカナが言うと、婆様は唸っているのか相槌を打ったのかわからない「う~ん」とはっきりしない濁った声を発する。
「帰りたくない……ずっとここで食っちゃ寝の生活をしたい。自堕落で怠惰な余生を過ごしたい……」
少しは本音を隠してほしいんだが。子供が見ているんだぞ。
「もう少しいたらどうだ。どうせ呼ぶのだし」
同じくごろごろしているアーレが、まだまだ気の抜けた声と顔と態度で言う。
だが、彼女に関してはそれでいい。
――かなりお腹が大きくなっているからだ。
婆様が言うには、アーレのお腹の比率は、通常の白蛇族の女性よりも少し大きいらしい。
「冬の間しっかり食べたからだ」と本人が言っていた。
確かにちゃんと三食食べていたので、栄養素が足りていたという証拠、と言えるのかもしれない。
もういつ産気づいてもおかしくないらしい。
そして婆様は薬師であり産婆でもあるので、その時が来たらどうせ呼ぶことになる。
ならば、アーレの出産まではいたらどうか、という話である。
アーレが言うには、もう腹の中で踊り狂っているのかというくらい動きまくっている、そうだ。
私も彼女のお腹に耳を当ててすぐ蹴られたから、暴れているのは確かだと思う。
やんちゃでもいいから、逞しく元気に産まれて、育ってほしいな。
できれば、冬以外は生傷が絶えない戦士にはなってほしくない。
でも、アーレの子供なら、自然と戦士の道を進みそうな気がするな。
――何にしろ、やはり、健康に産まれてほしい。できることなら母体に負担をかけないように。
「うーん……そうじゃな。ではアーレの出産が済んだら帰るか。それまでは世話になるぞ」
と、婆様は私を見た。
「そろそろよかろう。土塊魚を出してくれんか」
え? ああ、ナマズか。ナマズの蒲焼か。
「婆様はあれが好きだな」
「ああ。この年まであんなうまいものは食ったことがなかった。魚とはうまいものじゃったんじゃのう」
肉が主食の白蛇族なので、魚肉は結構珍しいのかもな。
「いつ死ぬかわからん老いぼれじゃからの。死ぬ前に飽きるほど食っておきたいわい」
……まだまだ長生きしそうだけどな。
今が四十ちょっとなら、あと十年以上は……難しいのかな。
でも生きてほしいけどな。
「じゃあレイン、とりあえず十人分くらい魚の用意をしておけ」
「え? 十人?」
「――そろそろ話をせんと間に合わんからな。森を越えておまえの使用人を連れてくる戦士を呼び、話を通す。そいつらの分だ」
あ、そうか。
サララの花が咲くのは、もうそろそろか。
そんな話をした四日後の夜。
アーレが人選した戦士たちが、家を訪ねてきた。
「――久しぶりだな」
冬の間は一度も家に来なかったタタララ。
アーレは時々家に遊びに行っていたそうだが、私は本当に冬の間は一度も会っていない。
……そういえば、本格的に寒くなる直前に、彼女と約束したな。
「冬は自分の家に帰る」と。
遠回しに「新婚の夜は邪魔しない」という意味だ。
「――よう、アーレ。……おぉ……噂には聞いてたが腹でけぇな。おまえもそろそろ産むのかよ。うちの嫁もだ」
三人の嫁を持つジータ。
アーレとは会っていないはずだが、私は冬の間に何度か彼と会っている。子供の治療に呼ばれたから。
そうそう、三人目の嫁が妊娠しているんだよな。出産時期もうちと同じみたいだ。
「――冬の間は世話になったな、レイン」
割と最近まで、毎日魔骨鶏の卵を届けてくれていたカラカロ。とりあえず「こちらの台詞だ」と返しておいた。
そして、私の時と同じように、交渉役として今回も同行するというナナカナ。
霊海の森を越えるのは、この四人である。
去年の春。
私を迎えに来たのは、アーレ、タタララ、ナナカナの三人だった。
しかし今年は、男女で割れた集落問題が解決したので、男の戦士も動かせる。
ジータとカラカロは、若い世代では群を抜いて強いそうだ。
族長問題で揉めていた時、この二人は族長候補として名が挙がることがあったそうだから、心配はいらないだろう。
もちろん、タタララも同じくらい強いそうだ。
まあアーレと肩を並べて戦えるくらいだから、弱いわけがないか。
そして唯一戦士じゃない同行者のナナカナは、交渉と、人物の見極めと、森の中での道案内の役割もあるそうだ。
霊海の森に入ることは多々あれど、白蛇族の戦士でも、森の奥深く……もっと言うと向こう側まで行くことはまずない。
私やケイラの時のような、特殊な理由がなければ、行かない場所まで行くのだ。
森の中でも、森の向こうでも、下手に動いて迷わないように、ナナカナが星を観るそうだ。
「――ふーん。レインの故郷の女を連れてくるのか」
食べながら話を、という段取りだったはずだが。
夕食として出した食事は、全員ががっついて一瞬でなくなった。
ゆえに、食後の話となった。
早速酒を呑み始めたジータが、簡潔に説明したアーレの話をまとめた。
「詳しくはナナカナが知っているから、細かいことは任せればいい。おまえたちはナナカナと女を守り、迎えに行って連れて帰ってくればいいだけだ」
本当に簡潔な説明だが、ジータとカラカロは「余計な説明はいらない、これで充分」と言わんばかりに頷く。
そして酒を呑む。
……この豪快な呑みっぷりがちょっと懐かしい。冬を越えたんだな、また狩りの季節が来るんだな、という気がしてくる。
「なあ、はっきりさせたいんだが」
と、タタララが私を見た。
「レイン。その迎えに行くという女だが、アーレより大切な女とは言わないよな?」
「ああ」
私は即答した。
「正直、優先順位なんて付けられない。でも両方が困っていた時、私が咄嗟に助けるのは絶対にアーレだ」
秋に結婚して、新婚として冬を越えて。
ますます好きになったし、愛しいという気持ちも強くなった。
子供が産まれたら、きっともっと好きになるし愛しくもなるだろう。
「その言葉を信じていいのか?」
「ああ、信じてくれ」
「約束を違えたら、女かおまえを殺していいか?」
「いいよ」
――その辺のことは、手紙でケイラにも伝えてある。
いざという時、私は君を庇えないと。
困っていればいつだって助けたいが、でも助けになれない時もあり、優先するのは君じゃなくて嫁になる、と。
ケイラ本人にも伝えたし――私自身も覚悟している。
私の目の前で、彼女が何らかの理由で殺されるようなことがあるかもしれないが、黙ってそれを見届ける。助けることはしないと。
そして、そんな警告を了承してなお、彼女はこちらに来ることを望んだ。
ならばもう、私から言えることはない。
「……わかった。私はもう何も言わない」
きっとタタララにとっては承服しかねる話なのだろう。
いや、承服どころか、親友の旦那の昔の女を迎えに行くと考えれば、面白い話であるわけがない。
でも、そんな気持ちを呑み込んででも、迎えに行く……苦労して働いてくれることを決めた。
「皆、ありがとう。私の我儘に付き合わせてすまない」
私も同行できればまだいいが、私は弱いので一緒には行けない。
頭を下げて頼むことしかできない。
本当に、ありがたい。
ありがとう。




