88.嫁激怒
霊海の森の向こうから、友人フレートゲルト・カービンに頼んでいた調査結果が届いた。
私の専属メイドだったケイラ・マートに関する調査である。
結論から言うと、彼女の周辺では、特に動きはないそうだ。
実家との不和は知っていたことだし、ケイラ自身からそう聞いたこともある。もう何年も連絡を取り合っていないと言っていた。
だったら、「レインティエ殿下の傍にいたい」という要求は何だったのか、という話になるが……
その疑問もあるが、もう一つ引っかかることがある。
「動きがない、か」
夜である。
低品質の光源の魔石は、薄ぼんやりと薄暗く光るのみ。
光が弱いのでかなり読みづらいが、持続時間だけは長いので、常用するには重宝する。
私は一日を終えて自分の家に戻ると、届いていた手紙に目を通していた。
もうすぐアーレが「夜這いに来たぞ」と言いながら泊まりにくると思うので、その前に内容を確かめている最中である。
手紙の内容はあまり厚くない。
強いて言えば、実家との不和が思った以上に深刻っぽいということだ。
特に毒の下りは……もし真実であるなら、普通に犯罪だ。
継母に邪険にされた上で毒を盛られた。
その結果、子を宿せない身体になってしまった。
想像にたやすいが、実に不愉快な話である。
もう十年以上、そろそろ二十年も前の話になるはずだ。
真偽を問うことも、その結果罪に問うことも、もう難しいだろうな。
……国を離れた私にできることはない、か。
まあそれはさておき。
「何も動きがないんだよな」
国を発つ準備をしていた時、ケイラに自分がいなくなった後の身の振り方を聞いたことがある。
――「私は霊海の森の向こうに婿入りすることになった。さすがにケイラを連れて行くことはできないから、次の職場はどうする?」と。
そしてケイラはこう答えた、はず。
――「私のことは気にしないでください。殿下が旅立ってからのことは考えてありますから」と。
それを聞いて、私はケイラの希望する別の職場があるのだと思った。
王城から去るのか、それとも別に何かあるのか。
そこまでは深入りしなかったが……次にやりたいことがあるというような口調に、納得した記憶がある。
霊海の森の向こう、神々が住まう大地に婿入りすることは、限られた一部の者にしか明かされなかった。
私の準備に付きっきりで、手伝いもするケイラには、明かすことが決められた。
ずっと傍にいるのだ、下手に勘繰られて広められては逆に困るから。
――で、今である。
私がフロンサードを後にし、半年以上が経っている。
もっと言うと、もうすぐ一年だ。
それを鑑みての、この調査結果。
特に動きはない。
つまりケイラは、彼女は、私がいなくなってから、なんの動きも見せなかったということだ。
私の専属メイドとしての役目が終わった後は、恐らく人事の文官に身の振り方を聞かれたはずだ。
何せ私もそれとなく、肩こり腰痛という弱みに付け込んで、できるだけケイラの希望に添うように面倒を見てくれと、針を打ちながら頼んでおいたから。
王城の一使用人の身の振り方くらいは、多少の便宜は図ってくれたはずだ。
別に不正でもないし、負担でもないだろうから。
ケイラは優秀なメイドだった。
能力も家柄もあるのだ、どこに出しても問題はないだろう、と。
…………
特に動きはないんだよな。
ならば、きっと、ケイラは次の職場に対する希望を出さなかったのだろう。
その結果、そのまま王城の一メイドになり、今も働いているそうだ。
……次の希望なんて、私が発った後のことなんて、考えてなかったんだ。きっと。
「――おい婿殿。夜這いに来たぞ」
手紙を手にしたまま考え込んでいると、寒気をまとった嫁が夜這いに来た。
「今日はまた寒いな」
と言いながら、私に抱き着いてくる。うわ本当に寒いな。本家からこの家までほんの十数秒なのに、アーレの身体はしっかり冷たくなっている。
「早く毛布の中に」
「うん。早く」
「いや、ああ、ちょっと」
強引に私を引き込もうとするアーレを、止める。
「なんだ? 寒いぞ」
不可解という顔をする嫁。
まあ、昨日まではこの流れだったから、今日になって急に違う反応をされると戸惑うかもしれない。
「アーレ」
「なんだ」
「そろそろまずいと思う」
と、私は彼女のお腹に触れる。さすがにそれで意味はわかるだろう。
「そうか? 我の勘ではまだ大丈夫だぞ?」
「大事を取ろう。私はあなたも子供も大切で、心配なんだ。だから出産するまで……」
「……わかった」
アーレは神妙な面持ちで頷いた。気持ちが伝わったようだ。
「じゃあ今日までだな」
「え? いや今日から」
「ダメだ。我はもうその気で来ている。今日までだ」
えぇ……
「今日が最後だと言うなら尚更だ。――今日こそおまえに勝つからな。今日こそ我がレインを抱く!」
は、はぁ……そう……
「ちょっと加減しようか?」
正直、何がどうなって勝敗がついているのかはわからないが。
これから出産までしないとなるなら、区切りとしての最後を迎えると言えるだろう。
最後くらい勝ってすっきりしてほしい、という気持ちで提案したのだが。
「ふざけるな」
どうやら同情したと思ったらしく、嫁の瞳が戦士のそれに変わった。
「手加減されて勝って何が嬉しい? 正々堂々とやって圧倒的に勝つ。それでこそ勝利だろうが」
…………
圧倒的、ねぇ。
最後まで泣かせるのは、ちょっと、気が引けるんだけどなぁ……
なんだかんだあってアーレを泣かせて参ったと言わせた後、二人で眠り、朝。
ささやかなまどろみの中、私は半分寝ているような状態で、寝ているアーレのお腹に触れていた。
出産。
私の子供が産まれる。
まだ期待も不安も半々だ。
アーレのお腹を撫でていると、段々期待の方が大きくなっていくが……期待しすぎても彼女の負担になりそうなので、悟られないように気を付けよう。
季節は巡る。
私は結婚し、人の親になろうとしている。
でも、きっと、ケイラの時間は、私が去ってから止まったままなのだろう。
…………
アーレに話してみようかな。
今度の春、私と同じように、半年の猶予を与えて面倒を見てほしい女性がいる、と。
「つまり、おまえの過去の女を呼びたいと? そう言っているのか?」
「待った。過去の女ってことでは……」
「――妊娠している嫁によく他の女の話ができたな? これはさすがに湧くな。殺意」
いや湧かないで!
倒置法で強調しないで!
……話の運びを間違えただろうか?
「起こされて早々、そんな話を聞かされるとはな。……我は確かに幸せの中で寝ていたはずなんだがな。まさか起き抜けに高い崖から突き落とされたような気分になるとはな」
…………
比較的心穏やかなタイミングを狙って話をしたつもりだったが、これは。
完全に裏目か。
「違うんだ。姉みたいな存在なんだ」
「姉みたいな女か。そうか、年上が好きか。確かに我は年下だもんな! 胸も小さいしな!」
「胸の話はしてない!」
「どうせ男はエラメのような大きいのがいいんだろう!?」
「私はアーレの胸が好きだ!」
「小さいのにか!? こんなに小さいぞ!?」
「いい形だと思ってるよ! 大きさはともかく美しいと思ってる!」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「小さくてもいい?」
「正直大きさはどうでもいいんだ。私はアーレの胸が好きだから」
「そ、そうか……我もレインの胸が好きだ……」
「そう? よくある真っ平な胸だけどありがとう」
「――でも年上がいいんだよな!?」
一瞬鎮火したかと思ったが、ただのフェイク、もしくは息継ぎだったようだ。
怒りの炎はまだまだ燃え盛っている。
朝からアーレの説得という大仕事があったが、なんとか話を聞いてもらった。
「つまり、故郷に置いてきた奴隷を呼びたいのだな?」
奴隷という言い方にかなり抵抗があるが、使用人という言葉に代わるものが他に思いつかなかった。
下男とか下女とか、使用人とか奉公人とか、そういう文化がないらしい。
なお、奴隷の文化は昔のことで、ここらではとっくに廃れているそうだ。
「奴隷っていうか、家のことをしたり人の面倒を見たりするのは、向こうではちゃんとした仕事なんだ」
言われてみれば、使用人と奴隷の仕事の差を考えると、似通っている気はするが。
基本、どちらも雑用や小間使いだからな。
階級によっては身分や礼儀作法なんかも関わってくるから、差と言えばその辺になるか……
でもこちらには、その身分や礼儀作法という文化があまりなさそうだしな。
「そうか。使用人、といったな。覚えておく」
うん。
まあ、アーレが今後も使う言葉になるかどうかはわからないが。
「で、しの使用人を呼びたいのか?」
「ああ。心配なんだ」
「おまえの嫁になるのか?」
「ならない。私にそのつもりはないし、彼女にもない」
アーレの金色の瞳がすっと据わる。
「――では、おまえと使用人が互いに番になることを望んだら、使用人を殺していいか?」
…………
本気だな、アーレ。
だが、そもそも霊海の森を越えることこそが命懸けだ。それくらいの覚悟がなければ迎えに行くだけ無駄になりそうだ。
「彼女は私のものじゃないから、彼女の命を勝手に賭けることはできないよ。
――私が賭けられるのは自分の命だけだ。それでいいなら応じよう」
「ずるい答えだな。我はおまえを殺せない」
「でも覚悟して発言している。アーレの優しさに付け込みたいとは思っていない」
「いいか、はっきり言うぞ――」
アーレは睨むように瞳を輝かせながら、私の胸倉を掴んで引き寄せる。
「おまえは我のものだ。我だけのものだ。誰かに与えるつもりも分け合うつもりもない。我だけのものだ。
それを邪魔する者に容赦する気はない。誰であろうと殺す。誰であろうとだ」
殺意を孕んだ愛の告白。
過激だし危険だし腰が引けるほど恐ろしい。
だが、そこに同時に混在するアーレの情の深さと重さに、私は確かに喜びも感じていた。
「私も思っているよ。アーレは私だけのものだ」……お互い、子供ができたら多少意識は変わってしまうかもしれないけど」
子供が大切になるだろう。
私とアーレの子だ、大切じゃないわけがない。
きっと、嫁と比べることができないほど……同じくらい大切になるだろう。
「でも、今は間違いなく。私はあなたのものだし、あなたは私のものだ」
なんとかアーレの説得はできた。
あとは、できるだけケイラの本音を伺いつつ、こちらで受け入れる準備をするだけ。
迎えに行くのは、きっと春になるだろう。




