85.大人としてダメかもしれない
特に寒い日だった。
曇天の空を見上げると、今にも雪が降り出しそうだ。
朝でも薄暗い、白蛇族じゃなくても厳しい寒さに身がすくむ。
朝の支度をして、本家で寝ている患者たちの様子を見る。
最近の日課である。
寝る前に針を打っているので、夜中に悪化することがない。つまり夜中に起こされることがなくなった。
僥倖である。
これは嬉しい!
アーレが怒らない!
前は、夜呼ばれる時は放っておかれる形になるアーレが、絶対に不機嫌になっていた。もちろん私も心苦しかった。
しかし立場上行かないわけにもいかない。
集落を守るのが族長であり、私はその婿だ。族長の仕事を支えるのは役目の内である。
集めている子供や老齢の女性たちを診て、それから一日の仕事を始める。
今日も、集落に人影は皆無だ。
寒さに弱い白蛇族は、今日は特に、外に出ることはないのだろう。
――そんな寒い日だった。
「婿さん婿さ寒いっ!」
ん?
養殖池と家畜の様子を見て、実験も兼ねているので今日も温室を用意して表に出す。
それから風呂釜に取りかかっていると、名を呼ばれた。
子供の声だった。
呼ばれて振り返ると同時に、バタンとドアが閉められた。
……何だろう。嫌がらせか? 呼んでおいて隠れるとかいうイタズラか?
そういうのは子供らしいとは思うが、冬は白蛇族の子供でさえそういうことをする元気はないみたいなんだが。
なんて思いつつ首を傾げていると、ドア越しに言葉が飛んできた。
「――婿さん! 卵が動いてる! 犬が生まれそうだ!」
おっ、ついにか!
私は持っていた木材を置いて家に走った。
卵から犬が孵る。
もう字面からしておかしなことになっているが、神秘に満ち溢れたこの地においては、ありえない話ともなかなか言いづらい。
何せ、商人が自信満々で賭けに出たのだ。
私としては、その時点で信憑性は非常に高い。
犬の卵は、傷みがひどい古い毛皮でベッドを作り、その上に安置していた。
家の中にいる時は、だいたい私が抱いていた。
冷やしすぎたり熱しすぎたりしなければ、放置でいいとは聞いていた。抱える必要はないのだが。
時々、固い殻の中で何かが動く振動を感じては、もうすぐ孵るのだろうと、不思議に込み上げてくる愛しさとともに心待ちにしていた。
そして、その瞬間がついにやってきた。
毛皮のベッドの上で、揺れている卵。
それを見守る子供たち。
大人たちは興味なさそうにごろごろしている。
昨夜私の家に泊まったアーレがいつの間にかこっちの家に移っていたが今は寝ている。
婆様は「早く戸を閉めろ」と怒鳴る。
ナナカナはまだ来ていないようだ――いやさっきの子供の声が聞こえたようで私の後からやってきた。「犬は卵から産まれないよ」と言いながら。でも本当なのかどうかは気になっていたらしい。
なんだかまとまりのない集団の中、子供たちと私が見守っている中、ぴしりぴしりと卵にヒビが走る。
いよいよだ。
いよいよ産まれるのだ――犬が。
なお、私は犬が産まれようが犬以外が産まれようが、愛して育てるつもりである!
そして――
「……犬?」
「犬?」
「…………犬」
「犬」
「……いぬ」
犬……犬、か?
きゅー
鳴いた。
犬じゃない。
そう、犬では、ないと、思う。
でも可愛いのが産まれた。我が人生に悔いなし。
黒い毛並みに、白く短い両足。顔の作りは犬っぽいが、どちらかと言うと猫に近い気がする。胴が長い。尾も長く太い。
……いたち? 鼬か? これイタチじゃないか? え、フェレット?
「はっはっはっはっ!」
つぶらか青い瞳できょろきょろしている産まれたての犬?を呆然と見ていると、ぐったり横たわってこちらを見ていた婆様が笑った。
「化鼬かい! そりゃ確かに犬じゃわい!」
ウィ……え?
「これが化鼬なんだ。初めて見たよ」
私も子供たちも全然ピンと来ていないが、ナナカナは知っていたようだ。
「じゃあ犬だね。ルフル団はインチキじゃなかった」
嘘だろ。ちょっと待ってくれ。私を置いて行かないでくれ。
「これ、犬じゃないように見えるんだが」
見た通りに至極当然のことを言うと、ナナカナは言った。
「化鼬は魔獣の一種だよ。魔法で体格が近い生物に擬態する力があって、他種族の群れに紛れこんで身を守るの。犬、猫、狼、狸とかカワウソとか、そういうのになれるんだよ」
擬態、能力……そんな魔獣もいるのか。
「正確には『犬でもある』と言ったところじゃな。ルフルの連中は嘘は吐いとらんじゃろう、誠実でもないがな」
へえ……
でもまあ、可愛いから私は全然何でもいいが。
「婆様、なんでルフル団は犬だって言ってたの?」
「そりゃ犬は役に立つからじゃな。化鼬は人に懐くが、生活の役には立たん。冬ならば無駄飯食らいになるから、特にな」
つまり可愛いだけってことか。
充分じゃないか。
「触っても大丈夫か?」
その化鼬は、さっと己が割った卵の殻に隠れて警戒しつつこちらを見ているが。
非常に可愛い。早く撫でたい。
「大丈夫じゃ。人に懐くからの。ただし爪は鋭いから気を付けろよ」
と言っている間に、待ちきれなかった子供が手を伸ばすと、化鼬は特に警戒することもなく、するするとその手を駆け上り子供の首に巻き付いた。あっ可愛い。これは可愛いよ。
子供たちがきゃっきゃ言いながら喜んでいる。
ただでさえ娯楽が少ない上に、冬ななので外に出る気にもなれず、おまけに少々体調が悪い。
そんな中で産まれた、可愛い子である。
喜ばないはずがない。
ナナカナも、ルフル団が売り込みをしていた卵を見ていた時のような冷めた表情ではなく、ほかの子供と同じように嬉しそうだ。
……さすがの私も子供を押しのけてまで愛でるのはダメだとわかっているので、この間に婆様に飼い方を聞くことにした。
とりあえず、何を食べさせればいいのかを聞かないと。
「ふさふさしてるー」
えっ? ふさふさしてるの?
「かわいいー」
知ってる! 可愛いよな!
「体温あついー」
動物って人間より少し平均体温高いよね。
――やはりここは、子供を押しのけてでも触りに……いやダメだ! それは王族とか蛮族とか関係なく大人としてダメだ!
気になるが……気になるがっ……!
「……お、なんだ? 卵が孵ったのか?」
騒ぎが無意識に届いたのか、寝ていたアーレが覚醒して起き上がる。
「どうだった? 犬だったか? どれ、見せろ。こっちに持ってこい」
…………
私の嫁、大人としてちょっとダメな人なのかもしれない。




