45.雷が落ちた
「――アーレ嬢!」
うおーだのふぉーだのと雄叫びを上げている戦士たちに近づくと、すぐに朱を一滴加えた白髪を見つけた。
「レイン」
振り返ったアーレ・エ・ラジャの身体は、当然のように血に染まっている。
「大丈夫か!? 怪我したのか!?」
私は遠目で見ていたので、誰がどこにいてどうなったか、というのは詳しくわからない。
姿を見る限りでは、アーレ・エ・ラジャが怪我をしているように見えるが……
「いや、返り血だ。今日の大物狩りは楽な方だった」
よかった。
擦り傷くらいはあるようだが、大怪我というほどのものはなさそうだ。
「お、そうだったそうだったぁ」
え?
……えっ!?
「アーレよぉ。おまえ番ができたんだってなぁ」
すぐ傍にいた男の低い声に振り返ると……これまでに見たことがないほど大きな身体に驚いた。
これは……冗談抜きで、私の倍くらいの背丈があるんじゃないか? そこまではないか? いや、どっちにしろ大きいからどっちでもいいか。
こんなにも誰かを見上げたのは初めてである。
巨体で、頭に角がある……特徴だけ見ると戦牛族だろうか。
「まだなってねえ!」
そう言ったのは、ジータである。こいつも身体や両手が血に染まっている。怪我をしているかもしれないが婆様に任せよう。私はあまり彼を診る気はない。
「おうそうかぁ。ジータはフラれたかぁ」
「フラれてねえ!」
「だから言っただろうがぁ。本当に好きな女はぁ、一番最初に娶れってよぉ」
「ガキの頃から娶ったも同然だと思ってたんだよ!」
そういえばジータはもう三人嫁がいるんだよな。まあ、どうでもいい話だ。
「アーレ嬢、この方は?」
見る限り、相当なご年配である。そして彼女たち二人の様子からして親しくもあるようだし、彼も二人の内情を知っているらしい。
交友がある相手なら、私も自己紹介くらいはしておきたい。
「戦牛族の族長キガルス。実績も信頼もあり、ここらで知らない者はいない勇猛な戦士だ。我やジータが子供の頃から、よく面倒を見てくれていた恩人でもある」
「俺がキガルスだぁ」
若干のんびりして穏やかさを感じさせる口調だが、外観も声もどこまでも野太く逞しい。
酷使してきたのだろう傷跡だらけの肉体も、やはり筋肉でバッキバキ……というより、もうなんというか、人間型の魔獣と呼んだ方が近いくらい体格が違う。二の腕なんて明らかに私の胴回り太いし。規格外にも程がある。
「私はレインティエだ。よろしく」
「おぉ、おまえがレインかぁ。大狩猟では俺んとこの若いのが世話になったらしいなぁ。怪我に針ぶっ刺して治すんだろぉ? 意味がわかんねぇなぁカッカッカッ!」
まあ……まあ、そうかもしれない。
人体に針を刺すって、基本的に怪我をさせる行為だからね。それで治すというのは矛盾しているように思えるのだろう。
「族長、そろそろ良さそうだ! とどめ頼む!」
カッカッカッと笑っているキガルスに、彼と比べると頭一つ分小さい戦牛族の男が駆け寄ってきた。それでも充分見上げるほど大きいのだが。
本当に身体の大きな部族である。
女性だって私より大きいくらいだからな。
「とどめかぁ。おまえがやりゃいいだろうがよぉ。いつまでもジジイを働かせるんじゃねぇよぉ」
「一番の働き者の仕事だろ」
どうやらそういうルールがあるらしい。
とどめと言うと、空を飛ぶ蜥蜴のことだろう。もう動けないのだろうが、まだ息絶えてはいないようだ。
「アーレぇ、ジータぁ、おまえらやるかぁ?」
本当に面倒臭そうな顔で話を振るキガルスに、こっちの二人も嫌そうに答えた。
「獲物を譲ってもらう趣味はない」
「やんねぇよ。誰がどう見てもキガルスの獲物じゃねえか」
非正規ではあるが、双方白蛇族の族長を名乗る身である。
おこぼれのような武功を得ようとは思わないらしい。
「あーあぁ。面倒臭ぇなぁ」
そう言いながら、彼は老体を引きずってゆっくり歩いて言った。
……戦牛族の族長キガルス、か。
私は護身のための剣が多少使える程度で、他人の強さがわかるような達人ではない。
だが、それでもわかる。
あの男は、生涯私が出会った人の中で、一番強い者だ。フロンサードの将軍や騎士団長など子供扱いにできるくらい強いだろう。
アーレ・エ・ラジャやタタララでも充分強いと思っていたが、彼は別格だ。伊達に大きな身体をしていない。それに見合う戦士である。
「レイン」
文字通りの意味で大きな背中を半ば呆然と見送っていると、アーレ・エ・ラジャに呼ばれる。
「空を飛ぶ蜥蜴の解体が終わったら引き上げる予定だ。それまで怪我人の面倒を見てやってくれ」
ああそうだった。
私はそのためにここに来たんだ、やることはやっておかないと。
「あなたに怪我はないんだな?」
「ああ、大丈夫だ」
「わかった。あなたが無事でよかった。ではほかの……」
と、視線を動かしたところで、憮然とした顔でこちらを見ているジータと目があった。
……うん。まあいいか。
「ほかの怪我人の様子を見てくる」
「おい。俺の怪我については聞かねえのか?」
あ、絡んできた。
「まあいいかって思って」
「なんでだよ。俺にも聞けよ」
「わかった。婆様に伝えておく」
「なんでだよ。おまえが今俺に聞けばいいだろ」
……面倒臭いのがここにもいたぞ、キガルス。
「じゃあ……………………怪我は?」
心底嫌そうな顔で聞いてやると、ジータも心底嫌そうな顔でこう言った。
「ねぇよ! あってもおまえにゃ言わねぇよ!」
なんだこいつ。
腹が立つ。
帰ったらナナカナに言いつけてやるからな。
なぜか睨み合う……いや、好きな女性を取り合うつもりで睨み合っている私とジータを見て、今度はアーレが面倒臭そうな顔をした。
「おまえたちは何をしている」
と、しょうもなさそうに言ったその時だった。
「――ぐああぁぁぁあっ!!!!」
終わったはずの戦場に、獣の咆哮が駆け抜けた。
私は身をすくませた。
声が近い。
私の意思に関係なく、本能が怯えた。聞いてはならない声を聞いたと。危機を感じてすくみ上った。
「なっ……!?」
「なんだどうした!?」
「今のなんだ!?」
終わった気になっていた戦士たちが騒ぎ出す。
私なんて固まって動けなくなるほどの衝撃だったのだ、騒げるだけ強い師慣れているだろう。
「大変だ!!」
ざわつく戦場を貫くように、誰かが叫んだ。
「キガルスの腰にまた雷が落ちた!!」
えっ? 雷? 落ちたのか?
あ、じゃあさっきの声はキガルスのか! 咆哮じゃなくて悲鳴か!
思わず空を見上げる。
雨雲は変わらず広がっているし、空を飛ぶ蜥蜴が降りてくる時に割った場所も、再び雲が覆っている。
だが、雨は降っていない。
雷の光も見えない。
そもそも落ちた音もしていない、はずだが。
「ヒヒ蛇持ってこい!」
「ダメだ! キガルスはやりすぎてもう麻痺が効かねえ!」
「引きずって帰るしかねぇか」
「ここから一番近い集落はどこだ? そこに運ぼう」
ざわつきが具体的になった。
まあ、新たな魔獣が現れたわけでもなさそうなので、雷に打たれた……?キガルスには悪いが、どこか気楽である。
「――レイン、おまえの針は痛み止めの効果があるよな?」
アーレ・エ・ラジャに問われた瞬間、言わんとすることを理解する。
「あの体格で効くかどうかはわからないけど、試してみるよ」
私の指先で、果たしてあのサイズの人に効果が出るだろうか。残念ながら癒しの力はあまり強くないんだよな。
「頼む。我は経験がないが、婆様が二回やっている。その時は動けなくなった」
「え? 婆様が雷に打たれたのか?」
しかも二回も?
よく生きているな。
「雷が落ちたってのは例えだ」
と、ジータが顔をしかめる。
「俺もよく知らんが、急に腰に激痛が走って動けなくなるんだとよ。いきなり来るから『雷が落ちたような衝撃』って意味でそう言うんだ」
腰に激痛。
ああ、なるほど。
「ぎっくり腰か」
確か「魔女の一撃」とも呼ばれるやつだな。
こちらでは「雷が落ちた」っていうのか。なるほどな。
私の父上も何度かやっている。
かなり辛そうだったのをよく覚えている。
そんな状態にも拘わらず、それでも書類仕事などをこなす父上の勇姿は、ある意味戦士だったと思う。
「ちょっと行ってくる」
私の針でなんとかなればいいんだが。




