222.新婚旅行 二日目 夜
恐らく、フレートゲルトとタタララは今頃、二人きりで過ごしていることだろう。
帰りが遅くなるのか早いのかは、わからない。
朝帰りは……さすがにないだろう。
そんな時、屋敷の方ではちょっとした出来事が起こっていた。
いや。
やってきた、と言った方が正確か。
彼らと別行動を取った私たちは、預けていた馬車に乗って、一足先に屋敷に戻ってきた。
私が厩舎に馬を預ける間に、アーレはうとうとしていたナナカナを抱えて先に行ってもらった。
少しばかり馬の世話をして、それから戻ろうとしたところで――
「レインティエ殿下?」
声を掛けられた。
振り返ると、一組の男女が立っていた。
「懐かしい呼び名だ。しかし今の私には相応しくないですよ、ジャクロン様」
暗がりだが、しっかり顔が見えた。
何度も会っているフレートゲルトの兄、次兄のジャクロンだ。……とすると、その隣にいるのが婚約者のカリア・ルービーか。
「ルービー侯爵令嬢様、この度は我々のような面倒な者の世話をしてくれてありがとうございます」
「あら、ご丁寧にどうも。――でもここでは気軽に接してくださって構いませんよ。こちらがやりづらいので。ねえ、ジャック?」
「ええ。あの頃のようにお願いします」
王族ではなくなった私は、もはや平民である。
だが……まあ、確かにジャクロン殿はやりづらいだろうな。あの頃の私とそれなりに面識があるから。
「……わかった。お気遣い感謝する」
――カリア・ルービーが来る、という話はフレートゲルトから聞いていた。
まさかこんなに早く、しかも夜に、こんなに静かにやってくるとは思わなかったが。
「あ、お嬢様」
話は中で、ということで一緒に屋敷に戻ると、出入り口でササンが待っていた。
「来たわ、ササン。二人分の部屋を用意して」
「もうできております」
「そう。じゃあお茶の用意を三人分」
そう言って、カリア嬢は案内するように先に立ち、私とジャクロン殿を応接室へと導いた。
小さい屋敷なので応接室も狭いが、三人で話す分には問題ないだろう。
「改めまして。わたくしがカリア・ルービーです」
赤みがかった長い金髪に、湖底のような深い青のドレスがよく似合っている。
緑の瞳は優しげで、穏やかな表情を浮かべている。
特に目を引くのは、美しく均等の取れた体形だ。身長の高いジャクロン殿と並ぶと様になる、立ち姿の美しい人だと思う。
……見た目は穏やかそうな貴婦人だが、王侯貴族は見た目で判断してはいけない。
特に、引く手数多だったあのジャクロン殿を射止めた人だ。
ただ親の言うことを聞いて大人しくしているご令嬢とは、まるで違うはずだ。
「お久しぶりです、殿下」
ジャクロン殿は……あまり変わらないな。
有名なカービン家三兄弟の真ん中で、彼だけ父親ではなく母親似という美形だ。
うまく言えないが、私なんかよりよっぽど花がある人だと思う。
兄上たちと並んでも遜色がないのだから、顔立ちだけの問題ではなく。
きっと、生まれ持った何かがある人なのだと思う。
より人目を引く、何かが。
「殿下はもうやめてくれ。今はただのレインと名乗っている」
「……わかりました。レイン様」
うん。
で、だ。
「ジャクロン殿も見に来られたのか? ルービー嬢が来ることは聞いていたんだが」
「ええ、まあ。弟が家族と騎士を捨ててでも添い遂げたい女性がどんなものかと――見てこいと言われて」
……見てこい、か。
「フィリック殿に?」
ジャクロン殿は穏やかに微笑み、頷く。
「幼少の頃は嫌いでした。父親らしいことは一つもしない、厳しくてすぐ怒鳴ってばかりで、会うといつも委縮していました。
でも今ならわかります。父は俺たちをちゃんと愛していた。愛しているがゆえにどこまでも厳しく育ててくれた。
フレートゲルトも同じように、です」
……そうか。
フレートゲルトから、フィリック殿の厳しさや真面目さはよく愚痴として聞かされたが、実際は……そうか。
「心配しているんだな」
「はい」
それはそうか。
この話が進めば、フレートゲルトも霊海の森を超えて向こうで暮らすことになる。
二度と会えなくなるのだ。
心配しないわけがない。
今回の新婚旅行でもなければ、私もこちらに戻ることはなかっただろう。
あくまでも今回が異例なのだ。
「……この際なので言っておきますが、もし見た目だけで中身が伴わないような女なら半分殺してでも弟を連れて帰ってこい、と言われております」
ほう。
子ができた今なら、フィリック殿の気持ちが少しわかるな。過激すぎる気もするし、でも納得できる気もする。
「そうか。ルービー嬢は……好奇心?」
「はい」
うわ、いい笑顔。
「この際なのでわたくしもはっきり言っておきますが、わたくしは面白そうだから見に来ただけですわ。他意なく」
他意なく。
……ジャクロン殿くらい他意があった方が逆にわかりやすくていいな。この場合。
あまり引っ掻き回されると困る……
…………
フレートゲルトのあの感じからすると、多少引っ掻き回さないと何も起こらない気もしないでもない。
……まあ、なるようになるか。
――予想通りというかなんというか、ルービー嬢は良くも悪くも、この旅行に少々の混乱と一匙のスパイスを投入するのだった。




