21.白蛇姫、後悔しかない
「――それで!? あの夜はどうなった!?」
大狩猟の日から、二日後。
昨日はまだ他部族もいたし、何より戦士のほとんどが二日酔いとなり行動不能。
女たちは後片付けに忙しく、集落はまともに機能しなかった。
まあ、毎年いつも通りの大狩猟の翌日だったと言えるだろう。
そして二日後の本日、ようやくいつもの日常が戻ってきた。
昨日の夕方までには他部族も帰ったし、本人の希望で重傷を負った戦士たちがしばしの逗留を願い出ているくらいのものである。
集落は落ち着きを取り戻し、酒の抜けた戦士たちもまた狩猟の日常に戻った。
そんな、本日。
狩場に向かう途中、休憩まで待ちきれないとばかりに、アーレはタタララに「大狩猟の夜のこと」を訊かれる。
案の定というかわかりやすいというか当然というか、タタララは昨日からずっと強い興奮状態である。
本当に心臓がどうにかなるんじゃないか、というくらい興奮しっぱなしだ。
大狩猟の夜、族長アーレがレインティエを連れていった。
「抱く」と宣言して。
現場にはいなかったので、その事実を聞いたのは、二日酔いで潰れている時だった。
これはいよいよアレか、正式な番となるかと、多くの白蛇族が期待していた。
その証拠に、今日は女の戦士が全員狩りに参加している。
族長アーレを抜かして、総勢九人。
男の戦士と比べると人数は少ないが、腕は男の戦士に負けていない。
そんな彼女たちは、皆、気持ちの大小はあれどタタララと同じ気持ちを抱いていた。
――つまり、「大狩猟の夜のこと」を聞きたいと。知りたいと。もはや今日は狩りではなくそっちが主題だと言わんばかりに、気になっていた。
レインティエ。
向こう側から来た男
最初こそ「うまく行かない」「変わった男」とよく言われたが、一ヵ月半もすれば随分馴染んでいた。
狩りに出るアーレに持たせる飯も、毎日女たちに混じって仕事をこなす姿も、神蛇カテナ様を見かけるたびにとりあえず触る姿なども、今ではすっかり集落でおなじみとなっている。
本人は明るいし人当たりもいいし、働き者だ。
少なくとも女側の集落でレインティエを嫌っている者は、いない。婆様もあれはあれで気に入っている方である。カテナ様も気に入っているし、子供の受けも悪くない。
そんなレインティエが、アーレと番になり、正式に白蛇族の一員になる。
気にならない者の方が少ない事案だった。
――純粋にアーレとレインティエの色恋沙汰に興味がある者が大半以上ではあるが、気になるという点は共通である。
「……はあ……」
タタララと、女戦士たちと、一身に注目を浴びるアーレは――深い深い溜息を吐いた。
「な、艶めかしい溜息をっ……あのアーレが色っぽい溜息をっ!」
溜息一つで俄然盛り上がる女戦士たちに、アーレは珍しく気まずそうな顔を向けた。
「待て。そういうのじゃない。……そういうものじゃないんだ」
「じゃあどういうのだ!? も、もっとすごい何かが!?」
ここでピンと来たのは、九人の中で唯一夫がいるエラメである。
ちなみに夫は元戦士だが、怪我が原因で引退し細工仕事をしている。今は集落が割れているので別居中だが、仲が悪くなったわけではない。
「もしかして何もなかったの?」
アーレの気まずそうな顔は、盛り上がっている女たちへ対する、期待に応えられない気持ちの表れではないか、と。
「えっ」
「うそ?」
「なんで?」
女たちは戸惑う。
そんなわけあるか、と言わんばかりに。
何せ「抱く」と宣言して、抱えて家に連れ帰ったというではないか。これに関してはたくさんの目撃者がいた。でたらめでは断じてない。
もはや決定的と言える状況ではないか。
なのに、何もなかったなんて。
「……実はその通りだ――タタララ落ち着け。ちゃんと話すから」
気まずそうなアーレは、期待と興奮を裏切られて「ふざけるな」と今にも言い放ちそうなタタララに待ったを掛けた。
怒鳴られても期待には応えられないし、あの「大狩猟の夜」は、アーレに取っても後悔が残るものだった。
「実はな……」
狩場に向かう足が遅くなりつつも、アーレはゆっくりと語り出した――
「あの夜のことは、ジータを殴ってからの記憶が、ほとんどないんだ」
あの大狩猟の日、アーレはずっと男側の集落の族長を名乗っているジータに口説かれていた。
あしらってもあしらっても絡んでくる。
面倒なので、逃げ回るようにして、酒や料理を楽しんでいた。
それから、夜になり。
かなり酒が進んできたところで、再びジータが絡んできた。
やれ「俺のものになれ」だの「強い方が族長なら勝負しろ」だのと、またしつこくしつこく言い寄られた。
アーレはいいかげん我慢できなくなり――髪に触れられた瞬間、ジータを殴り倒した。
「やったか!?」
「あたしそれ見てた! すごかったよあれ!」
話を聞く女たちは気に入らない男を殴った話題で盛り上がるが……肝心のアーレは、それもよく覚えていなかったりする。
確か、それから、馬乗りになってジータをボコボコした記憶が、おぼろげに残っているような気はするが……
そして、それを止めたカラカロから、説教をされた……ような気がする。
何を言われたのかはまったく覚えていない。
ただ、それで踏ん切りがついたのだ。
――もうレインを婿にしよう、と。抱いてしまおう、と。
「それからはレインに聞いた話になるが……どうも我は、家に戻ってあいつに覆いかぶさったところで、寝たらしい……」
アーレにはまったく記憶にない。
レインを抱こうとしたことも、記憶にない。
「あいつは気絶するように眠った我の身体を清めて、自分の家に帰って寝た、そうだ。
何も覚えていない。気が付いたら翌日だ。ナナカナに大狩猟の夜、我が何をしたか聞かされた。自分のしたことに驚いたよ。嘘だと思ったくらいだ」
確かにそういう欲がないとは言わない。
毎晩のようにレインティエの夜這いを待っているのは確かだし、アーレの心はもう決まっている。
だが、しかし。
「我はレインと約束したのだ。冬の直前までレインの気持ちを待つと」
だから自分から夜這いに行くことはしないし、強引に事を進めようとも思わない。
アーレの気持ちはもう決まっている。
だから今は、レインティエの答えを待っている状態だ。
少なくともアーレ自身が「待つ」と言った以上、約束は守らねばならない。
にも関わらず、アーレはあの夜、強引に事を起こそうとした。
それに関しては後悔しかないし、未遂でよかったと思っている。
レインティエは自分を大切に扱ってくれている。
なのに、自分はレインティエの気持ちを無視しようとしてしまった。
後悔しないわけがない。
「約束一つ守れんようでは戦士としても族長としても失格だ。もっと言うと、番としてもやっていけないだろう」
あの夜に関しては、後悔しかない。
たとえ記憶になかろうとも、後悔しかない。
「んー……」
色々と経験豊富なエラメは「そこまで行ったらもういいんじゃない、レインも一応受け入れたみたいだし」と思ったが、しかしあえて言わなかった。
族長と言えど、アーレは年若い少女である。
色恋に悩んだり一喜一憂するのも、大事なことだろうと思って。横からああしろこうしろみたいなことは言わない方がいいだろう、と。
ただ、言っておかねばならないことがある。
「レインは人気あるよ」
「……何?」
なんのことだ、と思ったのは、女たちのほんの一部のみ。
大部分の者が、エラメの言葉の意味を、ちゃんと理解できていた。
「最初は、女の仕事をするだけの物珍しい男、というだけだったけどね。実際は働き者だし周りの気遣いもできるし料理も上手いし、何より女に優しい。
アーレの婿候補じゃなかったら、婿に欲しいって女が何人も出てきたはずよ」
「……」
アーレにとっては初耳だし、寝耳に水の情報だった。
「一昨日の大狩猟では、よその部族相手でもうまく立ち回ってた。何人か言われたらしいよ、あの男が欲しいんだが番はいるのか、って。族長の婿候補だって言ったら諦めたみたいだけど。
でも、私の見立てでは、怪我を理由に集落に残ってる女は、間違いなく狙ってるね」
アーレにとっては予想外の言葉だった。
だが、エラメの言葉はすごく簡単に納得できた。
レインならそうだろうな、婿に欲しがる女がいるだろうな、と腑に落ちてしまった。
レインをもっとも近くで、もっとも長く見てきたのは、一緒に住んでいるアーレ自身だから。
「待つのもいいけど、ただ待つだけじゃ足りないかもよ? レインが気に入ってるなら取られないようにね」
「……う、うむ……」
なんとも答えづらい忠告に、アーレは唸るような相槌を打った。
番になることを当然だと思っていたレインが、誰かに取られるという可能性があること。
――ただ待つだけでは足りない。
この言葉は、アーレの心に、それなりに深く突き刺さった。




