215.新婚旅行 一日目
ウィークの街に到着したのは、夜である。
ウィーク辺境地の領都は、かつては聖国フロンサードの防壁であった。
隣国の侵略に睨みを利かせ、また西の霊海の森の調査・開墾となる大事な地だった。
が、それは昔の話である。
今では隣国との物流が盛んで、かつての面影など領都を守るための壁があるくらいである。
戦の時代など、今の人の記憶に残らないほどの昔のこと。
隣国とは友好関係が結ばれ、長い月日を重ねて関係を深めてきた。
その架け橋とも言えるのが、面したウィーク辺境地と隣国の領主同士が共同で行った、領地間を結ぶ街道の整地作業である。
しっかりとした道がができたおかげで、交流と物流が実にスムーズに行われるようになった。
ちなみに霊海の森の開墾は、魔獣の被害が多すぎたせいで中止となったそうだ。あまりにも生息する魔獣が強い個体が多いから、と。
でも私はもう知っている。
あの森は特殊だ。
いろんな意味で普通の森じゃない。
きっと未知の生物による危険から、目の錯覚かと思わせる生物ならざるものの存在まで、不明瞭かつ不可思議なことまで含めての中止だろう。
もしかしたら、森の向こうの蛮族も、中止の理由に入っていたかもしれない。
そんな歴史あるウィーク辺境地領都――ウィークの街と呼ばれる何万人もの人が住む場所に、十日前後住むことになっている。
「――どうぞ」
フレートゲルトが門番に身分証を提示し、人数のチェックだけで街に通された。
夜遅くなのに、それなりに人が歩いている。
街灯の明かりが等間隔に並んでいるのを見ると、思った以上に栄えているのがわかる。
そんな街の人たちを横目に馬車は進み、とある小さな屋敷の前で止まった。
「――旅の疲れもあるだろうし、今日のところはゆっくり休んでくれ。全ては明日からだ」
フレートゲルトの兄の婚約者が用意してくれたという家だそうだ。
小さくとも庭もある屋敷だ、この人数なら充分住めるだろう。
家の中に通された私たちは、今日のところは部屋に案内されて「何をするにも行動は明日から」ということで、就寝することにした。
久しぶりのベッドに飛び込む。
すぐに眠気がやってくる。
「来たぞ」
すぐにアーレもやってくる。一応全員個室だったんだが。
でもまあ、問題ない。
「おいで」
旅程もそれなりに楽しかったが、それは疲労を忘れている時間があるだけで、実際は疲れが溜まっているものだ。
今日のところは夫婦らしいことは何もせず、ただ一緒に就寝することにした。
「なんかふかふかで落ち着かな」
アーレも寝たようだし、私も寝よう。
一日目の起床は、昼近くだった。
自覚はなかったが、思った以上に疲れていたようだ。死んだように寝ていて、気が付いたらこんな時間だった。
隣のアーレもよく寝ているが、そろそろ起こしていいだろう。
……っと、その前に部屋の様子を見てからにするか。使用人がいそうな気がするんだが。
「――うわびっくりした」
ドアを開けると、すぐ正面に妙齢の女性が立っていた。服装からして使用人のようだ。
「おはようございます。そろそろ起こした方がよろしいかと思っておりました」
どうやら昼食に合わせて起こすつもりだったようだ。
「すっかり寝過ご……ああ失礼。少し待ってくれ」
今の私は下着一枚だった。ちょっと外の様子を見たかっただけだったから……
向こうでは皆裸同然だから、私もこの辺の感覚が少し麻痺してしまっているのかもしれない。
「アーレ」
部屋に来てからベッドにやってくる過程で、着ていた物を全て脱ぎ散らかして来た嫁も、余裕の裸である。
しばらく世話になるので、起こして服を着せて、ちゃんと使用人を紹介しておこう。
「――ここでは楽な格好で大丈夫ですよ。私はもう聞いていますから」
この屋敷の使用人……ササンと名乗った女性は、招いた者たちが蛮族であることを事前に聞いていた。
アーレがマフラーを外して首の白鱗を見せても、特に何の反応もなかった。
「えっ」
後天的に白鱗が生えた私の手には少し驚いてくれたが。そう、生まれつきじゃないケースもあるのだ。
こちらの常識で考えると、あり得ないくらい珍しいことだと思う。
「私の嫁のアーレと娘のナナカナ、それとタタララ……ポニーテールの女性。この三人はこちらの常識を知らないから、迷惑を掛けるかもしれない。もし何かあったら私に言ってくれ。些細なことでも構わない」
「畏まりました。ご逗留の間、よろしくお願いします」
この屋敷の使用人はササンだけらしい。
馬の世話や庭など、外のことはフレートゲルトがやるそうなので、確かにこれなら屋敷内では楽に過ごして問題ないだろう。憚る相手がいないから。
「じゃあ」と服を脱ぎ出したアーレに再び服を着させて食堂へ行くと、タタララとナナカナが昼食を取っているところだった。
フレートゲルトは給仕を務めていているのか、壁際に立って二人と何事か話している。
「――おう、ゆっくりだな」
私たちに気づいた。
「おはよう。ササンに会ったよ」
私とアーレが空いた椅子に座ると、ワゴンに用意していた朝食……いや昼食をフレートゲルトが私たちの前に並べてくれる。
パンにスープ。目玉焼きに腸詰二本。サラダ。
朝食のような昼食である。
というかやはり朝食である。
「そうか。ここには俺と彼女しかいないから、ゆっくり過ごしてくれ……と言いたいところだが、明日か明後日か、この屋敷の持ち主がやってくる予定になっているんだ」
ほう。
「ジャクロン殿の婚約者か。ルービー家のご令嬢だな」
名はなんと言ったかな。
フレートゲルトの兄であるジャクロン殿は何度も会っているが、その婚約者は……夜会で一回か二回会ったくらいだ。
うーん……主立った貴人は全員頭に入っていたはずだが、婿入りに際してそういうのとは本当に無縁に過ごしていたからな。
時々奥から引っ張り出すようにして記憶を確認していたが、そういうのもやめてしまっていた。
自覚がないままに忘れているようだ。
「色々と助力してもらう上で、事情も話してある。ササンも彼女が用意してくれた優秀な侍女だ」
ちなみに、ルービー家のご令嬢がこの屋敷を手に入れて一ヵ月。
フレートゲルトはすぐにここに住み込みで入り、掃除したり食品の仕入れをしたり庭の手入れをしたりと、一ヵ月掛けて執事として仕事をし私たちを迎える準備をしたそうだ。
騎士志望の頃から真面目な男だったが、執事志望になっても真面目な性根は変わらないらしい。
「ご令嬢は何をしに来るんだ?」
「俺の諸々を面白がっているから、見に来るだけだ」
俺の諸々?
……あ、フレートゲルトの色恋沙汰のことか。
彼がどんな女性を好きになったのかとか、そういうのが気になるんだな。
騎士をやめるほどの女性ということになるからな。
しかも、霊海の森の向こうに住む蛮族だ。私も話だけ聞けば気になるだろう。
「……」
会いに来るのか。
生粋の侯爵家のご令嬢が。淑女が。
不思議な顔をしてパンをかじっているタタララを向ける。
こうして見ると、彼女は割とこの異文化に馴染んでいるようにも見える。。
ナナカナはパンに最大限、もうこれでもかとジャムを乗せる行為に忙しそうだ。
なんか子供らしい行動をしているとほっとする。
そして嫁は――
「これうまいな! おい! もうないのか!?」
腸詰が気に入ったらしく、おかわりを所望していた。
「酒はないのか!?」
酒も所望していた。まあ……まあ、いつも通りかな。
食事が終わると、早速観光に出ることになった。




