211.カービン家の乱 前編
「ふふ、うふふ、ふふふふ、ふふっうふふ」
「いや笑い事じゃないぞ、カリア。本当に。本当に笑い事じゃないんだ」
ルービー侯爵家のタウンハウスの応接室には、一組の男女がいた。
扇子で顔を隠してお上品に……しかし静かながら完全に爆笑しているカリア・ルービーと、カービン家次男ジャクロンである。
婚約者の夕食に呼ばれたジャクロンが、夕食後に談笑している図、ではあるのだが。
「父上のあの怒り具合はすさまじかった。子供の頃、俺と兄上がワインセラーでケンカして父上のワインを十六本割った時と同じくらい怒っていた」
なぜそんなところでケンカを、という疑問はあるが、それもまた今のカリアには笑い話である。
「だから笑い事じゃないんだよ。人死にが出かねないほどの怒りだぞ」
その人死にとは、ワインセラーでケンカした元凶の二人だろうか。
それは怒りの元凶は生きた心地がしなっただろう。
「はあっ」
散々笑った後、ようやくカリアは一息ついた。
「無責任に笑える他人事って面白いわね」
「俺にとっては身内事だけどな」
「――睨んだ通りね?」
「――こんなに急だとは思わなかったがな」
たった今、ジャクロンから末の弟が家出した話を聞いたところである。
もう一ヵ月前になるだろうか。
いよいよあの時の相談事の答えが出た、ということだろう。
末弟は王城に騎士を退職する旨の書類を提出し、最低限の荷物を持って家を出たそうだ。
それが昨日の話で、昨日から騎士団長……いや、父親フィリック・カービンは、末息子の突然の行動に怒り狂い、職権乱用も甚だしい個人的理由から全騎士隊に末息子の捜索命令を出そうとしたところを、長兄に止められ殴り合いのケンカに発展、止めようと間に入ったジャクロンも巻き込まれかけたそうだ。
いや、フィリックが怒るのも当然だろう、とカリアは思う。
騎士団長の息子が騎士になるなど、どうしても人事に疑いを持たれる行為だ。
親の贔屓目で入団しただの、コネ就職だのと、言われかねない。
だからこそ、フィリックはただの騎士志望にはありえないほど厳しく、息子を育てたのだ。
誰にも文句は言わせないほどの実力を付けさせるために。
きっと必要以上に厳しく接していたのも、フィリックの本意ではなかったはずだ。何度も話したことがあるカリアは、それくらいは見抜いている。
――そんな親心を踏みにじった末息子の行為は、それはもう腹に据えかねるものがあったはずだ。
ましてや騎士になったばかりの新人がやったのである。
父親としても騎士隊の責任者としても、顔に泥を塗られたに等しい行為だ。
そして、末息子はそれがわからないほど愚かでもなかったはずだが。
つまり――そういうことだ。
「騎士の身分も家も捨てて、庶民の女の下へ……か。ちょっとしたロマンスね」
「本当に笑い事じゃないからな」
「でももう笑い事にするしかないんじゃない?」
辞表は提出されているそうだ。
受理されているかはわからないが、出す決意をした末息子がそれを撤回するのは並大抵の説得では聞き入れないだろう。
何より、やる気のない者を戻したところで、邪魔なだけだ。
それならもう、末息子の好きにさせるのが一番いいとカリアは思うのだが。
ここで「女のために生きたいと軟弱なことを言い出しましてな。好きに生きろと言ってやりましたよガハハ」とでも笑えば、フィリックの大物ぶりを主張できそうなものだが。
……まあ、それこそ身内だから許せないのかもしれないが。カリアは他人事だから。
「それで? フレートゲルト様は今どこに?」
「ルービー家の経営するレストランの下働きに入っていると聞いているが、心当たりは?」
「あら。本当に来たのね」
末息子……フレートゲルトの出奔は、カリアがそそのかしたわけではない。
ただ、「もしもの時はルービー家で雇う」と言ったことがあるだけだ。
あの時はリップサービスの面が強かったが、別に本当に頼ってくれても構わなかった。
「わたくしは聞いていないけれど」
昨日の話らしいので、報告が遅れているだけか。
それとも、カリアの名前を出さずに潜り込んだから、店からの報告義務に抵触していないか。下働きが増えたくらいで一々報告は求めない。
どちらにしろ、カリアは聞いていない情報だ。
「それにしてもフレートゲルト様はすぐに見つかったのね? フィリック様はなんと?」
「まだ報せていない」
「ではこれからどうするの?」
「兄上も俺も決めかねているんだ……連れ戻すべきか、それともこのまま放置するか。なんなら王都からこっそり出してもいいと思うんだ。
君ならどうする? どうしたらいいと思う?」
カリアの答えは決まっている。
「行かせなさいな。無理やり戻してもまたすぐ出て行くだけでしょ?」
「面白がってないよな?」
「これは本音」
違う言い方をすれば、フレートゲルトはもう捨てたのだ。
もしカリアが捨てられた方になるなら、未練がましく探したりすがったり「戻ってこい」などと言ったりはしない。
騎士にまで上りつめた男が決めたことである。
もうどうしようもないだろう。
こうなった以上、できることは限られる。
「フィリック様はどこまで知っているの? フレートゲルト様が家を出た理由は?」
「兄上が話したと思うが」
「え? オズマイズ様はフレートゲルト様の悩みを知っていたの?」
「え? 知っているんじゃないのか?」
「え?」
「え?」
…………
「あなたの家庭のことをあなたが知らないなら、私が知るわけないでしょう」
「いや、……その……そうだ」
難しい顔で直近の過去を思い起こしていたジャクロンは、そういえばと思い当たる。
父は怒り狂っていた。
兄は怒り狂う父を必死で宥めていた。拳で。
自分はその間に割って入って止めた。
母の乱入でその場は収まり解散となったが……
「そういえば、父上は『とにかくフレートゲルトを呼べ、いないなら探してこい』とばかり言っていた。
具体的な出て行った内容までは、触れてなかった気がする……」
――よし、とカリアは扇子をぱちんと閉じて立ち上がった。
「わたくしも口添えするから、これからカービン家へ行きましょう。もし知らないなら、一刻も早くフィリック様に事情を話すべきだわ」
「え? 君まで来るのか?」
「あなたたちは身内だけでは話ができないでしょう? わたくしのような余所者とも身内とも言えない第三者がいた方が、少なくともフィリック様は落ち着いて話せると思うわ」
確かにそうかもしれない、とジャクロンは考える。
フィリックは騎士団長であると同時に、政治家でもある。体面はとても気にする。
「こういう時だから歓迎はしないかもしれないぞ」
「構わないわ。近いうちに身内になるんだし、お互い下手な遠慮はそろそろ必要ないでしょう」
二人はカービン家にやってきた。
もう夜だが、遅すぎるという時間ではない。もうすぐ身内になるカリアなら、まだ非常識ではない時間だろう。
そして、確かにいい顔はしない……自棄酒でもやっていたのか少々赤ら顔のフィリックは、カービン家にやってきたカリアをいい顔はしていないが歓迎し、話があるという要求も聞き入れてくれた。
怪我をしている長男オズマイズと、次男にして婚約者のジャクロン。
政治や息子たちの教育に関しては口出ししなかったが、事この問題には母親として参加しているナーシャ。
そんな末息子を欠いたカービン一家が揃った応接室で、カリアは「あくまでも自分が知る限りのことですが」と前置きして話す。
約一ヵ月前に、フレートゲルトから聞いていた悩みを、そのまま包み隠さず披露した。
「まさか……」
話せることは大してない。
だが、フィリックの顔色は次第に悪くなっていった――明らかに何らかの心当たりがある反応である。
「あなた」
静かなナーシャ婦人の言葉に、フィリックは大きく動揺した。
「しっ知らん! 私は何も知らん!」
完全に知っている者の反応である。
いつもの騎士団長と同一人物とは思えないほどの取り乱し方だ。
「何を隠しているの? 言いなさい」
「知らん! この話はでき――」
「子供たちを連れて実家に帰るわよ!?」
勢いで乗り切ろうとしていたフィリックに、婦人の声がモーニングスターの鉄球のごとく殴りかかる。
「息子たちが自分から騎士になりたいと言ったから、育て方に関しては任せたわ! でも今回は騎士じゃなくてわたしの息子の話よ! そしてこの子たちにとっては大事な弟の話だわ!
家族の話ができないなら、あなたは一人で暮らしなさい!」
強い。
いつもはフィリックを立てて何も言わないことが多いが――芯の強さはフィリックに負けていない。
息子たちの芯の強さは、父親ではなく母親似なのかもしれないと思えるほどに。
「い、いや……待ってくれナーシャ。違う話も絡んで――」
「言い訳はいらない。今すぐ話さないなら出て行きます」
「言う! わかった言う! 話すから!」
外様に等しいカリアも驚いているが。
二十年前後この家で暮らして来た息子たちも、こんな両親の姿は初めて見た。




