184.帰ってきた温度差の夜
「――しばらく留守にした。すまない」
十日以上にも及ぶ不在の末、族長夫妻が帰ってきた。
その日の夜の話である。
今日も狩りを終えた戦士たちが酒盛りに入る――その直前に、アーレは族長権限を使って広場に集まるよう通達を出した。
まだ返り血を残し怪我をしたままで、かなり気が立っている戦士たちが、アーレの指示でその場に座して、族長の言葉を待っていた。
そして戦士たちが揃ったのを見計らい、目立つよう立っているアーレが口を開く。
「話すべきことがある。手短に済ませるから酒が入る前に聞け」
これは白蛇族を束ねる族長からの、正式な通達である。
無論、集められた理由がわかっているからこそ、誰も文句一つ言わず待っていたのだ。
集まりを聞きつけて、女子供も遠巻きに見ている。
夕陽に焼けて赤一面の空の下、赤く染まったアーレが言う。
「まず、我が夫は無事に取り戻した」
そう、まず大事なことはそこだ。
この集落の者を、それも族長の番を誘拐されるという屈辱をちゃんと雪いだのか。
どのような形で雪いだのか。
白蛇族の恥はきちんと清算できたのか。
戦士たちの誇りは守られたのか。
もしアーレの報復が不十分なら、戦士たちは残りのツケを払わせるために、問題の集落へ殴り込みを掛けるだろう。
舐められたままでいてはいけない。
それが戦士であり、そうじゃないと日常的に命を懸けて狩りなどやっていられない。
「錆鷹族が我が夫を攫った目的は、怪我人の治療だ。
もう皆知っていると思うが、夫レインは治癒師としても薬師としても優秀だ。その腕を見込まれて連れて行かれた。
まあ、理由はどうでもいいがな」
重要なのは攫った事実と、それに対する報復のみだ。
果たして皆殺しにしたのか。
どのように皆殺しにしたのか。
逆に皆殺しにしなかったのか。
女子供も皆殺しにしたのか。
家畜も神の使いも皆殺しにしたのか。
気が立っている戦士たちの多くが、かなり物騒なことを考えていた。
そして、それを望んでいた。
「ナェト。サリィ。来い」
アーレが呼びかけると、見慣れない錆鷹族の男女二人がアーレの横に立つ。
「こいつらは人質だ。何かあったら殺すし、錆鷹族に攻め入る理由になる」
「――ちょっと待て」
声を上げたのは、古参の戦士だ。
「錆鷹族の奴らは皆殺しにしたのか?」
「していない。殺す必要がなかったからだ」
平然と否と答えた族長に、古参どころか血気盛んな若い戦士たちも怒号を上げた。
ふざけるな、冗談じゃない、生温い、だから女の族長は駄目なんだ、と。
「黙れ! 族長の話が終わっていない!」
鋭い槍のような声で吠えたのはタタララである。
一瞬で場を制したタタララだが、しかし気が立った目でアーレを見る。
「だが気持ちは私も一緒だぞ。なぜ皆殺しにしなかった? ちゃんと説明しろ、アーレ」
彼女も狩りが終わってすぐなので気が立っている。
「必要がないからと言った。殺せば終わりだ。しかし生かしておけば使い道はたくさんある。そのための人質だ。
こう考えるとわかりやすいだろう――我は錆鷹族との戦に勝ち、奴らの集落は我が支配した。
奴らにはこれから貢ぎ物もさせるし労働もさせる。
錆鷹族は支配地にしたのだ。支配した部族を殺す必要があるか? 相手は降伏した、ならばそれでよかろう」
色々と気になるところもあるが――支配した、という言葉に納得する者は多かった。確かに殺せば終わりだよな、と。
「フーラ爺さんが畑に専念したいと言っていただろう。こいつらは爺さんの代わりだ」
フーラ爺さんは、普段は畑仕事をしている風馬族である。白蛇族に婿入りしてこの集落に住み着いた。
有事の際には、風馬族自慢の足で方々に走る役割があったが……
寄る年波には抗えず、もうあまり走れなくなってしまった。
だが、だからと言ってすぐ代わりがいるわけでもなく、しばらく無理をさせていた。
「こいつらは速く飛ぶことができる。我らの役に立つ。ひとまずはそれでいいだろう。そのほかのことは追々考えるつもりだ」
それと、とアーレは続ける。
「さっき言った通り、錆鷹族は我が支配し、降伏した。だから手荒に扱うなよ。
この二人と、二人の子供が三人いるが、こいつらは我のものだ。そしてこの二人は戦士じゃない。
客人扱いはしなくていいが、意味もなく蔑んだり嫌がらせをするな。集落の同居人として扱え。
もう一度言う。こいつらは我のもので、利用価値がある。絶対に不要に傷つけるな」
戦士たちの全員が納得したわけではないが、納得した者は多かった。
こうして、この場は解散となった。
「――面白いことを考えたな」
「つまりどういうことだ?」「わからん」「誰か説明しろ」「人質……え? 皆殺しは?」
などと言いながら、いまいち話がわからなかった戦士たちが首を傾げながら去っていく中。
アーレに声を掛けたのは、婆様ことネフィートトである。
彼女はレインが帰ってきたと聞いて会いには行ったが、諸々の詳細はアーレに聞けと言われてここにいた。
「わかっていると思うが、レインの注文だ」
「だろうな。わしは皆殺し以外がないと思っておったわ」
その通りだ。
アーレは錆鷹族を皆殺しにするつもりだった。
――レインが「嫌いになる」なんて言わなければ、少なくとも五、六人の首は刎ねていただろう。
「確かに生かしておいた方が利が多いよなぁ」
ネフィートトは神妙な顔でこちらを見ている、錆鷹族の夫婦ナェトとサリィを見る。
短い時間だったが、大勢の戦士に、今にも飛び掛かってきそうな殺意を向けられていたのだ。
生きた心地がしなかっただろう。
「悪くない説明じゃったぞ。しばらくわしも気を付けて見ていよう」
族長がはっきり「手を出すな」と言ったので、誰もしないとは思うが、誰かがちょっかいを出すかもしれない。
白蛇族の集落に馴染むまでは、最低限の面倒を見ようとネフィートトは思っている。
実はレインもそのつもりで、しばらくは族長宅で預かろうかと考えていたりする。
ナェトらの子供たちは、族長宅で夕食とともに待っている状態だ。
なお、レインはここにいない。
この話の大元を考えた者であるだけに同席は求めなかった。説明する余地もなく事情を知っているから。
「頼む。こういうのは我も初めてだ、何があるかわからん」
「うむ」
こうして、忙しい夏に錆鷹族の一家が集落にやってきた。
そして、何か特別なことがあるかと思えばそうでもなく、順調に戦の季節は過ぎていく。




