別れに祈る
名残惜し気に離れていく手の平。
その温もりを追いかけそうになった手を、握り締めて押さえ込む。
別れを切り出したのは私からなんだから、引き留めて良い訳がない。
その代わり、必ずまた会えるとわかっているから、満面の笑みを浮かべてみせた。
「じゃあまた、会いましょうね」
一歩、また一歩と後ろへ足を進めて、明るい声を意識して再会の約束を口にする。
悲しい別れじゃない。二度と会えないわけじゃない。
だからアースさんが私の肩に乗った瞬間、どこまでも明るく、大きく手を振った。
「絶対会いに行きますから! 待っててください!」
「……あぁ、待っている」
私に合わせてクラヴィスさんも明るく振舞おうとしてくれたんだろう。
クラヴィスさんは寂しげな笑みを浮かべて、小さく手を振る。
きっと手を振るなんてあんまりしたことないんだろうなぁ。
一目見て慣れていないのがわかるのに、それでも手を振ってくれたことが嬉しくて、ついふへっと笑い声が漏れてしまう。
そんな私の変な笑い声に、流石のクラヴィスさんも気が抜けてしまったようだ。
一瞬目を丸くしたクラヴィスさんは、くしゃり、と年相応のちょっぴり可愛い笑顔を見せてくれて。
その光景を最後に、私は光の中へと飛び込んだ。
――世界の狭間には底なんてないのだろう。
青白い光に包まれたと思ったら、私の体は延々と落下していっていて、きつく目と口を閉じる。
っていうかアースさんどこにいるんですかね!?
飛び込んだらすぐにアースさんの本体が迎えてくれるもんだと思ってたんですけど!?
肩にいるアースさんはさっきから何にも言ってくれないし、絶賛落下中の状態で何かできるわけもなく。
一体どこまで落ちれば良いんだと内心叫んでいたら、何かに包まれる感覚がして、ぽすんと何かの上に乗せられた。
「よく叫ばんかったのぉ」
「……私だって意地はあるんですぅ」
どうやらやっと迎えに来てくれたらしい。
気付けば大きな東洋龍の額の上に乗っていて、ホッと息を吐き、ぺしぺしと硬い鱗を叩いておいた。迎えにくるの遅かったですねコノヤロウ。
叫ばなかったのはあれです。
私達が通った後であの穴がどれだけ維持されるかわからないけどさ。
去り際に悲鳴が聞こえたらクラヴィスさんの心臓に悪いでしょうが。何があった!? ってなるじゃん。
最後が情けない悲鳴とかカッコ悪いし、だから意地でも叫ばないようにしてたんですぅ。
健気な乙女の訴えも、アースさんにとっては蚊に刺された程度にもならないんだろうか。
気にも留めない様子でぐっと浮上してくれやがったので、慌ててアースさんの角を掴んだ。
急に動かないでくださいよ。落っこちるでしょうが。
「何はともあれお疲れさん、世界の方も無事修正されていっておるよ」
飛び込んだ直後はそれどころじゃなくて周りを見ていなかったけれど、しっかり目的は果たせたらしい。
星空の中、近くを流れる川――クラヴィスさん達がいる世界は、あの時とは違って落ち着いている。
時折輝いている場所があるのは、アースさんの言う『修正』が行われているからなのだろうか。
アースさんは川から距離を保って見守る体勢に入っていて、私も自然と背筋を伸ばした。
「すぐには帰れない感じですか」
「そうじゃなぁ……ワシ等が渡った時点である程度修正が始まっておったが、相当大きな変化じゃったからのぉ。
数多の人々の過去と未来を確定させ、補修しておるんじゃ。今潜ると余計な修正をもたらしかねん。
とはいえそう長くは掛からんはずじゃ。ちょいとばかし待つだけじゃよ」
「……なら、ちょっと休憩ですかねー」
何か問題でもあったのかと身構えちゃったけど、なんだ、ただの待ち時間ってことか。
それならばと深く息を吐き、よっこらせと体勢を整える。
うーん、東洋龍の額の上ってどこが一番居心地が良いんだろうか。
角は掴みたいから角の近くでしょ。なんかこう、収まりの良い場所ないかな。ないな。
流石のアースさんも、もぞもぞと額の上で動き回られると気になるのか。
ポリポリと鋭い爪で頬を掻いたアースさんが、ぽつりと口を開く。
「……のぅ、トウカ」
「なんですかー? 動くなってお願いは聞きませんよー?」
「うんにゃ、それは別に構わんよ」
構わない、という割には何やら言いたそうにしているアースさんに、思わず小首を傾げる。
何ですか一体。本当は鬱陶しいなら言ってくれてもいいのに。言われてもやめないけど。
変なのーと思いつつ、とりあえず大きな額を撫でてみたら、決心でもついたのだろうか。
ふぅ、と息を吐いたアースさんは、ゆっくりと私に語りかけた。
「ここは世界の狭間。どの世界でもなく、どの世界でもあるとも言えるじゃろう」
「……はぁ、そうなんですね?」
マジで何、とは思ってしまったけれど、どこか真剣な声色に内心首を傾げたまま頷く。
世界がどうとか私にはさっぱりわかんないんだけど、アースさんがそういうならそうなんだろう。きっと。
「もうお主を送ることはできんが、お主の声が届くことはあるかもしれん。
……届けたい想いがあるのなら、これが最後になるじゃろう」
その言葉に、それまで何ともなかった体が固まる。
あぁ、そうか。アースさんは、最後まで私を気遣ってくれているんだ。
もう戻れないあの世界への想いを、大切にしてくれているんだ。
「今はワシしかおらん。誰もお主を咎めん。叫びたければ叫んでも良いんじゃよ」
私の目には小さなアースさんしか映っていないけれど、大きなアースさんもきっと同じ優しい眼差しを向けてくれているんだろう。
諭すような、宥めるような、そんな声に、私はぎゅう、とアースさんの角を握りしめた。
「そう、ですね」
帰りたいと願っていた、帰れなくなったあの世界への想い。
見ないように、気付かないようにしていたけれど、きっと私の中で今も燻っているだろう。
「お別れを言えなかったのは……あの人達にも、ですもんね」
私が世界を渡ったきっかけは、社員旅行先で湖に落ちたというものだった。
恐らく私は元の世界で行方不明になり、そのまま死亡扱いになるはずだ。
だってどれだけあの湖を探しても私は見つからないし、遺体も見つからないのだから。
何も見つからないまま、『壱岐冬華』という人間の人生は終わりを迎える。
家族や友人を、沢山の人を心配させただろう。
沢山の人に迷惑をかけて、悲しませてしまっただろう。
それでも私は、もうこの世界で生きると決めたから。
ごめんねを、言わないと。
さようならを言って、それで、私は――。
でも、もしもこの声が届くなら。
伝えたいのは、寂しい言葉ではないから。
だから私は、声を張り上げた。
「――私は、幸せでした!」
嫌なことはあったし、辛い思いもした。
悲しいことも、苦しいことも、沢山あった。
でもそれ以上に楽しかったことが沢山あって、優しい人達が沢山いて、私は幸せだった。
それはこれからも変わらない。
「今までも、これからも! 私は幸せだから……!」
だからあの人達に願うことは一つだけ。
届いてくれたら良い。届かなくても良い。
ずっと昔から、誰もが祈る願いを叫ぶ。
「だから、どうか幸せに!!」
私がこの世界で幸せになるように、あの人達の未来が幸せであるように。
遠くどこかにある私の生まれた世界に向けて、私は声の限り叫んだ。




