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いつか出会う、その時まで


「ダメですよ、クラヴィスさん」



 何故、と瞳が問いかけてくるけれど、私はただ首を振る。

 私の手なんて簡単に押さえ込めるだろうに、そうしないのはきっと彼も心のどこかでは理解しているからだろう。


 命を狙われるとしても、生まれ持った立場を理解している人だから。

 命が危うくなったとしても、生まれ持った力を理解している人だから。


 それでも言葉にしてしまいそうになるほどに私を願ってくれている。

 それがどれほどのことなのか、貴方の傍にいた私もわかっているから。

 だから、柔らかなそれを塞いだまま、揺れる黒曜を見つめた。



「それ以上言ってしまったら、貴方はきっと後悔します」


『私は――何もかも捨てて』



 そう、手の平を通して伝わった言葉の先。

 音にならず、塞がれ消されたその言葉は、確かに私に届いていた。



「……貴方は、たった一人のために全部放り出しちゃダメなんです」



 その言葉が伝わった瞬間、クラヴィスさんらしくない言葉だと思った。

 私の知るクラヴィスさんは自分よりも誰かを守ろうとする人で、大切な存在のために自分を捨てようとする人だった。

 それが『たった一人の人間の傍にいられるなら何もかも捨てても良い』だなんて、似合わない言葉だと思った。


 でも、その言葉を引き出すには、十分過ぎる状況だったんだろう。

 命を狙われ、魔堕ち寸前でノゲイラまで飛んで、共にいるのは命掛けで主を守った従者と突然現れた私達だけ。

 シドが見つけ出したとはいえ、まだクラヴィスさんの行方を伏せることは簡単にできる。


 ザイラに来た時だって、まだ時間はあったから冬を越すために留まるのではなく、どこか別の街へ旅立ってしまっても良かった。

 商人の護衛でもして、遠くへ行って、国外に出ても良かった。

 シェンゼ王国から離れて、遠く、誰の手も届かないところへ行ってしまえば、命を狙われることもなくなっていただろうから。



 シェンゼ王国第三王子のクラヴィスではなく、ただの旅人のクラヴィスとして生きていくことができた。

 西へなんて向かわずに、戦場に戻らずに、行方不明のまま終わらせることだってできた。

 そうせずに西へ向かおうとしていたのは――西へ向かわなければならなかったのは、この人が王家の人間だからだろう。


 王というのは民あっての存在だ。

 王家の人間として生まれたこの人は、生まれたその瞬間から民のために生きなければならない立場だった。

 実の母親に命を狙われても、自由に生きる道が目の前にあっても、この人はその責任を背負い続けている。


 この人は『何もかも捨てて良い』だなんて言葉を使ってはならない人だ。

 使うことも願うことも許されない人だから――何も、捨てなければ良いだけなんだ。



「諦めなくて良いんですよ」



 クラヴィスさんの口を塞いでいた手を、ゆっくり頬へと伸ばす。

 すっかり冷え切った頬を撫で、自分の体温が伝わるように包み込む。



「立場だとか責任だとか、色々あるんでしょうけど……全部諦めなくて良いんですよ」



 欲しいと思うのなら手を伸ばせば良い。

 捨てたくないのなら捨てずにいれば良い。

 それが許される立場の人なのに、この人は立場があるからこそ諦めてきたんだろう。


 王妃に疎まれている第三王子で、魔力もいつ暴走するかわからない。

 そんな状態だったから、いくら立場があろうとも求めることができなかったんだろう。

 自分の傍にいても危険だからと、多くの人達を突き放してきたんだろう。シドのように。


 ――でも私は、今傍にいられないだけだから。


 頬を包んでいた私の手に、クラヴィスさんの手が重なる。

 弱く握ってくるその手はまるで迷子が助けを求めているかのようで。

 大丈夫だよと言葉にせずとも伝わるように、へにゃりといつものように笑ってみせた。



「私はいつか必ず、クラヴィスさんに会いに行きます。

 だから……そうですね、手を差し伸べていてください」



 初めの違和感は、ヘティーク湖のあの小屋で、子供が魔物に連れ去られた時だった。

 私の知るクラヴィスさんなら、一番最初に動いていただろう。

 でも今のクラヴィスさんは自分から動こうとはせず、私に本当に助けるのか確認までしてきた。


 あの時は本調子じゃないからと思っていたけれど、今ならわかる。

 クラヴィスさんは周りを近付けないと同時に、近付こうとしていない。

 誰に対しても関わりを持とうとしていなかった。


 それはそれで、一つの守り方かもしれない。

 でも、それじゃダメだと私は知っているから。

 だから私は、クラヴィスさんが求めてくれるのを良いことに、我儘を一つ押し付けた。



「人を遠ざけないで、一人で何でもしようとしないで。

 貴方の手の届く範囲で良いんです。手を差し伸べてあげてください」



 フレンやスライトがそうだったように、クラヴィスさんの周りにはクラヴィスさんに助けられた人ばかりが集まっていた。

 私もその一人で、あの冷たいヘティーク湖で拾ってもらえたから、私はここに居る。

 あの未来に辿り着き、こうして私と貴方が出会うには、クラヴィスさんは周りの人達を助け続けなければならない。

 見ず知らずの怪しい子供を拾い、手を差し伸べる人で在ってもらわなければならないんだ。



「辛い思いをするかもしれません。差し伸べた手を退けられるかもしれません。

 それでもいつの日か、私がクラヴィスさんに会いに行った時、迷わず貴方の手を取れるように」



 みんながどんな経緯でクラヴィスさんと出会ったか、全て知っているわけではない。

 魔法を放つことがあっただろう。剣を握ることもあったかもしれない。血に濡れることもあったかもしれない。

 それでも諦めず、全部拾い上げてほしいから。



「周りの人達に手を差し伸べていてください。その中に必ず私もいますから」



 ――そうしていつかくるあの日に、私の手を取ってくださいと我儘を言うんだ。



「……手を」



 手、と言われて反射的に頬から手を離す。

 けれどその手は重なった手に強く握り締められる。



「手を、伸ばしていて良いのか」



 吐息と共に落とされた言葉に込められた熱が体を貫く。

 ぱちりと瞬きをして、見上げた黒曜にはもう揺らぎなんてなくて。



「その時がくれば、君を求めて良いのか」



 願いがいずれ叶うと知ったからだろう。

 いつになく熱を宿して輝く瞳に、しっかりと頷いた。



「繋いだ手を離さないでいてくれるなら、いつまでだって傍にいますよ」



 あの時、貴方は私を想って手を離そうとした。

 私は帰るべきだと、自分の命が消えるのにも関わらず手離そうとしていた。


 あの時の貴方が何故その覚悟を決めてしまったのかはわからない。

 でも、私は離さないでほしいから。離さないでいて良いから。

 今のクラヴィスさんが知る由もないけれど、そう笑って釘を刺しておけば、クラヴィスさんは微かに目を見開いた後、緩く微笑んだ。



「……わかった。この手の届く範囲は、できうる限り助けよう。

 君がいつもそうしていたように、私もそう在ろう」



 握る手はそのままに、クラヴィスさんの片手が私の頬へと添えられる。

 冷たい指先が目尻を撫でるのが少しくすぐったくて、添えられた手に顔を寄せれば、優しく顔を持ち上げられた。



「その代わりに……」



 そっと、顔が近寄って。

 熱い吐息が肌を撫でて。

 柔らかな感触が、口の端に触れた。



「っ、クラヴィス、さん……!?」



 直接、ではなかったのは、同意を得ていなかったからだろうか。

 ドッと早鐘を打つように激しく鳴り出す鼓動に一気に熱が昇っていく。

 きっと私の顔は今真っ赤になっていることだろう。

 突然のことにそれまでの空気なんて忘れてあわあわとする私に、クラヴィスさんは嬉しそうに目を細めていた。



「……君に私の想いを預ける。いつか会えた時、返してくれるか」



 頬に添えられていた手が動き、唇を親指で撫でられる。

 なるほど。返してって、今のを返せって言ってるんですね。ハードル高いなぁ。

 一周回って達観できたらしい。妙に冷静になった頭で理解して、勝手に頬が緩むのもそのままに頷いた。



「……わかりました、必ず返しますね」



 随分と難易度の高い預かりものだけど、帰ったらしっかり返すとしよう。

 勢いと度胸があればどうにかなるでしょ! たぶん!

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