偽りの幕引き
「――クラヴィス様……!」
幻影を使っているが、顔までは変えていなかったからだろう。
偽名ではない私の名が食堂に響き渡り、ゲルダが目を丸くする。
「クラヴィス……? クラヴィスって、第三王子の……」
古くからこの国で使われる名で特別珍しい名でもないが、ここ半年、嫌でも見聞きしているからか。
王都から来たという従者らしき来訪者の存在もあり、私の正体に気付いたゲルダは陸に打ち上げられた魚にように口を繰り返し開閉させる。
それでも大声を上げないのは、エディシアが貴族の出らしいと知っていたのもあるのだろうか。
震える指で私を指差そうとして、慌てて自分の手を叩き落としているゲルダに近付いた。
「黙っていてすまない。やむを得ない事情があったと理解してほしい」
「わ、わかりました……えぇと、アタシは何も聞かず、知らないことにすればよろしいでしょうか……?」
「そうしてくれ。それと、今しばらくはこれまでと変わらず旅人のクラウンとして扱ってほしい」
「…………無茶を言うねぇ」
相手が王族だと知りながら、今まで通りただの客として扱えなど、ゲルダからすれば確かに無茶なのだろう。
だが、今『第三王子クラヴィス』として動き出せば、必ずあの人が嗅ぎ付けてしまう。
そうすれば恐らくゲルダも、コリン達までも巻き込んでしまう。
そのような誰も望まない事態など、みすみす招き入れてたまるものか。
私の表情から冗談の類ではないと理解したのか。
苦笑していたゲルダがしっかりと頷き返したのを見て、私は目の前の男へと向き直った。
「……シドロフ、良く私を見つけたな」
「クラ――いえ、主……! ご無事でなによりです……!!」
呼びかけた名前を呑み込み、主と呼び直した男を視界に入れつつ、周囲を魔力で探る。
しかし魔法の類はなく、人の気配もない。
男の装備も長剣一本だけのようで、少しだけ肩の力が抜ける。
「……他には誰もいないのか」
「はい。主がここにいるという確証がなかったため、私単身で参りました。
私がザイラに向かったのを知っているのは我が父と兄のみです」
「何故私がここにいると?」
「年末の報告に、ザイラで行われた魔物の討伐に関する報告がありました。
その中に旅人の魔導士の助力を得たとありましたので」
「……西ではなく、北のこの地でか。この戦況で良く許可が出たものだな」
戦争が長引き、どこも人手が足りていない戦況だ。
王家の影として育てられたこの男は、騎士の資格こそないが下手な騎士より戦え、密偵としても動けるだろう。
唯一欠点を挙げるなら経験の少なさ程度で、十分優秀な駒として使えるはず。
それを行方知れずとなった西部ならまだしも、北部の街での報告などを当てにして動くなど、よほど余裕があるのか。
それとも、あの人の命で私の生死を確認するのを急いでいたのか。
自身を注視するこの黒にシドロフは身を固くした。
「……自分は前線を離れておりましたので、国内外問わず、魔導士がいると聞けば確かめに行っておりました。
それなのにこれほど遅くなってしまい、大変申し訳ございません」
深く頭を下げるシドの魔力に揺れはなく、その言葉に偽りはないのだろう。
魔導士が居ると聞けばどこへでも行っていたのだろう。
そこまでする忠義は誰に捧げているのか。
疑念の中、不意に大丈夫だと告げる彼女の声が聞こえた気がして、細く息を吐いた。
「……上へ行く。お前も来い」
この男を信頼して良いのか、まだ判断しきれない。
だがこれ以上詳細を聞くには、食堂という広く開け放たれた空間はあまりにも適さない。
あまり気は進まないが、彼女にも会わせた方が良いだろう。
顔を上げたシドロフに付いて来るよう指示を出し、私は階段を上がっていった。
先頭に立っていたディーアが私達に割り当てられた部屋を開けるが、彼女達の姿はないようだ。
どちらの部屋にいてほしい、などと一言も言っていなかったから、きっと自分の部屋にいるのだろう。
そう、対面の部屋を軽くノックをするが、返事はなく、沈黙が流れる。
何の根拠か、大丈夫だと言い切っていた彼女だが、一応警戒しているのだろうか。
緊張感の欠片もなく暢気に笑っていたから、もしかしたら待っている間に寝てしまったのかもしれない。
魔物の魔法で常に暖かくしている彼女のことだ。
警戒しているより寝ている可能性の方が高い気がするのは気のせいではないだろう。
とはいえ、今は緊急事態ではある。
女性の部屋を許可なく開けるのも憚られるが、以前気にせず入っても良いと言っていたのもあり、もう一度ノックをして声を掛ける。
「エディシア? ……開けるぞ」
二度目の声掛けにも返事がない部屋の主はどうしているのやら。
念のためシドには見えないようにディーアが壁になっているのを確認し、鍵のかかっていないドアを開ける。
――その先に彼女の姿はなく、荷物の減った部屋と冬の風が吹き込む窓だけがあった。
「エディシア……?」
彼女がいつも薬草を保管していた箱はあるのに、彼女が普段使っていた調合道具がない。
ベッドの上には彼女が先ほどまで着ていた服が畳まれていて、あの変わった服を包んでいた布も一緒に折り畳まれている。
そして何より、彼女が最初出会った時から持っていた鞄が無くなっていて――その光景を理解した瞬間、足が勝手に窓へと駆けた。
「エディシア……!」
窓の外には夕闇が迫る冬の空が広がっていて、はらはらと雪が降っている。
降り積もった雪に彼女らしき足跡はなく、街には人影もほとんどない。
かつて彼女は、あの小さな魔物の背に乗って離れた町へと赴いていた。
ならばと空へ魔力を飛ばし探せば、数多に漂う魔力の中に、使った覚えのない自分の魔力の残滓が漂っている。
彼女は私の魔力を宿している。
これは彼女が行った道だ。
彼女は、部屋にいてくれと頼んだのに、どこかへと向かっている。
「あ、るじ」
掠れた声が己を呼ぶ。
振り返ればディーアの手には小さな紙切れが握られていて。
青ざめたディーアからその紙を受け取れば、彼女の字で伝言が綴られていた。
『私達は帰ります。みなさんによろしくお伝えください。お元気で』
「……そう、か」
魔堕ちの症状が落ち着いているのは自分が一番わかっていた。
荒れ狂っていた魔力は凪ぎ、心臓を鷲掴みされるような痛みもない。
だから彼女は帰った。帰れると判断したのだろう。
私達はもう大丈夫だと、もう魔堕ちは心配ないと判断し、帰ったのだろう。
元々その予定だった。どんな形であれ彼女はいずれ帰っていた。
それが今になっただけだとわかっているのに、どうしてこんなにも胸が苦しいのか。
急いで書かれたのだろう、少し崩れた文字を指先でなぞる。
もう、彼女に会うことはないのだろう。もう二度とあの笑顔は見れないのだろう。
私を助けるために現れた彼女は、私の傍にいるために現れたわけではないのだから。
魔力が暴走しているわけでもないのに、酷く痛む胸に自然と彼女の伝言を握りしめた時、ディーアが私の肩を掴んだ。
「い、って」
「……ディーア」
「いって、ぐ、ぁ、さ……!」
私の肩を掴み、潰れた喉で必死に言葉を紡ぐディーア。
痛みからか、感情からか。
涙を張った濃い茶の瞳が私を真っ直ぐ射抜いてくる。
「……行ったところで、止められん。止めもしない」
そうだ。行ったところで、追い付いたところで、私に彼女を引き留める権利はない。
彼女はただ、元々在るべきだった場所へ帰るだけだ。
それが私達の隣ではなかった、ただそれだけだ。
「それでもお前は行けと、そう叫ぶのか」
彼女を帰すことは、我々も望んだこと。
そうわかっているだろうに、私に行けと声にならない声で叫ぶのは、ディーアがそう望んでいるからか。
もしくは、私がその未来を願っているとわかっているからか。
力強く頷いた拍子に、溢れた涙がディーアの頬を伝っていく。
口元を覆う布に染み込んでいく雫を見届け、私はディーアの手を掴んだ。
「……わかった」
「っ……!」
「行ってくる……が、期待はするな」
行ったところで何になる。
どうせ引き留めないのなら、引き留められないのなら、このまま別れた方が受け入れられる。諦められる。
だが、それでもこの足が動いてしまうのは、ディーアの望みを叶えたいなどという殊勝な思いからではないだろう。
彼女に追い付いたら、私はどうすれば良いのだろうか。私は、何をしようとするのだろうか。
自分でも何がしたいのかわからないというのに、ディーアに背中を押されるがまま、私は窓から飛び出した。
お知らせ
1/16から連日更新、1/21完結となります。
完結まで残り6話、最後までどうかよろしくお願いします。




