やっぱり、思ってたんとちゃう
「ふんっ! ぬんっ!」
私はメイド服の裾をたくし上げ、モップを勢いよく床に走らせていた。
場所は、荒れ果てた中庭に面した広大な廊下。
窓の外を見れば、かつては美しかったであろう花壇は枯れ果て、代わりに背丈ほどの雑草が我が物顔で生い茂っている。
中央の噴水はひび割れ、水など一滴もない。
見上げれば、どこまでも青い空と白い雲。
そして目の前には、いかにも某ゾンビゲームに出てきそうな古びた洋館。
「オジョウチャン、精ガデルネ」
どこからともなく現れた、腰の曲がった知らない老婆が、冷えた水が入ったコップを差し出してくる。
言葉はわからないが、その笑顔は優しい。
「……どうも」
私はコップを受け取り、一気に飲み干した。
プファーッ!
冷たい水が乾いた喉を潤す。
「いい汗かいた! やっぱり貴族の生活はこうでなくっちゃね!」
ガシャーン!
私は空になったコップを床に投げつけ(※脳内で)、盛大にツッコんだ。
「……って、んなわけあるかーい!!」
廊下に私の声がこだまする。
違う! 断じて違う!
貴族って言ったらさぁ!
シルクのドレスを着て、綺麗に手入れされた庭園で優雅にアフタヌーンティーを飲んでて!
テーブルには三段重ねのタワー皿にケーキがいっぱい並んでて!
時には夜な夜な舞踏会なんかあって!
どこかの国の王子様が私の手を取って、『あぁ……今宵の君は美しい』とか言われたりしてさぁ!
どこ行った私のケーキと紅茶!
どこ行った私の王子様!
「仕方がないだろう。貴族と言っても、フランは『元』貴族だ」
私の絶叫を、小さい母――エマの姿をした千尋――がズズズと梅昆布茶をすすりながら受け流す。
なんで異世界に梅昆布茶があるんだよ。
「実家とはいえ、今は誰も住んでいない。それに、フランに定職はない。騎士団からの給料もまだ入っていないから、収入は無いに等しいんだ」
横でフランが、ニコニコしながら「うんうん」と頷いている。
「それってニートって事だよね!? 働いたら負けってやつ!?」
お母さんが口を開きかけ、フランに通訳しようとするのを私は必死で止めた。
「通訳しなくていいから! これ以上絶望させないで!」
私は肩で息をしながら、目の前の廃墟……もとい、屋敷を見渡した。
「もっとこうあるでしょうよ! 異世界の貴族の館って言ったら!
白を基調とした美しい洋館で! 窓を開けたら手入れされた薔薇の庭が広がっててさぁ!」
「立派な家じゃないか? 歴史を感じるぞ」
「違う違うちがーう! 私が望んでいたのは戦慄迷宮じゃなーい!」
壁に掛かった肖像画を指差す。
青白い顔をしたお爺さんが、こっちを見てニタニタ笑いながら手を振っている。
「そして何なのこの絵は! 怖いし動くし! ここはホグワーツですか!?」
フランが絵を見て、お母さんに何か説明している。
「……なるほど。『あれはフランの曾お祖父さんで、魔法薬学の権威だった有名人』だそうだ」
「有名人なんかい!」
さらに私は、廊下の突き当たりにある怪しげな石像を指差した。
「そしてどうして、石像の目を左右に入れて動かさないと部屋の鍵が出て来ないの!?
ラクーンシティかここは!」
またしてもフランが説明する。
「……『鍵はずっと刺さったままだから、石像を動かす必要はない』らしいぞ」
「開いとるんかい!」
私は自分の来ている服をつまみ上げた。
黒と白の、フリルがついた典型的なメイド服だ。
「なんでメイド服しかないの? ドレスは? 私の舞踏会用ドレスはどこに行ったの!?」
「『生活費のために金目の物は全て売った。使用人も全員解雇して、今はあのお婆さんだけが残ってくれた』らしい」
「あの人、メイドだったんかい!」
さっき水をくれたお婆さん、ただの近所の人じゃなかったのか。
「文句を言うなら、やはりルナフィールに戻って復興作業の手伝いを……」
「それは絶対嫌!」
「それなら我慢するしかないな」
「うぅ……」
「ちなみに、食事は庭で採れた野菜中心の自給自足らしいぞ」
「私の異世界ライフー! いつからサバイバル生活になったのー!!」
私の悲痛な叫びは、廃屋の隙間風と共に消えていった。
その日の夜。
私は洋館の中で、人生最大のピンチを迎えていた。
(……トイレ、どこ!?)
夜中に目が覚めてしまったのだ。
この屋敷、無駄に広い上に構造が複雑すぎる。
しかも、電気なんて便利なものはない。
手に持った頼りない蝋燭の明かりだけが、暗闇を照らしている。
「どうしてトイレがこんなに遠いのよ……!」
廊下の板張りがギシギシと鳴るたびに心臓が跳ねる。
さっきの動く肖像画とか、絶対夜中に歩き回ってそうで怖い。
やっとトイレだと思って開けた部屋には、ベッドでお婆さんが寝ていた。
(……住んどるんかい!)
使用人部屋だったのか。
お婆さんの寝息を確認し、そっとドアを閉める。
迷いに迷って、ようやくトイレらしき扉にたどり着いたその時。
ヒュゥゥ……。
隙間風が吹き抜け、手元の蝋燭の火が消えた。
真っ暗闇。
「ひっ……!」
「……助けてドラえもーん!!」
私の涙混じりの叫びは、闇の中に吸い込まれて消えた。
翌朝。
中庭に出ると、かつて花が植えてあったであろう場所が見事に耕され、立派な畑になっていた。
お母さんが手際よく野菜を収穫し、即席の竈で朝食を作っている。
無駄に広い敷地なのに、やってる事は完全にキャンプだ。
そして、テーブル代わりの岩にチャッカリ座って朝食を待つ、フランとお婆さん。
(……働かんかい!)
心の中でツッコミを入れつつ、私も席に着く。
採れたて野菜のスープは、悔しいけど美味しかった。
「さて、私とフランは魔術学院に行ってくる」
食後、お母さんが言った。
なんでも、魔術学院の年に一度のビッグイベント『銀星祭』が近く、準備や警備の打ち合わせで忙しいらしい。
「ほのかは留守番だ。大人しく勉強しておくように」
「はーい……」
二人が出かけた後、私は部屋に戻り、大量の夏休みの宿題と参考書を広げた。
窓の外には異世界の風景。
手元には日本の数学ドリル。
(……あれ? 私、異世界に来てる意味なくない?)
虚無感に襲われていると、机の上に小さな革袋が置いてあるのに気づいた。
中には銀貨が数枚と、一枚のメモ。
さらに、異世界の文字が書かれた『文字盤』と、『旅の指さし会話帳(改訂版)』、そしてアスガルドの地図。
『お小遣いだ。騎士団から特別手当が出たからね。
昼ご飯は街で自由に食べておいで。フラン』
(……やった!)
私の目が輝いた。
神様、仏様、フラン様!
これでやっと、念願の『異世界グルメ』ができる!
私は数学ドリルを光の速さで閉じると、お財布と地図を握りしめて部屋を飛び出した。
次回「銀星祭と黒い指輪」
毎週火曜日金曜日20:00更新
ココから物語は分岐します
次回からはメインはエマ/千尋 魔術学院編
ほのか編は
ほのかの孤高の異世界グルメになります。




