思ってたんとちゃう
私の夏休みが始まった。
高校生活で初めての夏休み。
行き先は、異世界。
夢と冒険と、愛だけが友達。
――そう思っていたのは、たぶん私だけだった。
「ふんっ! ぬんっ!」
私は鍬を振り上げ、固い土を耕していた。
炎天下。じりじりと焼けるような日差し。
滴る汗が目に入って痛い。
「オジョウチャン、精ガデルネ」
近所の知らないオジサンが、冷えた水が入った木のコップを差し出してくる。
もちろん、異世界の言葉だから何を言っているのかはさっぱりわからない。
でも、ニカっと笑った歯のない笑顔と雰囲気でなんとなくわかる。
「……どうも」
私はコップを受け取り、一気に飲み干した。
プファーッ!
冷たい水が喉を駆け抜け、乾いた体に染み渡る。
熱い太陽、どこまでも広がる青い空。
そして大自然、鼻孔をくすぐる畑の土の香り。
そうだ! 私はこの体験をするために、わざわざ異世界まで来たんだ!
「……って、そんな訳あるかーい!」
私は鍬を地面に叩きつけ、盛大にツッコんだ。
興奮して、思わず地元の言葉が出る。
どこ行ったんや! 私の中世ヨーロッパ風のキラキラ異世界は!
どこ行ったんや! オシャレなカフェと美味しいスイーツは!
もっとこう、あるでしょ!? 異世界って言ったらさぁ!
石畳の美しい街並みを歩いてたら、白馬に乗ったイケメン貴族様に声をかけられて。
『おやおや、迷子の子猫ちゃんかな? 君は美しいね』
とか言われて、バラの花を一輪差し出されたりするわけじゃないの!?
なのになんなの、これは。
朝はよくわからない臭い動物の餌やり。
昼は炎天下で畑仕事。
夜は泥だらけになって炊き出しの手伝い。
「俺は母ちゃんの奴隷じゃ無いっちゅーの!」
私は『某国民的アニメのガキ大将』みたいに悲痛に訴えた。
「そう言う台詞は、奴隷みたいに働いてから言うんだよ!」
同じく『某国民的アニメのガキ大将の最強の母』みたいな返しをしてきた。
私の悲痛な叫びを、小さい母――エマの姿をした千尋――がバッサリと切り捨てた。
見た目は可憐な十一歳の少女なのに、中身は滋賀県最強の主婦。
その瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭い。
「大体、ルナフィールは復興作業で猫の手も借りたい状況だ。泊まる家も貸してくれているんだから、礼を尽くすのは当然だろう」
「それはわかるけど……!」
「……それに」
お母さんは、ほんの一瞬だけ言葉を切った。
「ここは、私の帰る場所でもある」
横で、フランも神妙な顔で頷いている。
確かに、この村ルナフィールは酷い有様だった。
オルバとかいう奴の襲撃で、村の大半は焼け落ちてしまったらしい。
それでも住民のほとんどが無事だったのは、エマの帰りを待っていたコール副団長がいち早く異変を察知し、避難誘導したからだとか。
おかげでコールさんは瀕死の重傷を負って、今は包帯グルグル巻きで寝込んでいるけれど。
ただ、ひとつだけ不可解なことがある。
アルク君のご両親のことだ。
お母さん曰く、アルク君の家には優しいご両親がずっと住んでいたはずだった。
最近まで、確かにそこにいたはずだと。
けれど、行ってみると家はもぬけの殻。
それどころか、まるで何十年も人が住んでいなかったかのように埃が積もっていたらしい。
村の人に聞いても、誰も覚えていない。
まるで、初めから存在しなかったかのように――。
(……怖い。何それ、ホラーじゃん)
背筋が寒くなる話だけど、今の私はそれどころじゃない。
今の私は、この貴重な異世界生活をいかに有意義に過ごすか、その一点で頭がいっぱいなのだ。
このままだと、訳もわからず筋肉痛になって夏休みが終わる!
「嫌だ! 私はもっと異世界でしか出来ない事をしたいの!」
「だから今やっているだろう。農業体験だ」
「それは滋賀でもできるでしょ! 私がやりたいのは貴族体験なの!」
私は机代わりの木箱をダンダンと叩いて訴えた。
「それに、馬小屋か牛小屋かわからない藁だけの布団で寝るのも限界! 背中チクチクするし、なんか虫いるし!」
「贅沢を言うな。屋根があるだけマシだと思え」
はぁー、と深いため息をつくお母さん。
この頑固オカンめ。交渉決裂かと思ったその時。
「……? ……」
横にいたフランが、私の手から桑を取り上げると、苦笑しながらお母さんに何かを話しかけた。
柔らかい音の響き。異世界の言葉だ。
私にはさっぱりわからない。
お母さんは「ええ、まあ……」といった顔でフランと二、三言葉を交わし、私に向き直った。
「ほのか。フランがね、『ほのかには地球で随分世話になったから、僕の屋敷の使っていない部屋を貸すよ』って言ってる」
「えっ、本当!?」
私はフランを見た。
彼はニコリと笑って頷いた。言葉はわからなくても、イケメンの笑顔は万国共通だ。
「お母さん、通訳して! どこにあるの!?」
「『僕の実家はここから少し離れた街にあるんだ。今は誰も住んでいないから、好きに使っていいよ』だそうだ」
フランは元貴族だ。
腐っても貴族、屋敷の一つや二つ持っているらしい。
それも、超豪華な家を。
「やったー! さすがフラン! 話がわかる!」
「わたしは反対だぞ。ここは復興の最前線だ」
お母さんが渋い顔をするが、フランがまた何かを言う。
「……『いいじゃないかエマ。たまには息抜きも必要だよ。それに、ほのかには僕からいろいろ教えたいこともあるしね』……だって」
お母さんの通訳を聞いて、私はフランにガッツポーズを送った。
貴族の屋敷!
ふかふかのベッド! 天蓋付きの寝室!
私の胸は、まだ見ぬ優雅な異世界ライフを想像して高鳴った。
……この時はまだ、その屋敷がとんでもないことになっているなんて、夢にも思っていなかったのだ。
次回「やっぱり聞いてた話とちゃう」
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