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魔法の意味





「――殺してやる」


少女の口から紡がれた言葉は、呪詛のように空気を凍らせた。


「なんですって……?」


オルバの顔が引きつる。

彼女の放った「爆華」は、全て不発に終わっていた。

エマの周囲に漂う黒い靄が、火の粉に触れた瞬間、それを「無」へと還しているのだ。


「調子に乗るんじゃないわよ!!」


オルバが叫ぶ。

掌を突き出すと、空間に無数の火の槍が出現した。

その切っ先は全てエマに向けられている。


「死ねぇぇぇ!!」


豪雨のように降り注ぐ炎の槍。

だが、エマは一歩も動かない。

防御魔法すら展開しない。


ただ、見つめるだけ。


火の槍はエマの身体に触れる直前、黒い靄に吸い込まれるようにして掻き消えた。

熱も、衝撃も、音さえも残さない。


「嘘……嘘、嘘よ!」


オルバが後ずさりする。

自分の魔法が通用しない恐怖。

それを認めることができず、彼女のプライドが悲鳴を上げる。


「あり得ない! 私は『虹』よ! 選ばれた存在なのよ!」


オルバの中で、何かが切れた。


彼女は両手を天にかざす。

全身の魔力回路を焼き切らんばかりに駆動させ、大気中のマナを根こそぎ吸い上げる。


ゴオオオオオオッ!!


上空に、太陽と見紛うほどの巨大な火球が出現した。

熱波が広がり、焼け焦げた地面をさらに灼熱で焙る。


「これは私のオリジナル! 風も火も、最高出力で練り上げた私だけの魔法!」


さらに、オルバの身体からどす黒い魔力が溢れ出す。

エマのものとは違う、澱んだ欲望の色をした黒。


「あなただけが『黒』を使えると思った? 残念、私も使えるのよ!」


上空の火球に、黒い魔力が注ぎ込まれる。

紅蓮の炎が、見る見るうちに漆黒へと染まっていく。


それは、空に空いた穴のような、黒い太陽だった。


「『冥府の黒陽ソル・ニグレド』」


オルバが恍惚とした表情で名付ける。


「この火に焼かれたら、死ぬだけじゃ済まないわ。永遠に燃え続けるの。肉体も、そして魂でさえも!」


黒い太陽が、重力に従ってゆっくりと降下を始める。

圧倒的な熱量と質量。

逃げ場などない。


「ケハハハハ! どう? 命乞いでもしてみたら? 今なら苦しまずに消してあげるかもよ?」


狂ったように笑うオルバ。

対して、エマは――。


「……それで?」


冷たく、短く言い放った。

そこには恐怖も、焦りも、興味さえもない。


オルバの笑い声がピタリと止まる。

顔がみるみる赤く染まり、激怒に歪む。


「『それで』ですって!? 分かってるの!? 魂も燃えるのよ! 永遠に焼かれるのよ!!」


「ふん」


エマは鼻で笑った。

その態度は、オルバのプライドを粉々に踏み躙った。


「お望み通り……永遠の業火に焼かれなさいッ!!」


オルバが腕を振り下ろす。

黒い太陽が、エマを飲み込まんと落下した。


轟音――は、しなかった。


シュン。


風船が萎むような間の抜けた音がして、黒い太陽は消滅した。

エマが、ただ片手をかざしただけ。

それだけで、オルバの全魔力を込めた奥義は、文字通り「無」に帰した。


「なんで……?」


オルバが膝をつく。


「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!」


頭をくしゃくしゃにかき回し、金色の髪を振り乱して絶叫する。


「私の魔法よ!? 最強の魔法なのよ!? なんで消えるのよおおお!!」


取り乱すオルバを、エマは冷ややかな瞳で見下ろした。

そして、ゆっくりと右手を上げる。

人差し指が、天を指した。


「そんなに……火遊びが好きなら」


エマの声に、千尋の声が重なる。

そして、もう一人の少年の声も。


「――とっておきを見せてあげる」


エマの指先に黒い稲妻が走る。

上空の空間に、蜘蛛の巣のような亀裂が入った。


パリーン。


乾いた音がして、空がガラスのように割れた。

その向こう側から、異質な「何か」が顔を出す。


(――ッ、あ……ああ……)


エマの中で、千尋の意識が凍りついた。

呼吸が止まる。


それは、魔法ではない。

魔獣でも、精霊でもない。


無機質な、鉄の塊。

冷たい塗装。回転する黒いゴム。

そして、ぎらりと光る二つの「目」。


(もう……見たくない……ッ!)


千尋の脳裏に、あの日の記憶がフラッシュバックする。


耳をつんざくブレーキ音。

鼻の奥にこびりつく、焦げたタイヤとガソリンの臭い。

視界を白く染め上げた、強烈なヘッドライトの光。


そして――全身の骨が砕ける衝撃と、熱い血の感覚。


『私の命を、奪ったもの』


この世界には存在しないはずの、圧倒的な質量の暴力。

私の「死」そのものが、空の裂け目からゆっくりと頭を覗かせていた。


「な……なによ、これ……」


オルバが空を見上げて呆然とする。

理解できないはずだ。

この世界にはない、巨大な鉄の箱が降ってくるなど。


エマは、動けないオルバを見下ろし、冷めきった瞳で告げた。


「……あげるわ。好きなだけ、遊べばいい」


エマが腕を振り下ろす。

鉄の塊が、轟音と共に落下速度を上げる。


「ひっ……!」


オルバは弾かれたように背を向け、風魔法で飛び上がろうとした。

逃げなければ。

あれに当たれば、死ぬ。理屈ではなく、本能がそう叫んでいる。


地面を蹴り、空へ――。


「――ピタ」


オルバの身体が、空中で静止した。


手足が動かない。

風が吹かない。

時が止まったように、指一本動かせない。


「君さぁ……油断しすぎじゃない?」


耳元で、少年の声がした。


「え……?」


動かない首を、視線だけで横に向ける。

そこには、いつの間にかフランが浮いていた。

氷のように冷たい瞳で、オルバを見つめている。


「僕、始めに言ったよね? 『虹二人を相手にして勝てるのか?』って」


「な……あ……」


言葉が出ない。

身体の自由が全く効かない。


頭上には、迫りくる巨大な鉄塊の影。

ライトの光が、オルバの恐怖に染まった顔を白く照らし出す。


「バイバイ、最強の虹さん。名前は……なんだっけ?」


フランは薄く笑い、指をパチンと鳴らした。


「――解除」


オルバの拘束が解ける。

だが、もう遅い。


キキキキキキィィィーーーーーッ!!



異世界の空気を切り裂き、地球の質量兵器が直撃した。


凄まじい衝撃音がルナフィールの焼け跡に響き渡る。

地面が陥没し、土煙と炎が舞い上がった。

ガラスの割れる音、金属がひしゃげる音が、断末魔のように響く。


オルバの姿は、巨大な鉄屑の下に完全に消えた。


それを見届けると、エマの身体がぐらりと揺れた。


「ぐっ……」


片膝を地面につく。

激しい頭痛と動悸。力を使いすぎた反動が、全身を駆け巡る。


「エマ!」


フランが駆け寄る。


「大丈夫かい? 無茶しすぎだよ……あんなデカいものを呼び出すなんて」


「……まだだ」


エマは荒い息で、燃え上がる残骸を睨みつけた。


「あは……あははははッ!」


炎の中から、笑い声が響く。


ひしゃげた鉄の隙間から、光が漏れ出す。

聖なる光。


「こんなんで……勝ったつもりぃ?」


プレスされた鉄塊を吹き飛ばし、オルバが現れた。

全身の骨が砕け、肉塊と化していたはずの身体が、光に包まれて元通りに修復されていく。


「痛かった……痛かったわよぉ! よくもやってくれたわね!」


オルバは血走った目で叫ぶ。


「でも無駄よ! この『聖なる力』がある限り、私は死なない! 何度でも、何度でも蘇って、お前たちを――」


「――ピタ」


また、オルバの動きが止まった。


再生の光を纏ったまま、口を開けたまま、彫像のように固まる。


「だから……喋りすぎだって」


フランが呆れたようにため息をつき、ゆっくりとオルバに歩み寄る。


「それは前に見た。対策しない方がおかしいよね?」


「な……ん……で……」


オルバの喉から、辛うじて音が出る。


「あのさ……僕、『触らないと固有魔法使えない』って一言でも言った? 言ってないよね?」


フランはオルバの目の前に立ち、そっと手をかざした。


「君の再生速度……速いね。でも、それよりも速く凍らせたらどうなると思う?」


パキッ、パキキッ。


オルバの足元から、絶対零度の氷が這い上がる。


「治癒しても無駄だよ。治す端から凍らせる。回復の速度より、凍る速度の方を速く『設定』したからね」


氷は一瞬でオルバの首まで覆い尽くした。


「君は、永遠に凍っていく恐怖を味わうんだよ。回復を止めたら凍って死ぬ。回復しても、またその度に凍る。無限ループだ」


「あ……が……」


オルバの瞳に、初めて「死」以上の恐怖が浮かぶ。

終わらない地獄。永遠の幽閉。


「本当は、これでもいいんだけど……。それじゃ気が済まないよね? ね? エマ」


フランが道を譲る。

その後ろから、エマがゆっくりと歩いてきた。


足を引きずりながら。

けれど、その瞳に宿る闇は、より深く、濃くなっている。


「私の……好きだった町を……」


一歩。


「友達を……皆を……」


また一歩。

近づくにつれて、エマから溢れ出す黒い魔力が濃度を増し、天を覆う柱となって立ち昇る。


「ひぃ……う……」


氷の中で、オルバの目が泳ぐ。

目の前にいるのは、少女ではない。

災厄そのものだ。


エマは、オルバの目の前で立ち止まった。


「お父さん、お母さんを……返せ!!」


慟哭と共に、エマの手がオルバの顔に触れた。


「お前なんて……」


「ご……ご……めん……ゆるし……」


命乞いの言葉は、最後まで紡がれなかった。


「消えちゃえ」


フッ。


その言葉と共に、オルバの姿が消えた。

氷も、聖なる光も、肉体も、魂も。

爆発することも、血を流すこともなく。

まるで、最初からその場に存在しなかったかのように。


完全なる消滅。


「…………」


後に残ったのは、風の音だけの静寂。


黒い魔力が霧散し、エマの身体から力が抜ける。

糸が切れた操り人形のように、その場に倒れ込んだ。


(終わっ……た……)


エマの意識が完全に消え、深い眠りにつく。

内側にいた私――千尋も、黒い奔流から解放されたが……意識が遠のいていく。


泥のような疲労感の中で、私はぼんやりと考えていた。


魔法とは。

絵本の中の奇跡。

便利で、キラキラしていて、夢を叶える力。

勝手に、神聖な物で、尊く気高いものだと勘違いしていた。


違う。

そんなものじゃない。


大切なものを奪い、人を傷つけ、命さえも弄ぶ。

そして、使う者の心さえも蝕んでいく。


これは……この力は……。


――呪いだ。


暗転する視界の端で、焼け落ちた故郷の残骸が見えた気がした。


(第一章 完)


次回 Epilogue「夏の扉」

挿絵(By みてみん)


感想・レビュー、いつも励みになっています。


一言でもすごく嬉しいです。次話も全力で書きます。では、また!

読んでくださってありがとうございます。


感想・レビュー・ブクマ、いつも本当に励みになっています。


XやInstagramも初めました。


小説の挿絵や裏話など呟いてますのでお時間があれば是非!


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