第五十二話 それぞれの場所で
今日は私の魔術練習は休みだ。だが、私は今日も施設の中庭に来ていた。
あれだけ冷たかった北風も、今日は少し暖かく感じる。私は今、日の光に照らされてさらに白さを際立たせた施設の壁に囲まれている。
中庭へと続く扉のすぐ脇にある、土を持ったミニ菜園の中からは青々とした葉が顔を出し、茎の先には赤や黄色の実がなっていて、水をかけたばかりなのだろう。実についたいくつかの露が光を反射して鮮やかさを増している。生活の授業で育てている野菜たちだ。
伸びをして肺に新鮮な空気を取り入れる。少し暖かくなったとはいえまだ十分な冷たさを感じる空気が肺の奥を浄化する。
そういえば、あの三人の練習状況はどうだろうか。
もちろんアンナを除いて教室もクラスも全員一緒だから毎日会ってはある。アネモスも炊事や掃除もしてくれているので合わない日はない。しかし、私は彼らから魔術の練習のことについてはまだ聞いたことがない。
勝手に見にいくのも気が引ける気がするものの、様子を見てみたいと思った。アンナやアネモスがどんな指導をしているのか単純に興味がある。
私はルミナの都合もあって休みだが、きっとあの三人は今日もやっているだろうから。
私は中庭でやっているが、アネモスの指導であるルティアとリアはきっと以前練習していたあのホールだろう。
一旦施設の中に入り、長い廊下を歩いてホールへと向かう。左側にある窓から差し込む光が暖かい。
しばらくいくと、重そうな木扉が見えてきた。ここに来るのも久しぶりである。
この間はタイミングが悪くて、開けた瞬間にアネモスの風魔術で吹き飛ばされたんだったか。慎重にいこう……。
トントンと軽く拳を作った右手で扉を叩いてみる。
反応はない。
というより、そんなことをしたって意味がない。
どうしようか。
その時ふと、首に付いている『仲間の証』の存在を思い出した。最近はあまり使ってこなかったが、今こそ使う時だろう。これはルティア、そしてスケールの二人なら離れていても会話ができる。
『ねぇ、ルティア、スケール。どこにいる?』
久しぶりすぎてなんだか不安になる。前触れなく急に話しかけたりして大丈夫だろうか。今までは普通に話しかけていたものだったけれども……。
などと思っていると、淡々とした声音が響いた。
『リトルか?どうしたんだ突然。わざわざ心の声で会話するなんて』
『ああ、いや。魔術練習、どうしているのかなって気になって……』
『なんだ、そういうことか。以前みんなで練習したホールにいる。入ってもいいよ』
なんだ、って……
あ。もしかしてさっき色々思っていたこともダダ漏れだったのか……?
まあ、いいというなら入らせてもらおう。
そっと、慎重に重い木扉を開ける。
相変わらず両手で掴んで開けないと開かないほどに重い扉だ。
その扉を開けた途端、扉の奥から体の芯が凍りつきそうなほどの冷気を感じた。それを勢いよく吸ってしまい、肺がその冷たさに一瞬痛んだ。
なんだ、と思いつつホールに足を踏み入れる。
するとそこに、彼――スケールはいた。
周りに、氷山のような氷のカケラを積み上げて、壁や結界すらも一部が凍っているのか白い膜が張っているようだ。
彼は白くなった壁を向いて立っていて、左手には角度を変えると光の反射で少し水色に光る、見慣れない槍を持っているようだった。その色は、普通に見れば白銀だか、少しの光の当たり方次第でアクアマリンの宝石のように見える、不思議な金属だ。
その銀色と相反する、金の髪の毛は、周りの白く凍りついた背景の中で、より光を反射して輝いている。
「こ、これは……一体……」
変わり果てたホールの内部で上着も着ず、あの薄い白シャツ一枚で冷静に立っている彼が信じられないほどに寒い。彼は今、愛用していた槍も金の鎧すら失い、アネモスから支給された服を着ているので、あの時のゴツさがなく、別人のよう。
「やっぱり来たのか」
スケールは冷静に振り返って、私の方へと歩み寄ってきた。何を考えているのかと思うほどものすごく冷静で怖い。
「それより、この氷は一体……」
「ああ、これは……新しい技を試していただけだよ」
新しい技。
私も『サンダーショック』を獲得したように、彼もまた新しい技を獲得して着々と練習を進めているようだ。
その新しい技という名の氷魔術は広範囲を氷に閉ざす、そんな魔術のようだ。スケールは私と出会う前から魔術を自分で学び、使ってきたところがあるからその威力は日に日に増していく。
だが、このままでは寒すぎる。一体どうするつもりなのか……。
スケールも炎属性魔法、使えたりするのか……?いや、おそらく、ないな。氷と炎は相反する属性だ。アネモスも言っていた気がする。氷だったら水の方がよい……と。
「まあ、いいとは思うけど……ちゃんと溶かしといた方がいいんじゃない……?」
「今はアネモスがいないからこのままだけれど、アネモスが溶かしてくれるから大丈夫」
なるほど、結局アネモス任せなのか。
「ちなみにリトルは何か成長できたか?」
スケールは聞く。私は手から一般魔法の『収納』を利用して隠していた練習用の光の杖を出す。
「まだまだだけどね。一応強化練習はしているよ」
杖をしっかり握るとまるで最初から自分のものだったのではないかと思うほどに手によく馴染む。
「せっかくきたんだ。良ければリトルも新しい技、見せて欲しい」
おっと……まあ、そうなるか。ただ様子を見にくただけとはいえ「じゃあ頑張ってねー」といった雰囲気では帰らせてくれない。
でもいい機会だ。少しぐらいならいいだろう。
私はそっと、スケールの氷魔術で作られたものの中で一番大きな氷片に歩み寄る。一瞬振り返って「これ、的にしていい?」と目配せすると、少々驚いた様子ではあったが、頷いてくれた。
よし。
私は杖をまっすぐ構える。相手はまだ無生物で動かないから慎重に的を定めることができる。
魔力を勢いよく流す。そしてその勢いのまま、私は伸ばした杖に力を込めた。
瞬間、杖の先が白い閃光を放った。
光を吸い、熱を纏い、電気を帯びた魔力の塊が目で追えないほどのスピードで飛び出した。
「うわっ!」
一瞬遅れて轟音が轟き、耳の奥だけでなく、体の奥深くまで浸透し、その衝撃に顔を覆った。
激しい音の波が建物を揺らし、壁や結界が軋む音がする。私の狙った氷片の周りにあった別の氷片も割れるか、ヒビが入って崩れ落ちるような音がした。
しばらくして、音が止んだ。
一体、どうなったのだろう。急激に辺りが静かになったせいか、先ほどよりもさらに深い静寂が返ってくる。私はずっと伸ばしていた杖を震える腕を支えながら慎重に下ろす。
スケールも遠くの方でピクリとも動かない。
『サンダーショック』が当たった場所。そこがどこだったのかすら分からないほど、床の上には氷の破片が散らばっている。その一つ一つが、室内に僅かに入り込む光を反射して輝いている。
「すごいな……リトル。こんな技を使うなんて」
ようやく、スケールの声がした。
その声ですら静寂の中でなんだか小さく聞こえ、先程まで響いて聞こえたはずなのに、今はなんだか平坦に聞こえる。
「これなら、実践練習でも十分通用すると思う」
「実践練習……?」
「うん。ちなみにルティア、リアはアネモスに連れられて、近くの林で実践練習をしにいっているんだ」
「実践、練習……」
私は何度かその言葉を頭の中で繰り返した。
私はまだ自分の魔力をちゃんと制御できていない。だからちょっと撃つだけでも爆発させて部屋中吹き飛ばしてしまうかのような魔術を打ってしまう。
「それを通して、より実践的に魔術の使い方を学ぶんだ」
「…………なるほど……」
ちゃんとできるのだろうか。なんだかすごく不安だ。
と……扉の向こう側から聞き慣れた声がした、ような気がした。
「誰か来た?」
「そうみたいだね。きっとルティア達が帰ってきたんだろう」
スケールはそう答えるとなぜか足取り遅く歩き、何か聞こえないぐらいの小さな声で言葉を漏らしながら入り口の扉に近づいていく。
しばらくして、重そうな扉が開かれた。
そこには、アネモスと……それに腕を引かれて、もはや引きずられるようにされたルティアとリアの姿があった。二人ともぐったりと元気がなく、顔は青白く、目はどこを見ているのか分からないほどに虚だ。
「え、ちょっと……ど、どうした……の」
私はびっくりして思わず二人に駆け寄り声を掛けた。するとルティアはもぞもぞと小さく動き、潤った薄青の瞳を薄く開いた。
それを見たスケールは呆れたように手を腰にやり、全く驚くそぶりも見せず、「またか……。本当にいつもいつもめんどくさいなあ……」などと口にして、ルティアとリアの手を引っ張り出した。
「え、いつもこうなの……?」
こんなことになるまで練習されるなんて、こんなの……
お、恐ろしすぎる……
いつからアネモスはこんな辛辣になってしまったんだ……?
前練習した時はそんなでもなかったのに……。
私が聞くと、スケールはやれやれ、と言った様子で深く溜息を吐き、「そうなんだよ」と答えた。
するとようやくアネモスが私に声を掛けてきた。
「あれ、リトル?なんでここにいるの?」
「ちょっと様子を見にきたんだ。今日はルミナとの練習はおやすみだから」
ああ……こんな答え方をしてよかったのだろうか。
答えてから思う。これでは……
「ちょうど良かった。じゃあリトルも実践練習してみる?」
「え、えぇ……?」
やっぱり、予想通り……
「そ、それは……や、やめとこうかな……」
そう小さく言葉を漏らすとアネモスはあまりにあっさりと認め、すぐ目線を外した。
しかし……
「まあ、明日にでもルミナと実践練習することになるんだろうし。今日はいいか」
と、安心しかけた私の背中に言葉を刺したのは一瞬のことだった……。




