第四十一話 長の声
今回はだいぶダークです。あと、ソルフィアが叫びますので注意です。
さて、次はソルフィアの方か。
私は少しの抱えていた思いを吐き出して少し軽くなった気持ちでソルフィアの部屋へと向かう。精神状況と能力は影響しがちだから、少しでも重荷は下ろしておいた方がいいとは思っている。
「ソルフィアー!」
肌寒く、薄暗い廊下の壁に並んでいる幾つもの扉。この扉の向こう側が個室の部屋だ。
えっと、確かこの番号だな。
「ソルフィアー!いるー?入ってもいい?」
夜の静かな自由時間であったことも忘れ、私は割と大きめの声でドアの外から彼の名を読んだ。しかし……しばらく待ってみても応答が無かった。
普段はそんなことは無い。特に彼は他の子とは違って部屋に篭りがちだ。それに今日は夕食の時に部屋にいる様に伝えておいたはずだ。
試しにドアを耳に当ててみる。音がしないか、光が漏れ出して無いかなど見る。
……体よりも先に、聴覚が何かに反応した。途端に寒気がした。さっきまでの上機嫌が一瞬にして打ち砕ける。
呻き声がした。酷く、苦しそうな、小さく助けを呼ぶ声が。それなのに助けを呼べない。きっとそれだけ苦しめられている…………
「ソルフィアー!!!」
気づくと私は扉のノブに手をかけていた。回す。開いた。鍵はかかっていなかった。そのまま部屋の中に転がる様に突入する。
薄暗い部屋の中で彼は一人、ベッドの上で蹲って体を震わせていた。苦しそうな息遣いがはっきりと伝わる。
どうして、なんで……
私は混乱した。ここに来てからというもの、ソルフィアがこれだけ痛み、苦しみ、悶えるのを私は見ていない。
いつかはきっとこうなるだろうということぐらい流石に分かってはいた。祖国――ラリージャ王朝の国境と言われる壁をついに乗り越えてしまったのだから。研究所から逃げるだけでも胸を握り潰されると言われている彼らからすれば、国を渡るなどは禁断の定めだ。
ソルフィアの右手には助けを呼ぶつもりだったのか、鈴が強く握られていた。これはアネモス達……看護係を呼ぶために部屋に置かれているものだ。手汗まみれの手の中でそれは強く強く握られている。
不安や緊張、自分自身の気持ちを落ち着けたい時などに無意識に物を握ることは私にもある。
きっとその行動の表れ……。
それにこれだけ力が入るということはそれだけの防御反応が出ていて、それだけの痛みが彼に襲いかかっているということでもある。
「うっ……くぅぅううう……っ!!」
彼の声が大きくなっていく。私は唇をやや強めに噛み締めた。胸の奥に湧き上がる何かを押さえつけ、自分の体が怖気で冷たくなって震え出すのを感じた。
いつからこの状況で耐え続けていた?
彼の頭に付いた角は、最早血を吸った様な純赤へと変わっていこうとしている。
私は驚かせない様にそっと彼の背中に手を触れた。熱い。酷く熱を持っている。燃える様な熱を感じた。
私にできることは一つ。彼に治癒力をかけることだ。
私は背中に置いた手に力を宿した。当然、『ラルエンスヒーリング』。私だけが持つ、最強の濃さを誇る治癒力である。
しかし……私は強い違和感を感じた。何か、反抗されているかの様な……弾こうとしているかの様な、そんな変な感覚だ。
「あ、あ゙ぁ……リ、リドルぅぅうう……リ、ト、ル……。い゙まは、だ……」
ソルフィアがようやく私の存在に気がついた。ぶつ切りになった、喉から搾り出す呻き声に少しの情報を加えた様な小さな声が聞こえた。
今は、だ……?
ダメって、こと……?
それでも私の中に能力を解除するという選択肢は無かった。どれだけ違和感があって重かろうが、ソルフィアの息遣いが良くなるまでは解除できない。このままほっとけばやがて限界が来て、彼は心臓を撃ち抜かれて死んでしまう。
この間ここに追いやられた日、胸に刺さった漆黒の矢を抜いた。その時は彼の強い精神力と体力で救われた。だが、何度も何度も同じ様にはいかない。彼も人間だ。限界値は定められている。
光を灯し続けた。黄緑色の光が私の意思と結びついて強さを増す。押さえつけようとする何かに私も必死に反抗する。
雪山でラミリアを助けようとして能力を弾かれた時に少し似た嫌な感覚。それも乗り越えて力の強さを上昇させていく。
空になるまで消費してもいい。久しぶりの治癒力不足で倒れ込むことになっても構わない。だからなんとしてでもソルフィア……君を救いたい。君は確かに敵だけれど、一番頼りになると思っているから。
「リトル……す、すま、ない……いまは……もう……おれは……みなと、ひとしく……きょう……しぬんだ…………」
「ど……どういう、こと……?」
その一言を聞いて私は動揺した。手に灯した光が一瞬小さくなったのを感じ、もう一度力を入れ直す。
『リトル……ああ、そう……これだけの状況になっても、能力を発動させようと思うのか』
「ひっ……!!」
突如、誰か知らない声がした。私は体が凍りつくのを感じた。重く、地を這うようなその低い声。少し聞いただけでも体を強く押さえつける……拘束力のある声……。
「くっ……お、おさっ……!いったい……どこ、から」
長……?長の声が、私にも聞こえている……そんなこと、あるはずが。
『首に巻き付いている……』
「首飾りだと言うのかっ!?」
私は発せられた言葉に、迷いもなく叫んだ。そのままそれを強く握り締める。やはり壊れていなかった。あの程度で壊れるほど弱くはない。
『見てみろ。ソルフィアは相当苦しんでいるぞ……お前達のせいだ。お前達が、逃げたからだ。そのせいで祖国の国民も同じ苦しみにあっている。それを飄々とした顔で見つめていて』
聞けば聞くほど精神と感情を乗っ取られそうな歪んだ声の波長に私は能力の発動を停止せざるおえなくなった。
『何が楽しい……何が面白い……そうしてお前達は生きることに執着し、多くの人間を殺してきた』
「うぅっ……!うっ……くっ……」
酷い頭痛が襲う。体の底から溢れる寒気に体の震えが止まらない。
「それは、ちがうっ……!!」
するとソルフィアが激しく喘鳴する喉の奥から必死に叫んだ。歯の隙間から赤い色素が覗いている。
『それにソルフィア。そのぐらいにしておけ。こんな自己中心的な奴らの為に身を削る意味など無い。他の研究員は素直だというのに、なぜお前はそれ程体力を削ってまで支配に抗うのか』
「…………それは…………まも、る、ため、だ」
『何から』
「うっ……」
『まさか俺から、と言うのではないだろうなぁ?』
どこまでも重く響く声。初めて聞いて少し、ソルフィアの気持ちが理解できた気がした。長の声はこんなにも恐ろしく、重いものなのだと私は知った。
今までも、今も、そしてこれからも。彼……ソルフィアはこの降り注がれる長の声に耐え、痛みに耐えてきた。その事実を知った時、私の頬を冷たい涙が伝った。
「ぎゃあああああああっ!!!」
「ソルフィア!!!」
遂に激しく叫び声を上げたソルフィアを私は庇った。そのまま全身から能力を発動させ、その光で彼を包み込む。
ダメだ。全然効果がないっ……
彼の叫び声が部屋中に響き渡る。アネモスが、アンナが、ルミナが……他の子供達がこの声を聞いているのでは無いかという心配すらも忘れて私は必死になった。
『今すぐ、奴らを祖国に返すつもりはあるか』
これだけ痛め付けているはずなのに、支配をかけている長の声のトーンは暗くなるばかりだ。
「うぅっ……うっ……ぅう……」
ソルフィアはもう頷くこともできず、浴びせられるがまま。
「ごめん……ごめん……ソルフィア……っ!!」
謝ることと、効きもしない能力を発動することしか出来ない私は何て弱いのだろう。
涙が止まらない。誰か、誰か。彼を助けてっ……
助けられる人は私だけだと分かっていながら、意味もなく心中で助けを求める。
「こんな私達に、命を使わせてごめん……どうして、私はこんなに弱いのかな。どうして逃げちゃうのかな……悔しい……悔しいよ……それであなたが死ぬなんて、私は耐えられない……」
すると、ソルフィアの口から小さな息が漏れた。
私は、はっとして顔を上げる。ソルフィアの目は涙に濡れていた。痛みで、怒りで、悔しさで、すべてが溶けた涙だった。でもその中に、確かに一滴、諦めていない光が宿っていた。
「やさしいな……リトル……」
なんとかして絞り出した声に、少しの暖かみを感じた。
「長……どうか、どうかもう少しだけ、時間をください……かならず……リトル……達を……返す……だから……少しばかりの……へいわを……」
『もういい……いつか現実を思い知ってお前は確実に絶望する。その顔を見るのも良いというものだしなぁ』
「っ、くはっ……!!!」
ソルフィアが息を吐き出した拍子に、肩が僅かに上下する。
「……ハァ、ハァ、はぁ……はぁ……やっと、少し……息ができる……だが、痛いっ……くそっ!」
そう言った彼の目は、安堵というより、警戒と警告に満ちていた。全身はまだ震え続けている。痛みの余波が去っていないのは明らかだった。
「ソルフィア……!ねぇ、大丈夫……じゃない、よね……っ」
私は彼の背に置いた手をそっと動かして、彼の肩を抱いた。熱が、まだ燃えていた。
「……あぁ、でも……大丈夫なふり、ぐらいなら……今だけは……できる」
ぼそりと、それでも冗談のように吐かれたその言葉に、私はたまらず貯めていた涙をこぼした。
「私……なにも……できないのに……」
能力は効かない。痛みを肩代わりもできない。ただ、彼のそばでこうして、願っているだけ。
それでも――
「……ありがとう、リトル」
その言葉に、全てが報われたような気がした。
ソルフィアの目は私を見ていない。たぶん、焦点は合っていない。でも、確かに彼は、私に言った。
「お前が……ここにいるってだけで、少しは……意味があるって、今ならすごくそう思える」
彼の手が、微かに動いた。握りしめていた鈴が、手の中で転がるようにして音を立てた。
チリリ……。
かすれた音が、妙に澄んで聞こえる。
「俺の中の……支配、声……。あれは俺の命が完全に消えるまで無くなることはない」
「それって……」
「今息ができるのはほんの一瞬だ。きっと俺が、祖国・ラリージャにいた時よりも強いそれが、すぐ戻る。だけど――」
彼はそこで言葉を切って、ゆっくりと頭を下げた。涙か汗かわからない雫が頬を伝って、シーツの上に落ちた。
「お前が来てくれて、良かったって……心から、そう思ってる」
私は彼の体をそっと抱きしめた。力の限り、精一杯。彼を包むように。
「リトル……おれは、長に逆らい続ける。そうすればまた……痛みに潰されそうになる。すまない。いつもいつも……本当にこんな姿を見せて、声を聞かせてしまって……支配なんてものが無く、お前達のことを普通の優しさで守れたらどれだけ良かったことか……」
「そんな心配はいらないよ。だって……あなたが私を守ろうとしてくれたから。私も、あなたを守りたい。そういう約束だもの」
声が、震えた。怖かった。これからも彼は苦しむ。私の力じゃ、支配を壊せない。それでも……。
「……でもな、リトル。これは一時的な“隙”にすぎない。俺も、お前も、それを忘れるな」
「うん」
「長は……全部知ってる。これはただの……気まぐれだ。あいつは、俺に後悔を刻ませるつもりで黙ってるんだ。あとで……もっと痛めつけるために。お前にもその声が聞こえていたのなら、それは確実にあえて行ったことだ」
「っ……」
長の声は聞いた。あれだけ重たい声、口調。いずれやってくる、運命。
私は拳を握った。怖かった。でも、それでも――
「私は……それでも、絶対にあなたを一人にはしない。アネモスにも支配のことを話しておいた。だから辛かったらいつでも言っていいからね」
「ああ……ありがとな、リトル」




