第二十四話 ここから始まるカウントダウン
「リティス!」
玄関から顔を覗かせた少女はパッと顔を明るくし、リティスの体に手を触れた。それから家の奥に向かって叫ぶ。
「ママ!リティス帰ってきた!」
ドタドタと階上からこちらへ降りてくる足音と共に、今度は母親らしき人がやってきた。
「まあまあ、寒い中ありがとう。ここにいるのも寒いだろうから家上がってちょうだい」
…………どうしようか。
私は一瞬後ろを振り返る。家に上がるという行為は他人に気を遣わないといけないということぐらい知っている。
『少しぐらいなら、いいんじゃないかな?』
スケールは微笑気味に私を見て、心の声でそう問いかけてくる。
「じゃ、じゃあ……お邪魔します……」
「ささ、全員入っちゃって。ウチは広いから遠慮しないで」
あいさつが緊張して辿々しくなってしまった。
すごく久しぶりに他人の家に足を踏み入れる。清潔感漂う花の香水の香りが鼻を撫でる。
ルティアとリアは興味深そうに辺りに置いてある小物類に目を通し、スケールとソルフィアは冷静に靴を脱いで玄関に揃えて並べていく。
リビングに移動する。そこには柔らかそうな大きなソファに大きなダイニングテーブルが置かれていた。壁にかけられたテレビから、報道をする音が聞こえる。物は小物入れにきちっと整頓されていて、本棚も図書館並みに背面が美しく並べられている。
試しにソファに腰掛けてみると、長時間寒いところを歩き続けた太ももが、肌触りの良い生地に包まれていき、奥から暖かさを感じた。
「お茶でもどうぞ」
見るとお盆を片手に少女の母親が立っていて、机の上に人数分並べてくれる。
「雪の花とフルーティチップのお茶です。雪の花は甘い香りが特徴でリラックス効果があるのよ」
コップに淹れられたお茶から漂う湯気からたしかに甘い香りがほんのりと広がる。
「…………いただきます」
そっとガラスコップに口を付けてやけどをしないように気をつけながらゆっくり口に含む。飲み込むとお茶の香りと淹れたての暖かさが体を満たしていった。
「美味しい……!」
初めて口にする味。誰かに淹れてもらうお茶は味が違う。
「それで、リティス、大丈夫そう?一応来る最中に温めてはみたんだけど……」
コップを一旦机に置いてリティスの様子を見る。
冷え切っていた体は少し暖かくはなったが、元気がない。
「うーん……ダメそうなら病院行きかな」
「そっか」
それから少女は立ち上がり、私達に頭を下げた。
「遅くなったけど……私はアミス。リティスを見つけてきてくれてありがとう」
「私はリトル。こっちは……」
「スケールです」
「ソルフィアだ」
「ルティアです!」
「リア!」
各々、私が紹介しなくても全員次々と自分の名前を名乗った。
「ありがとう、みんな、本当にありがとう!」
アミスは目の奥を震わせながら、子猫を大切そうに抱きしめて頭を下げる。
「リティス……早く元気になるといいな」
スケールが優しくリティスの背中を撫でる。いつも以上に柔らかい目で子猫と目を合わせながら。
その時……テレビから発せられる音声に私は聞き耳を立てた。
『次のニュースです。突如発生した医療のひっ迫状態に関して、研究所は今朝新型のウイルスの影響があると発表しました』
「…………!!!!」
私は体が凍りついたように動かなくなる……そんな感覚を覚えた。アミスとその母親含め、全ての動きが止まった。
私は無意識にソファから立ち上がる。
『リトル、ルティア……逃げるぞ』
スケールの鋭い心の声。瞳の奥の光の強さに夢ではないのか、と一ミリの反対心が訴えかける。
せっかく一息吐こうと思ったのに、どうしてこんなことに……!
「リトル?どうしたの?」
アミスが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
手が、足が、今までに感じたどんな恐怖よりも強い恐怖で音がなるぐらい震え出す。それでも、行かなければ……
「ごめん、急用で、もう行かなきゃ。美味しいお茶ありがとう」
私は早口でそう言って、子猫を抱えた少女と母親をちらりと振り返ってから急いで靴を履いて外に飛び出す。
スケールもルティアもリアもソルフィアも……全員が外に飛び出した。
『新型のウイルスの存在が確認されました……そのウイルスは……』
街の無線からも発せられる音声。テレビで報道されているものが無線でも報じられる。それほどまでに大きく、重大な事態だからだろう。
私の足が止まった。
道の真ん中で体を硬直させ、耳を強く押さえてしゃがみ込む。ついにこの時がやってきた。
平和が壊される瞬間が。
ここから死ぬまでの時間のカウントダウンが始まっていく。ここからはその時間をどれだけ伸ばすかの勝負。
『…………また現段階では治療法は一つしかありません。この国に存在する特別な三名の子供の力でしか治すことが出来ません』
ああ……もう駄目だ。
走っている時、周りの人、何人かと目が合った気がした。
『手に入れるのです。彼らが持つ最強の治癒力を。我々は打ち勝つのです!』
報道されたのはそれだけ。私はその場から離れ、ゆっくり立ち去ろうとした。
『リトル……後ろっ!立って!早く走れ!』
ハッとなって後ろを振り返る。スケールの心の声に押されるように立ち上がり足を速く動かす。腕を振って歩いていた足を速め、走り出した。
「…………あいつだ。間違いない。逃げるとは愚かなことだ」
その場にいた一人の男性が私の背中を追ってくる。
ガタイが良くって、髭なんか生やしちゃって、いかにも怖そうな……だけど私達と同じ青い瞳だから一般人だ。
そんなの関係ない。
一般人だろうが研究員だろうが、全員まとめて今日、今この時から私達の敵だ。
『リトル、そっちの角に……急いで』
追う男性の手が近付いてくるのが分かる。もっと速く走らないと…
見えた。角だ。
サッと私はそこに身を隠す。
「危なかった……」
いきなり捕まるかと思った。
カウントダウンが始まって一秒で死ぬのは勘弁してほしい。
「良かった。全く……もっと周り見なきゃ」
気づくとそこにはさっきまで一緒にいたはずの仲間がいた。
「ごめん……先に行ってると思わなかった」
はぁ……とルティアがやけに大きな溜息をつく。
「どうやら始まってしまったようだね」
虚空を眺めるスケールの青い瞳は悲しみに揺れている。
「俺達を狙う内戦が」
私は唇を強く噛む。
もう少しだけ、時間が欲しかった。少なくともあと一年ぐらいは。まだまだ時間があると思っていた自分はどうやら気が緩んでいたようだ。
「おいっ!どこ行った!出てこい」
しばらくして声が聞こえて来たので、私達は黙る。指一本動かさないぐらいの強い気持ちで。片目だけ気づかれない程度に覗かせる。
さっき追いかけて来た男性がしつこくこの辺りを歩き回っている。
私達のいる所は狭い家と家の隙間。息が詰まりそうなほど狭い。早く出たい。もういいから諦めてくれないかな……
「…………次見かけたら絶対に逃がさないからな」
数刻後。
男性はブツブツ言葉を吐き散らしながら、大股でその場を後にした。
辺りを警戒しながらそっと家の隙間から出る。
それにしてもどうしてあの人は「あいつだ」と言って追って来たのだろうか。接点があった記憶もない。
あの報道を見るに、顔写真どころか名前すら公開されていない。
「もしかして……」
私は無意識にそう口にしていた。
「何か知ってるの?」
ルティアが聞く。
「あいつ、私が街中で治癒力使って治したヤツかもしれない」
考えたくもないが……もしそうだったら。アイツが私達のことをばら撒く恐れだってある。
「そんなっ」
「でもまだそうと決まったわけじゃない。私はあの時ことを襲われることの恐怖でほとんど覚えてないからね」
決めつけは良くない。もしかしたらという話。
「…………これから、どうしようか」
もう冒険者をやるのは危険だ。それにこれだけ国が混乱し始めている。今までと同じように生活するのも厳しくなってくるだろう。
「とりあえず、安全な場所を決めないとな。俺一人の時は街の裏にある公園で過ごしていたものだが、五人ともなると話が違う」
私が研究所から逃げ出して最初に行った公園。そういえば最初はあそこが拠点だった。あそこでスケールと冒険者のこと色々聞いたんだっけな。
「リトルを助けた洞窟。あそこは人通りが少ない裏スポットだけど……」
今度はリアが提案する。
私が最初に研究員に襲われて黒星刃の手当てをしてもらった洞窟。正直あそこは常に真っ暗だが、安全性はありそうだ。人通りも少ない。
「洞窟か。なかなかありかもな」
よし決めたと言わんばかりにスケールは言う。
「じゃあとりあえず一次避難場所は洞窟にしよう」
「分かった。じゃあ転移しよう」
リアが炎の魔術を展開し始める。
「『メタシスト』!」
私含めて全員、リアの転移の光に囲まれた。
✳︎
辺りを見渡す。真っ暗すぎる。手で色々触ってみる。ゴツゴツとした岩の硬い感触。無事に転移出来たようだ。
「はぁ……ちょっと、疲れた……リトル……」
リアが私にもたれかかってくる。顔色が悪い。魔力不足だろうな。
「お疲れ、リア……ありがとう」
私はそっと軽くリアに治癒力をかけ、魔力不足から解放してやる。
「俺のものだ!」
「私のよ!」
洞窟の外の方から喧嘩をする住民の声がここまで響いてくる。
「はぁ……」
なんだかもう、溜め息しか付けない。
『私は自分のことが嫌いだ。こうなることは願ってすらいない。最初は誰かを救えることを誇りに思っていたものだが。今となれば信頼できるのはここにいる四人だけで。研究所から逃げ出して、助けを求められたはずの住民も敵に回された今、この四人の存在が無くなれば私は一人きりだ。全員で研究所に乗り込む日、そこで私は自決するだろう。仲間も味方もいない世界で、生きる意味もない』
「リトル、大丈夫か?」
スケールに声をかけられて顔を上げる。真っ黒に塗られた思考から醒めていく。
「全部聞こえてたぞ?リトル、ちょっと自分を追い詰めすぎじゃないか?」
指をさした先にあるのは私の首にも巻かれているリボン型の監視装置――研究所から逃げ出す時、仲間だから完全に壊すなと止められたそれ。
「だって……」
「死ぬのが怖いか?」
言い淀んでいる私に向けられた青い瞳の光の強さに心臓が飛び跳ねた。
「怖い」
「一人が怖いか?」
「うん」
さっき聞いていたのなら聞かなくても分かる質問なはずなのに、スケールは問いかける。それから軽く息を吐いて、視線を逸らす。
「…………あんまり追い詰めるな。感情は大事だが、それで自分を壊しちゃダメだ。リトル。俺たちには感情がある。それがあるから怒ったり、泣いたり、喜んだり、楽しんだりできる。でもそれで自分を壊そうとしたらいけない。もしも感情でそうするのなら、それは自分を苦しめるための材料になってしまうからね」
「うん……」
なんか目の周りが熱い。
私は最近すごく涙脆くって、自分でも恥ずかしい。だけど、研究所に居た時、研究員に何をされても泣けなくなっていった私の心はまた暖かさを取り戻している。
「一人が怖いのはみんな一緒だ。でも一人になっても生きるんだ。この世界は変えられる。そしてそれは生きているから出来るんだ」
「…………ありがとう、私、頑張る」
「そうだな」
私は一人でソルフィアから貰った古びたノートを恐る恐るゆっくり開く。黒塗りにされた部分を指でなぞる。何が書かれていたのだろうか。もう塗りつぶされたインクは乾いていて指でなぞってもそのインクは指に付かない。擦ったら紙ごと破けるだろうからやめておく。
地面に一本の枝が落ちていた。それを拾う。折られて時間が経ち、水分を失った硬い枝。
「ルティア、これちょっとだけ焼いて炭にしてくれる?」
「いいけど……」
弱い火魔術で枝は炭と化した。
よし、これで紙に記録を残せるな。
「何をするつもりなの?」
「日記を書こうかなって」
ルティアが付けた火魔術の淡い灯火を頼りに、何も書かれていないページの上に炭の先を当てる。
「私達の記憶やこれまでの冒険はどれも壮絶で過酷だった。でも後から見返してみると良かったって思えることがたくさんあるはず。残しておきたいんだ。今後辛いと思った時にいつでも思い出せるように」
タイトルは
――私達が過ごした日々の詩――
ありがとう。
普段から使ってきた言葉。それは心の奥を暖めてくれる言葉。
なんで生きたいのかわからないのに問いかける。
行き着いた答えは「仲間の存在」
ここに「仲間」がいるからやっていける。
もし居なかったら?意味のないもの?
もし目の前から誰も居なくなったら……
感情は時に自分を追い詰める。
心も命もガラスのように簡単に壊れる――尊いもの
自分で壊してはいけない。
たとえ孤独になっても壊しちゃいけない。
変わらない絶望はない。だから精一杯生きる。そうすればきっと明るい光が差し込むはず。
そう「仲間」は教えてくれた。
✳︎
洞窟の中で過ごす夜はとても寒い。一回来たことあるはずなんだけどな。
リアは相変わらず眠ったまま。冷たい岩の上にそのまま寝かせる訳にもいかないので、とりあえず雪山の時からずっと持っていた毛布を広げ、岩を覆ってから寝かせる。持っていて良かった。
外から聞こえていた住民の暴走した声や足音もこの時間になると消えた。
出口に近寄る。
出口が分からなくなるぐらいに外にはまた暗闇が広がっていた。ふと上を見上げる。
「…………!!」
満天の星。
無数の小さな光が紺瑠璃の空の上、ラメをまぶしたように広がる。暗闇に閉ざされようとしている街とはまるで正反対の輝きに息を呑んだ。
ギルドの貸し屋は快適でなんだかんだ言って野宿の経験がない私にはきっといつもそうであるはずの星空も見たことは無かった。
「綺麗だな。なんだか俺も久しぶりに見たよ」
気づくと隣からソルフィアも顔を覗かせて夜空を見つめていた。
「研究所の周りは明るかったし、何より俺も研究所から出れたことは滅多に無かったからな」
「………………」
明日も明後日も出来ればずっとこのまま美しい空の下で暮らしたい。
カウントダウンが始まった今では、一秒一秒が大事だ。
✳︎
ぽちゃん、ぽちゃん……と水が跳ねる音がして目が覚めた。
洞窟内なら地下水が垂れてくる音が良くするからそれかと思ったものの、出口に近づくにつれて大きくなってゆく。
「なんの音?」
眠い目を擦りながら聞くと、先に起きていたリアは音のする洞窟の外へと顔を出した。
「ねぇ、リトル!なんか空から落ちてくるよ!」
「空から?」
私もそっと顔を出す。
何かって……爆弾だったら嫌だよ?
「えっ……?」
降っているのは水の粒。雪ではない。ふわふわした感触も無く、ぐっしょり手が濡れていく。空を見る。空は雪が降っている時のように厚い灰色の雲が遠くの空まで覆っている。
「何かが、空から降っている」
こんなことは今まで一度もなかった現象だ。この世界は寒いから、水は冷やされて全部雪としてしか降ってこない。
「ねぇ、濡れてきてもいい?」
許可を待たず、リアは待ちきれないといった様子で洞窟の外に飛び出していった。
…………リアの体は空から降り頻る水の粒で濡れた。
「リア!ちょっと待て!」
直後、ソルフィアが顔を青くして出口に駆け寄ってきた。
「その雨は浴びちゃいけない!それは!」
もう遅い。
ソルフィアは唇を強く噛んで、リアを見つめ、それから小さく、口にした。「…………毒だ」と。
……リアの体が崩れ落ちた。
「リア!しっかりしろ!」
私は濡れても構わない。毒でもなんでも私には効かない。(体の機能に直接影響する、一部の毒物を除く)濡れたリアの体を持ち上げ洞窟の中へと逃げるように駆け込んだ。
「く、苦しい……」
平らな岩の上に寝かせると、激しい呼吸で肺が上げ下げしているのがよく分かる。そして腕や足が痙攣している。
「リア?大丈夫か?」
「リア……?」
スケールもルティアも駆け寄ってきてくれる。でも治癒力を使うのは不要だ。
「大丈夫、まだ治せる。私に任せて。二人は誰か来ないか見張ってて欲しい」
「分かった」
よし、早くやらないと。
見張りが二人いれば大丈夫だろう。とはいっても解放する訳にはいかないので、ちょっと悪い気もするが……リアは一回やっているから大丈夫なはずだ。
「よし」
痙攣も呼吸も落ち着いてきた。
「…………ありがとう、リトル……」
早速起き上がれた。
私達の治癒力は驚異的な即効性がある。
「リトル、終わったか?」
「終わったよ、見張りありがとう」
すると今度はソルフィアがリアの目を真っ直ぐ見つめる。リアは気まずそうにというより少し恐怖も混ざった顔をする。
「ちょっと目見せてくれるかな?」
じっと見つめ合う二人。
「大丈夫そうだな」
「何が……?」
「支配」
間を置くことは無く、短く答える。
支配と聞いて一瞬戸惑いを感じた。どうして空から降ってきたそれに濡れるだけでそんな心配を?
「さっき『毒だ』って言ってたよね?」
「…………支配は水よって溶かされた、長の作った特殊な液体を飲んだり触れたりすることで起きるんだ。この世界では雨はまず降らない。その時点で怪しいと思った。そしたらやはりリアは苦しみ出した」
言いにくそうに、俯きがちにソルフィアは言う。単純に勘が鋭いようにも思うが、ソルフィアは支配を受けるものとしてそのことを一番よく知っている。
「支配なんてものを子供にかけると多くは耐えられず命を落とすだろうに」
雨という広範囲に水を降らせる技術を使って住民を支配化させる。長の思うがままに住民を操り私達を狙う。
「……なんて、ことを……」
驚きを隠せず口にしたのはルティア。スケールは無言で私達の話を聞いている。宿敵を睨むように誰もいない空間を眺めながら。
「リアは助かったが、支配に適応できない子供は危険だ」
と言われても、助けに行くことはできない。私達はまた助けられるはずの命を見捨ててしまった。
「長の作戦――住民支配化作戦が発動した。研究員、一般民問わずやってくる……私達を捕らえに!」
するとスケールが小石を片手に乗せて冷静な声音で言った。
「…………作戦会議を、始めようか」
ついに本題に入りました。
ここから壮大なバトルが、始まります




