059 痴愚
「――残念だけど、わたしが行くわ」
地を踏みしめ、アルマとレイジの横を抜ける。
背後から聞こえてくる二人の声は、すぐに掻き消えた。
「———」
五十メートル先に仁王立つ、槍の武芸者。
アルマの言うとおり、それなりに風格も伴い、なるほど強さに飢えているという点においては、わたしと同類だ。その匂いがする。
獣神武闘祭が開かれるこの時期に、帝国領手前で待ち伏せなんて相当己の腕に自信があるのだろう。
そうでなければ、このような命知らずの行為はできない。
「———っ」
加速する。
彼我の距離が二十メートルを切った頃。
閉じられていた瞼が、開く。
「女には興味ない。失せるがいい、身の程知らずが」
「……っ」
ああ、なるほど。
コイツも、そういう輩か。
女だからって下に見る、底知れぬ痴愚。
「その参加権——どうせ特別枠だろう。そのような者から奪い取ってもなんの価値にもならない」
「——そう。期待外れね」
ならば、その自惚れに溺れて死ぬといい。
「二度と槍が持てないように切り刻んであげる」
剣を鞘から抜くのと同時に、姿勢を落とす。
駆ける速度を落とさず、低空を飛ぶように間合へ踏み込んだ。
逆袈裟に抜かれた剣は、槍によって捌かれる。次いで、上段から唸る剣撃が男の防御もろとも吹き飛ばし、間髪入れず追い討ちをかける。
「むッ——ほう。出張ってくるだけの実力はあるようだな」
目つきを変え、無関心から見定めるような視線に変えた男は、攻め入るわたしへ槍の鋒を向けた。
「ここ数日、暇を持て余していたところだ。よかろう、遊んでやる小娘」
「いい加減、上から目線はやめたら? この打ち合いで理解したでしょう——」
破竹の勢いで剣と槍がうねる。
慟哭の如く響き渡る剣戟を置き去りに、剣風が轟く。
振り下ろした剣圧に男の肉体が軋み、悲鳴を上げた。
「——あなた、わたしより弱いでしょ」
「抜かせよ。その程度で愉悦に浸るのは早い」
跳ね上がる剣撃が男の服を裂き、槍の一閃がわたしの髪を散らした。
男の目線は、既に獲物を定めた肉食獣へと変化していた。
巧妙な槍捌きに出し惜しみはなく、確実にこちらを殺す急所を狙って刺突を瞬かせる。
しかし、
「——ぬぉッ!!?」
「はぁぁぁッ!!!」
心臓を抉り獲らんと疾る刺突を軸足回転で躱し、お詫びの一閃を叩き込む。
血飛沫が舞い、しかし諸共せず男は槍を横薙ぎに振るった。
「遅いわね。あなた、もう疲れたの?」
「———」
跳躍。捻るように体を宙へ投げたわたしは、落下と同時に刃を走らせる。
「ムグぅッ!!?」
「さっきまでの威勢はどこいったのよ。女にいいようにやられて、悔しくないの?」
刺突する槍の上に着地したわたしは、頭上から剣を目元に突きつけた。
男の顔が、怒りに狂った。
「——俺に手心を加えるなァッ!!!」
槍が跳ね上がり、わたしの体が再び宙を舞う。
落下する地点へ走った男が、槍を突き上げた。
「なぜ殺さなかった!? これはお遊びではないんだぞ小娘!!」
「——あの瞬間じゃなくとも、いつでもあなたを殺せるから」
「ッ!!?」
槍の上を剣が滑る。
甲高い音を鳴かせ、男の右手首を切り落とす。
悲鳴が漏れる前にハイキックで口を閉ざし、倒れる寸前の顔面に回し蹴りを叩き込む。
砂塵を巻き起こして仰臥する男。
白目を剥いて気絶した姿を確認してから、わたしは剣を鞘におさめた。
口ほどにもない。
こんな男をいくら倒しても、わたしは……。
「シャル、この男を——」
その瞬間だった。
「——自惚れはどちらだ、小娘」
「———」
背後から、低い男の声が漏れる。
先とは比べ物にはならない威圧感。
何も感じなかったはずの、背後の男から、全身の毛穴が開いてくるような感覚に陥る。
「擬態するのは強者ならば当然。その油断しきった阿呆の首を獲るのが趣味ともあれば、尚更よ」
「——しまッ」
振り返りざまに剣を抜いても、遅かった。
こちらを心底見下した腹立たしい双眸と、止まることのない槍の刺突が心臓へと伸びていた。
死ぬ——死んだ。
そう……意識して、けれど——
「残念だが、カティ。今回はおまえの負けだ」
「……ッ」
割って入ったアルマの手のひらが、槍の一撃を食い止めていた。
一滴の血すら流さずに、手のひらの真ん中でその鋭い槍を……。
「こういう奴もいる。俺も初めてのタイプだ。だから、それが知れただけよかっただろ。次は、勝てよ」
「……」
「甚だ、残念である。俺は、貴殿のような強者と戦いたかった」
槍の男が、あからさまな敬意を評してアルマを見遣る。
アルマは、罰が悪そうにわたしを見てから、言った。
「うちのカティでは満足できなかったのか?」
「いや、強い。だがまだ未熟。この俺程度に善戦するようでは、武闘祭では歯が立たんだろう」
「……なんですって?」
その言葉に、たまらずわたしは声を上げた。
「一つ、忠告しておいてやろう。一週間前、この場で蝿を払うがごとく、俺を昏倒させた男がいた。そいつは、貴殿らと同じ武闘祭参加者だ」
それが意味するところは、つまり……
「……あなたには関係ないでしょう。——上等よ、誰が相手でも倒してみせる」
たとえ相手が格上でも、いいや、それならば好都合だ。
頑張って倒せるような相手をいくら倒しても、わたしは成長できない。
負ける確率が高い闘争に乗ってこそ、わたしは強くなれるから。
「余計なお世話よ……どいつもこいつも……わたしを、舐めるな」
「カティ……」
そう吐き捨てて、わたしは馬車へと戻っていった。
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