048 束の間の休息
「《天鎧強化》――参段階」
黒紫色の稲妻が肉体の表面を覆うのと同時にのしかかる重圧。
体内の血流が沸騰する勢いで流転を広げていき——刹那、俺は音速を置き去りに疾った。
『■■■!!?』
「〝全力殴り〟」
訓練所の石畳を踏み抜き、擬剣聖機械兵へ肉薄した俺は拳を振り抜いた。
紫電を纏った拳閃が一瞬の抵抗もなく、豆腐を打つかのように装甲を穿つ。
緑色の液体とともに火花が散り、二体目の擬剣聖機械兵へ駆けるのと同時に爆風が荒れる。
「んぅぅぅ、堪らないわぁぁ。以前よりも速く、力強い……参段階は変わらず、しかし変化しているのはあの子の肉体ってところかしら。いいえ、あるいはその魂か。興味深いわあ、興味深いわあっ!」
「マスター……楽しそうで何よりなんですが……ここ最近、技術部とAランク冒険者さまからクレームが」
「あらぁ? どうして、サレンぅ?」
「アルマさまが破損させた擬剣聖機械兵の数が百を越えたあたりから、技術部が徹夜で修理および製造に励んでおりまして……。Aランク冒険者さまからは訓練用として一機も使えないことにお怒りです。ハイ」
「それは仕方ないわあ。だって、貴重なデータがたくさん収集できるのよ? それを元に機械兵を造れば、今よりもっと質の高いモノが造れるの。技術部の連中だって本懐でしょう? 他の冒険者だって、もっと強いヤツと戦えれば訓練が捗るじゃない」
「そうなんですけどね……わたしの説明では限度がありまして……ハイ」
怒涛の勢いで擬剣聖機械兵が爆ぜていく最中、サレンの弱々しい声が鼓膜を掠めた。
ここ一週間、朝から昼までS+相当に改修された機械兵と戦ってきたおかげで、周囲の会話も戦闘中に聞き取れる程度には余裕が出ていた。
今もこうやって、三方向から串刺しにせんと突進してくる三体から身を翻しつつ破壊し、翼を与えられた機械兵の猛威もなんなく捌いている。
「まあもう少しの辛抱よぉ。アルマに与えた罰は明後日で終わりだからぁ♡」
「常人なら一日で逃げ出すような罰ですよね……」
「常人じゃないからいいの。それに、嫌なことを押し付けないと罰にならないでしょう?」
「ごもっともです……」
「それに、あなたもうれしいでしょお?」
「え?」
「ここ一週間、あの子ギルドに通い詰めじゃなぁい? 顔を合わせる回数も増えて、サレンの頬が緩んでるのバレバレなんだからぁ」
「―――」
「残念ねぇ。カティアちゃんと付き合っちゃうなんてえ。でも大丈夫、いつかチャンスが訪れるわぁ。私に任せてね☆」
……とりあえず聞かなかったことにして、俺はラスト一体の擬剣聖機械兵を粉砕した。
「お疲れ様ぁ、アルマ。喉渇いたでしょう? 一緒にお茶しましょ? もちろん、サレンも一緒にね♡」
「ま、マスター……っ」
頬を真っ赤に染め上げたサレンがエクセリーヌさんを睨むように見上げた。
ここ最近で、すっかりサレンもエクセリーヌさんを相手に遠慮がなくなってきていた。
「んもぅ、かわいいわあサレン。あなたの恋、密かに応援してるからね?」
「全っ然密かになってませんから! やめてください本人の前でそういうこと言っちゃうの!」
「なんなら訊いてみればいいじゃない? わたしのこと、どう思ってるの? ってぇ」
「前言撤回しないでください! 密かにお願いします! わたしは日陰の女でいいんですぅ!!」
とうとう目に涙を溜めて、エクセリーヌさんの胸をパタパタ叩きはじめるサレン。しかし、攻撃はふくよかな風船に押し返され、サレンは惨めそうに唇を噛んだ。
流石に可哀想だな。
とはいえ、俺自身もさっきの話を聞いてしまったワケで。
彼女に特別な感情を抱いてなかったとしても、今さら知らないフリができるほど演技に優れてはいない。
今も若干、挙動不審になっているのが自分でもわかる。水筒に口をつけたり、外したり。擬剣聖機械兵の残骸に目を移したり、カティアに目を移したりと―――え。
「――か、カティ? な、なんでここに……?!」
「? 何でそんなに挙動不審なのよ」
「い、いや……別に? なんでもないけど?」
「そう? まぁ、いいわ。――これ作ってきたんだけど……たべる?」
「え? マジ? 弁当? マジ?」
「マジよ」
「あらぁ、残念。愛妻弁当ですって、カティアちゃん。――どう? サレンはあの子に勝つ自信ある? アドバイスはいる? ねえ、どうなのぉ?」
「もうやめてくださいぃぃッッ!!」
「なに、あれ。なんの話?」
「いや……色々、プライベートな話だから。俺は知らないよ?」
カティアからバスケットを受け取りながら、俺は頬を引き攣らせながら小首をかしげた。
後ろから聞こえてくるサレンの悲鳴に胸中で手を合わせつつ、俺はカティアの手を握って訓練所を後にした。
「あーん」
「いや、たべれるって」
「彼女は彼氏にあーんするって聞いたけど」
「それも噂か?」
「んーん。エルから訊いたわ」
「仲良くなったようで俺はうれしいよ」
「あーん」
「……はい、カティ。あーん」
「ん……」
差し出してきたゆで卵の片割れを逆にカティアの口へ誘導する。カティアは恥ずかし気もなく口に含むと、無言で食えと圧力をかけてきた。
「……いや、まあ美味しいけどさ」
パサパサするゆで卵を咀嚼して、飲み込む。
顔が暑くなってきた。
「なに恥ずかしがってるの? もう付き合って三週間よ」
「まだ三週間なんだよ。うれしいけど人前だと恥ずかしいし……わかるだろ?」
「人の目線を気にしたことなんてないわ」
「噂に翻弄されてたヤツがよくいうぜ」
「あなたがでしょ。わたしは別に気にしてなかったわ。くだらないって一蹴すらしてたし……知ってるでしょ?」
「どちらかというと、周りがつっかかってきたぐらいで、俺は気にしたことないぞ?」
「強がらなくていいわよ。わたしの前では素直になりなさい。どんなあなたでも、受け止めてあげるから……昨日のように」
「……言ってて恥ずかしくないの?」
「思ったことを言っちゃうのがわたしよ。今さら曲げる気なんてさらさらないわ」
「そうだけどさ……」
別に悪いことじゃないんだけどさ。
ほら、ここってギルド内だし。
昼頃だから人の数は多くないけれど、決して少なくないワケで。
「やっぱり付き合ってたんだ……私の癒し筋……っ」
「付き合って三週間で夜までしてんのかよ……やべ、ムラムラしてきた」
「Sランクカップルって素敵ね……! 私たちも、ああいう素敵なカップルになりましょう?」
「あ、うん……でもそれ、俺じゃなくって彼氏に言ってやれよ」
「きのう別れた」
「三十三人目の彼氏にはならねえからな俺……」
聞き耳を立てていた連中が、ひそひそと何やら噂している。一部、やべえ女に迫られている冒険者がいるけれど、俺たちとは全くの無関係だ。
「そういえば、わたしたちの悪い噂、まったくもって聞かなくなったわね」
「ああ……そういえば。Sに昇格したからか?」
「それもあるけど、S級ダンジョンの踏破に神霊討伐。『光の騎行』の抹殺等々……色々とおひれのついた噂が、わたしたちの噂をかき消しているのよ」
約二週間前、俺とカティア、シャルルにエルメェスで踏破したダンジョン『篝火の霊廟』。
嬉々として出張ってきたエクセリーヌさん率いるギルドの調査結果の末、ダンジョンはA級からS級に昇級。
冒険者ギルド史上、四人パーティでのS級ダンジョン踏破は初ということもあり、大々的に宣伝され、かつ噂が異常なはやさで王国全土に駆け巡った。
そして何よりも民衆——とエクセリーヌさん——を賑わせたのが、イフリートの魔石と神霊フレア・イグニスの黄金に燃え続ける魔石の発見。
ともにオーバーSの魔物であり、フレア・イグニスに至っては神霊にまで昇華された炎の精霊だ。かの勇者アムルタートでさえ倒しきれず封印したソレを、俺が倒したという噂は真偽もさることながら大いに騒がれている。
「俺は納得してねえけどな、フレア・イグニスの件。アイツが本気だったなら、倒せたかどうか怪しいし」
「それはわたしもよ。エルともう一人、他の誰かにお膳立てされた気がしてならないわ」
「……まあ」
「一人しか、いないのだけれどね」
多分、お互いの脳裏に浮かび上がっている人物は同じだろう。
シャルル・ココ。
俺の魔術学園時代の後輩で、稀代の天才回復術師で……手のかかる、妹みたいな少女。
ダンジョンを踏破したことにより、臨時パーティは解散。
それから二週間経った今、あの日から一向に、彼女からの音沙汰がない。
「……どこ行ったんだろうな、あいつ」
「……そうね」
朧げに覚えている、シャルルの微笑。
眩い光の中で見た、涙に濡れた笑み。
ダンジョンを脱出した後、忽然と姿を消したシャルルに、俺はまだ礼の一つも言えていなかった。
「あなたは……あの子のこと、どう思ってるの?」
真剣な表情で問われて、俺は……。
「――いいヤツだったよ」
と、それだけ答えた。
「……そう。また、会えるといいわね」
おもむろに空を見上げたカティア。その視線を追うように、俺も空を見上げた。
雲ひとつない晴天だった。
鮮やかで、強く明るい蒼天を見ると、否応なく思い出してしまう。
「……ああ。また……会えるといいな」
青碧の瞳と髪を持った、あの少女のことを。
「――え? 誰にデスか?」
「……?」
「……?」
「あれ? 聞こえてるデス? 先輩? シャルデスよー? カティアさんも、なんデスかその目。死人でも見たかのような―――ってええええ!? なんデスかその涙!? って、先輩!? 無理デスよシャルとの間にある二メートルは決して覆らないデス!? ちょ、カティアさんもなんでそんな優し気な表情で泣いてるんデスか!? たった二週間会えなかっただけでこんな……先輩!? だめデス、どうしてこんなところで《天鎧強化》をっ!? 危険な状況なら制約は消える? だからって――」
それからしばらくの間、俺たちは再会の喜びを分かち合った。
「おもしろかった!」
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