043 篝火/魔人②
「《天鎧強化》―――参段階」
出し惜しみを望めるほど安易な敵ではないことだけは確かだった。
イフリートの咆哮を置き去りに駆け抜けた俺は、全身に生じる負荷に骨が悲鳴をあげるのを聞きながら、未だ余裕綽々と仁王立つフレア・イグニスへと肉薄する。
輪郭の掴めない、炎の化身。
彼我との距離が三メートルへと到達した時点で肉が焼け、服が発火する。
拳の射程距離である二メートルに足を踏み入れた瞬間には、眼球が溶け視界が消えた。
けれど、それほど存在感が色濃ければ、視覚など必要ない――ッ!!
「〝全力殴り〟――ッッ!!!」
「――問おう。何故、余に向かってくる?」
抜き放った拳に、ヤツを打った感触はなかった。
代わりにとも言うべきか、荘厳たる男の声音が鼓膜に響く。
「かの勇者が施した封印を解き、その矮躯で何ゆえ単身向かってくる? あの娘の言葉を借りるなら――〝神霊とは、人間が戦って勝てる相手じゃないの〟」
シャルルに授けられた加護が瞬く間に俺の眼球を再生させ、衣服以外の損傷を完璧に癒してみせた。
しかし、秒刻みで俺の肉体を熱が蝕み、焼かれていく痛みと並行して苦痛を和らげる光が俺を包む。
「声真似なんてくだらねえ特技を見せびらせる暇があるンならよォ……ッ」
繰り出す右脚が高熱を帯びて首を刈る。
凄まじい衝撃が壁に亀裂を生み、フレア・イグニスの炎体が霧散した。
「俺を焼き殺す算段でも見つけてみせろ……ッ!! 先輩の声が聞こえてたンなら思い出せ。俺がなんて言ってたのかをよォォッッ!!!」
「――その気概、買ってやってもいいが……卿よ。わからないはずもない。余はただ、こうして立っているだけで卿を殺せるのだ」
事実、フレア・イグニスは当初の姿勢から一ミリたりとも動いちゃいない。
対して、一貫して攻めの姿勢を崩さないこの俺が、秒単位で再生と焼失を繰り返していた。
「封印されて百年余り。この世に生を受けて千年といったところか。もはやこの身は、ただの篝火に過ぎん。暗闇を僅かに照らすだけの、矮小たる火よ」
年老いたのだと。
長く生きていると、そういう気概も失せると――俺の拳撃を凪ぐ風のごとくあしらって、嘆いた。
「そも、対等ではない。卿がどれだけそよ風を撒き散らかそうと、実体のない余を殺すことはできない。あの娘の言葉を借りるなら――」
「神霊は、殺すモノではない。鎮めるモノなのだ――ってか? うるせえ、俺と闘え」
「――呆れるぞ、人間。腐っているのか、その脳みそは」
回し蹴りがフレア・イグニスの胴体を貫き、まるでマグマの中に足を突っ込んだかのような想像を絶する焼痛に目が眩む。
それでもシャルルが癒してくれる。
アイツの魔力が切れるその時まで、俺はどんな痛みにも殺されねえぞ。
「神霊ってのは無駄口が多くて呆れるぜ。腐ってるのはテメエの精神だろ。取るに足らん雑魚相手だからってよォ……全力で殺しに来てンだから相応に闘えよ。それが敬意だろ、信仰されるばかりで忘れたか?」
激痛に奥歯を噛み締めて、硬く握りしめた拳を振り抜いた。
「人間は――」
やはり、とでも言うべきか。
フレア・イグニスは、そよ風を寿ぐ清々しさすらみせて、嘲笑うでもなく冷笑するでもなく、聞き分けの悪い子どもに言って聞かせる保母めいた声音で宣った。
「人間は、蟻を敵と認識するのか? 蝿を好敵手として、正面切って手合わせ願うのか? ――何か勘違いしているようだから、卿に神霊の知恵を教授しよう。これもまた、先人ならぬ先霊の勤めであるのなら」
腹の底から湧き上がってくる怒り――勇者パーティを理不尽な理由で追放されたあの瞬間とは比べものにならない怒りが、黒紫を瞬かせた。
「――土俵に上がってこい。同格と認めるには甚だか弱き、矮小たる存在よ。篝火たるこの身に焼かれるようでは、卿の真意は届かんぞ」
「舐めてんじゃねェぞォォォッッ!!!!」
ギアが上がる。
憤怒と共に黒紫の質量が引き上げられ、同時に骨身に加わる圧が増す。
「――《天鎧強化》・肆段階――ッッ」
*
悲鳴を上げる骨肉を無視して、荒れ狂う黒紫ごとフレア・イグニスを殴る。
「まだだ。まだ足りん。遠く及ばない。焚き付けるようで悪いがな……余が猛威を振るったあの時代と卿を比較すると、卿の強さなど一介の騎士公にも劣る」
「――――ッッッ!!!!」
空間が歪む。地面が割れ、粉砕し、ダンジョン全体にアルマの憤怒が轟く。
震度に表せば、七はくだらない。
常人ならば立ってすらもいられない極大の揺れの只中を、震動よりも早く拳を、蹴りを抜く。
しかし、相手は実体のない炎。
煙を殴るのと道理は同じで、マグマに匹敵する高熱量に手足を突っ込んでいるぶん煙よりタチが悪い。
加えて、
「いい加減、理解した方がいい。この世には、決して手の届かぬ領域というものがある。才能があるだけでは至れない、素質があるだけでは到底及ばない……優れているといえど届かぬ、真に超越せし者のみが視られる境地がある。
――卿では届かんよ。その自負、自信、気勢たるや目を見張るものがある。あるが、ただそれだけ」
攻撃が通らないのをいいことに、おまえは弱いのだと、文字通り身を挺してアルマに叩きつける。
「咆えても、呻いても、願ってもまだ足りん。奇跡すら踏み入る余地もない高みを――卿よ。人間よ。理想と現実の区別もつかぬ童よ。
知るといい――荘厳たる炎に身を焦がして、魂に刻みつけよ」
「うる――せえ」
さっきからベラベラと高みから偉そうに咆えやがって――
何度再生したのかもわからない左拳を、もはや慣れ親しんだ超高熱の中へ叩き込む。
痛い。痛い。痛い――だが、それ以上に、咽び泣いてしまいそうなほどに、心が痛かった。
「俺は強い――そう口に出して、真正面から叩き潰して屍を確認しないと、俺はそれを認識できない」
根本は、あの日から何も変わっちゃいない。
弱いままだ。
いくら筋肉を搭載し、己を魔術で強化しようとも、一度植え付けられた劣等感は――無能というレッテルは、そう簡単に剥がれない。
「俺は強いンだと咆哮し、眼前の敵へ喰らいつくことでしか〝強さ〟を実感できない――」
己は弱いということを、誰よりも理解しているから。
咆えて気勢を發し、俺は強いと言い聞かせ誇ることでしか、己を認められない。
「俺が弱い? 格が違う? 俺じゃあ届かない?」
そんなこと、俺が一番知っている。
「指咥えて黙ってろなんて言ってくれるなよ」
挑むことに意味がある。
頑張って倒せるような相手に挑んでも、得られるものなんて何もない。
相手の格が上だからこそ。
死を賭して、命を燃焼させてこそ掴み取るソレに、価値がある。
「誇らせてくれよ、おまえに挑んだ俺を。そして誇れよ。おまえ——きょうが命日だぜ?」
「戯けが、まだそのような世迷言を――」
「わっかんねえかな……」
黒紫が密度を高め、更なる強化に奔流を轟かせる。
「たかが神霊が、超越気取って上から見下ろしてんじゃねえぞクソが――いいぜ、引き摺り落としてやる」
土俵に上がってこいと言った。
違う、おまえが俺の土俵に上がって来い。
挑戦者が甚だしい? 知らんよ、くたばれ。
「長話が過ぎるぜ……だから俺に、吠え面かかされちまう」
「―――」
握りしめた拳に紫電を迸らせ、限界を超えた暴威が轟く―――
「予感がするぜ。いいや――確信だ」
この次の一撃は、当たる――
理屈はわからない。
だが、感じる。
この一撃は、必ず当たると――
肆段階から伍段階へ至る、この左拳が神霊を討つのだと――
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