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第21話 牢


 聞いた言葉に、ざっと風がざわめいたような気がした。


「なんですって!?」


 ――ハーゲンに薬を盛られた!?


 思わず耳を疑う。


 まさか、自分を守るために、協力者であった相手を殺したというのか!?


 どういうことかと身を乗り出そうとしたが、それより早くにリーンハルトがイーリスの前に立つ。


「どういうことだ?」


 右手で、イーリスが残酷な話題を直接尋ねることになるのを防ぎながらも、グリゴアを見る目は冷たい。


「ハーゲンの牢の監視は厳重にと俺は言っておいたはずだが?」


「これに関しては、完全な私の手落ちです。ハーゲンを直接にではなく、牢へ運ぶ食事を狙われました」


 叱られることを覚悟していたのか、グリゴアが深くその身を折り曲げていく。


「食事? 牢の食事は、監獄用の厨房で作っているはずよね?」


 確か王宮で働く下級職の者達のまかないを作る厨房のすぐ近くにある。囚人の口封じを怖れて、常に兵士達が見張りをしているし、新しい者を雇うにもきちんとした身元調査が行われているはずだ。


「はい、ですが。それを逆手に取られました」


 よく見知った兵士の服装を着た者が、監獄のハーゲンへ食事を運んでいた男に声をかけたらしい。


「いつもと料理の色が違うな」


「そんなことはありませんよ。いつも通りです」


「そうか。だが、いつもよりパンが茶色いような気がするが」


「気のせいですよ! そりゃあ、普段より焼き色が濃いかもしれませんが」


「そうか? ならば念のため匂いを嗅いでみるが」


 言いながら、兵士はパンを手に取ったらしい。


 両手で持ち上げ、鼻の側で匂いを確かめてみる。


「ふん。確かに変な匂いはしないな。焼きすぎただけか、行ってよし」


「食事を運ぶ係の男は、その言葉にほっとしてハーゲンに食事を届けたそうです。ですが、そのパンに……」


 牢屋に食事が運ばれて、いつもどおり元気のない様子でトレイを取り上げ、パンを口にしたあと、牢の中にいたハーゲンは呻いて倒れたらしい。


(やられた!)


 かっと頭の中に、血が巡ってくる。


(両手に薬をつけていたのだ!)


 そうすれば、その兵士が触っただけで薬を盛ることができる。それも牢屋に勤める者の目の前で。


「事件後、すぐにその兵士の行方を捜したのですが、部署の違う兵士の一人が、身ぐるみをはがれて気を失っているのが発見されました」


「それでハーゲンの容態は!?」


「イーリス」


 リーンハルトが制しているが、どうしても気になって仕方がない。確かに、自分を騙して殺そうとした腹の立つ相手だ。


 だけど、裁判を受けることすらなく、利用されただけなんて――。


 しかし、グリゴアは少しだけ目を伏せた。


「まだ生きてはおります。お会いになりますか?」


「会うわ!」


 急いで、グリゴアに案内をさせて、王宮の北にある一角へと向かう。


「話をできる状態ではございませんが」


 それでもかまわない。気がせくまま、グリゴアに案内させて向かったのは、王宮の北西の端だ。


 古い塔や建物が建ち並ぶ一角で、昔から罪を犯した貴族達が収監されてきた。


 ここで判決を待ち、やがてそれぞれの刑場や牢獄へと移されていく。


 その歴史を物語るように、法務省の管轄になっているこの建物は薄暗い。


 法務省の入り口から見える範囲には、王宮の一角であることを示すかのように、厳粛な空気を纏った部屋が並んでいるのに、その奥に続く扉を開けると、一転して現れたのは煉瓦造りの古い通路だ。


「この先は、君は入らないほうがいい」


 少しだけ、リーンハルトが眉を顰めながら、こちらを見つめてくる。


 今まで鷹の羽根が舞う様子をタイルで描かれていた床とは、なにもかもが違う雰囲気だ。どこからか湿った空気が流れてきそうな光景に、思わず喉がごくりとなってしまうが、ぎゅっとリーンハルトの腕を持ちながら頷く。


「大丈夫よ。前世では、色んな刑場の跡地にも行ったのだから――」


 そうだ。北海道にある近代の刑務所の博物館にも行った。雪に覆われていて、当時の刑務所生活の過酷さを感じたものだったが――。


 きいっと金属を打たれた扉が開いていく中は、王宮のこれまでとすべての空気が違う。


 外から明かりは入ってきているのに、黄土色の煉瓦で作られたここの空間は、どこか薄暗く感じてしまう。窓が開けられるように作られていないせいだろうか。わずかな明かり取りが天井近くにあるが、全体的に空気が重く澱んでいるかのようだ。


 かつん、かつんと、ひどく大きく靴の音が響く。


 姿は見えないのに、どこからか人の呻く声が聞こえてくる気がする。そして、すすり泣く微かな音も。


「こちらの部屋にございます」


 薬を盛られても、万が一逃げ出されては困るからだろう。案内していたグリゴアが、分厚い鉄の扉の前で足を止めると、側の牢番にその扉を開けさせた。


「入っても大丈夫なのか?」


「なにもできない姿ですので――」


 リーンハルトに答えるグリゴアの言葉に覚悟を決めながら入ると、そこには意外にも苦しんでいるハーゲンの姿はなかった。


 ただ、牢の中に置かれた質素なベッドに横たわったまま、瞳を半開きにして口からわずかに涎をこぼしている。


「これは……!」


 苦しんで薬と戦っている姿以上に、頭を殴られた気がした。


「見てのとおりの状態です。意識と命はありますが、話すことも、動くこともままなりません」


 ――まさか、こんな姿にされてしまうなんて!


 これでは、まさに生きたまま死んでいるのも同じ状態ではないか。


 呼吸はしているのだろう。微かに胸が上下しているが、栗色の瞳はもう焦点を結んではおらず、ただ虚空のみを見つめ続けている。


 そばかすの下で親しみのある笑顔を浮かべていたのに!


 今はただ、その口はわずかに涎を垂らしたまま、何を呟くのでもなく開き続けている。


「ひどい……」


 ぎゅっと側にいるリーンハルトの袖を握った。


 裁判になれば、イーリスを殺そうとした罪で、死刑になる運命ではあった。


 王族を殺そうとしたのだ。リエンラインの法律に照らして、そうなる未来ではあったとしても、まだ生きている間から、こんな尊厳を奪われることがあってよいはずがないのに――。


「どうして……」


(かつての自分の部下にこんなことができるの?)


 ましてや、昔の誼でなんとか元の職場に戻れないかと自分を頼ってきた相手なのに――。


 強くリーンハルトの袖を握ったまま、怒りと悲しみで体が震え出してくる。


「口封じだろうな」


 しかし、側で苦々しく呟いたリーンハルトの声にはっと顔をあげた。


「口封じ……」


「ああ。ハーゲンが一言証言すれば、ポルネット大臣の有罪を確定にできる。だが、逆に言えば、ほかには今ポルネット大臣を罪に問える有力な証拠がない状態だ」


「そうです。イーリス様が聞かれた内容についても、ハーゲンは一貫して供述を拒んできました。万が一捕まっても、話さなければ、死刑だけは回避させてやるとでも約束されていたのか――」


「それが、これ!?」


 冷静に話し続けるグリゴアに、思い切り振り返ってしまう。


「死ななくても、死んだのも同じだわ! こんな姿では――」


「ですが、本人が有罪で死刑になれば、一族の者も死刑になります。脅しとしては、効果的でしょう」


「だとしても――!」


 ぐっと、手のひらに爪が食い込むほど握りしめてしまう。


(ハーゲンは、絶対にこんな姿にされる意味だとは思っていなかったはずよ!)


 自分を殺そうとした相手だ。それでも、普段は、明るく年相応に笑っていた。


「すべて留守を預かっていた私の落ち度です」


 深く、これ以上身を折れないほどグリゴアが頭を下げていく。


「陛下。今進めていましたハーゲンの裁判については、いかがいたしましょう?」


 ちっとリーンハルトの舌打ちが聞こえた。


「こんな状態で進めても、罪に問えるのはハーゲン一人だ。後ろにいた反対派ごと罪に問わねば、無意味に証人を消すだけになりかねない。ハーゲンの意識が戻るまで中止だ」


「承知いたしました。では、ハーゲンの一族はどうしておきましょう? まだ幼い子供もいるようですが」


「え――」


 今、なんと言ったのか?


「そちらの執行も中止だ。ハーゲンの裁判が確定していないのに、一族だけ死刑にするわけにもいかないだろう。別の場所に移して収監をしておけ」


「はい」


「ま、待って!」


 今、リーンハルトとグリゴアはなんと言っていたのか。


 聞こえてきた言葉に、慌てて割って入る。


「幼い子供って――」


 では、先ほど聞こえてきた気がした泣き声は、その子供のものだったのか。


 しかし、グリゴアは慌てるイーリスの様子にも深く頷いているではないか。


「はい。ここに、一緒にハーゲンの一族も収容しておりますので」


 その中に、幼い子供もいるというのか――。これから死罪になるかもしれない一人の中に。


 雷に打たれたように体が震え、気がつけばイーリスは、リーンハルトが止めるのも聞かず、さっき泣き声が響いてきたほうへと飛び出していた。


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― 新着の感想 ―
[一言] うわっ、現代日本での生活に慣れてる身には、辛い。特に子供は…。イーリス、頑張って!
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