番外編 贈り物 (1)
その日、リーンハルトは机に向かい考え込んでいた。
こつこつと指で叩く机は、巨大な桜を削りだして作られた最高級品だ。
磨きこまれた温かな色合いが、王の執務室に似合う落ちついた雰囲気を醸し出している。だが、机を叩く指の音は、生憎とそんな空気を壊していた。ましてや、頬杖をついて目の前に置かれた複数の目録とにらめっこをしているリーンハルトの顔は、尚更だ。
「もうすぐ、アステリアス祭か……」
新年の諸々の行事も終わり、少しだが和やいだ空気が漂い始めている宮中。令嬢や若い子息らの楽しげな声も聞こえてくるが、それは無事に新年を迎えたという安心感からばかりでもない。
「今年は、どうしようか……」
ふと、机を見つめながら呟いた声に、先ほどまで仕事の手伝いをしていたグリゴアが、側で不思議そうに振り返った。
「どうされました、陛下?」
その声にこつと打ちかけていた指をとめて、視線を幼い頃の指導役に向ける。
「いや――もうじき、アステリアス祭だなと思って……」
「ああ」
その言葉で、リーンハルトがなにを考え込んでいるのかがわかったのだろう。
片眼鏡を持ち上げると、紫の瞳がふっと見守るように笑う。
「恋人や伴侶が、互いにプレゼントを贈り合う日ですからね。イーリス様へのプレゼントで悩んでおられるのですか?」
「ああ。なにしろ今までと違って恋人同士という立場になって初めてのプレゼントだ。少しでも良い物を贈りたいんだが」
「ちなみに、どのような品をお考えで?」
「それについて悩んでいる。できれば、イーリスが喜んで、俺にキスをさせてくれるような品が理想なんだが……」
なにしろ、これまでにしたキスは数えられるほど。できれば、このやり直し期間の間に、少しでも恋人としての実績を積んでおきたいのが本音だ。
だからと、意気込みに満ちて瞳をあげれば、かちゃりと隣で眼鏡を持ち上げる音が聞こえた。
「ほう――それは、実にわかりやすい前向きな目標です。参考までに、今までにお二人がされたキスの回数はいくらぐらいなのでしょう?」
「うっ……!」
嫌なところをつかれた。が、誤魔化すこともできない。
「三回……」
「は?」
「いや、四回だ! 結婚式のも入れて!」
「どっちでも似たようなものです。結婚して六年も一緒に過ごしてきたのに、なんで片手の指より少ないんですか?」
「そ、それは……っ!」
いくら恋心を自覚するのが遅かったとはいえ、突っ込まれたら冷や汗しか出てこない。
(だって、側で見ているだけでドキドキとしたし……)
仲がよくないから、触るなんてとてもできなかった。もし嫌がられたらと勇気が出なかったのもあるが、近づくだけで心臓が早くなり落ち着かなかったせいもある。表情で心の内がばれたのか、目の前ではグリゴアが大げさに溜め息をついている。
「まったく……。それは、出会って二日目にはする回数でしょうに」
「待て、さも当然のことのように言っているが、なんで出会ってすぐなんだ? お前の観念では交際という言葉はないのか?」
明らかに前提がおかしい――と口にすると、なぜかグリゴアの方が不思議な顔をしているではないか。
「そんなのは、一目見て好きになればすぐに決まっているでしょう? 口説きながらキスをする。私と妻との経験では、出会い即交際です」
「前から思っていたんだが、なんで、お前の男女関係アドバイスは、いつもそう微妙に難易度が高いんだ……」
というか、それは状況によっては色魔と罵られるのではないか。思わず頭に浮かんだ言葉に冷や汗が出てくるが、いつも冷静な指導役は意に介した様子さえない。
「それで、今まではどんなプレゼントをイーリス様に贈ってきたのですか?」
「強引に本題に戻したな……」
唐突な話題の展開を感じたが、これ以上自分のキス経験値を追求されるのも避けたい。
しれっとしている指導役の態度にこれ幸いと、リーンハルトはイーリスに今まで贈った物に意識をむけた。
「うーん」と思い出し、額に指をあてる。
「これまでは、だいたい首飾りとかドレスとか」
「女性に贈る物としては、定番ですが悪くはありませんね。品は、イーリス様のご趣味に合わせて?」
「もちろん! イーリスは飾りの多いものが苦手みたいだから、最高級品質の中から、シンプルだが上品に見えるものだけを選んで贈った!」
「ほう」
騎士達に訊いて選んだだけあって、さすがにグリゴアも頷いている。だから、拳を握りしめて力説したが、グリゴアはかちゃりと眼鏡を持ち上げた。
「ちなみに、イーリス様の御反応は?」
「うっ……」
それを言われると、どうにも複雑な気持ちになってしまう。さっきまで力をいれていた拳が机に下がり、少しだけ瞳をさまよわせた。
「――それが、なんか微妙で……」
「ほう?」
「喜んではくれているんだ。ただ、歴史の稀覯本を贈った時は、すごく喜んでくれていたのに……なぜか、服や宝石になると、嬉しいけれど我慢しているみたいな表情で……」
(そうなると、今年もやはり歴史書しかないかなあ……)
別に歴史書が嫌なわけではないのだ。渡した時のイーリスの満面の笑顔は嬉しいし、すぐにページを開いて楽しんでいる姿は、本当に歴史が好きなのだとわかる。
ただ、さすがにそれを見せてくれるのが歴史書の時だけとなると、自分がプレゼントをしたから喜んでくれているのではないようで、なんとなく腹が立つ。いや、喜んでくれているのだから、自分も喜べばいいのだか、どことなく歴史書に負けたような気がして男心に複雑なのだ。
「うーん」
腕を組みながら、取り寄せた目録から図書のを広げるべきかと溜め息をついたが、目の前に立つグリゴアは眼鏡の奥から紫の瞳で、こちらを観察するようにじっと見つめてくる。
「ちなみに、イーリス様にはなんといって渡されました?」
え、っとその瞳を見つめた。
「それは――ありがとうと箱を受け取ってくれたのが嬉しくて……。渡して中を見るまでは、輝くような笑顔で眩しいから『俺の妻である王妃への品だ。気にせず身につけてくれ』と」
「減点です、陛下。いや、もう見事な零点評価を差し上げます」
「なんで!?」
驚いて立ち上がったが、グリゴアは大げさに首を振っている。
「そんなふうに渡されたら、誰だって王として王妃に贈るのが義務だからとしか思えないでしょうが!?」
「そんなことは――! 俺は、ちゃんと選んでいる間中、イーリスのことを思って!」
しかし、グリゴアは はああと溜め息をついている。
「歴史書が喜ばれたのは、それがなにを言わなくてもイーリス様のご趣味に合わせたものだとわかったからです! 普通こういう時は、『君に似合うと思って選んだんだ』とか『君につけてほしかったから』が口説き文句の定番でしょうが!?」
「そ……そんなずっとイーリスのことを考えていたと、ばれるようなことを言えというのか!?」
「言いなさい! 陛下はなにかにつけ伴侶に対して言葉が足りなさすぎます!」
「そ……それは、そうかもしれないが……」
まさかの断言にうろたえてしまう。
「でも、今更同じ物で大丈夫かもわからないし……」
むしろ、これで今までと同じだと思われて失敗したら、折角再婚にむけて動き出した二人の恋人期間がここで終了になってしまうかもしれない。
ちらりと宝石とドレスの目録に瞳をさまよわせた瞬間だった。
「まあ、好きな人が自分のことを想って選んでくれた品を、嫌がる人はいないとは思いますが……」
好きな人という言葉に、少しだけ頬が熱くなってくる。
「ちなみに、イーリス様は陛下からの服やアクセサリーは身につけられて?」
「それはもちろん! 俺との公式行事の時にはよく身につけてくれた!」
「完全に王妃への贈り物と思われていましたね……」
「えっ!?」
思ってもいなかったことに驚くが、グリゴアは既に諦観を極めた表情だ。
「まあ、いいです。今更過去は仕方ないですし。それよりも」
身を屈めるようにして、机に座っているリーンハルトの耳に近づいてくる。そして、そっと密談をするように、囁いた。
「折角の婚約期間なんですよ? 恋人同士という関係に戻ったのなら、この間にしかできないものを贈らないでどうするんですか?」
「というと? 普通の貴族達は、こんな時にはどんなものを贈っているんだ?」
なにか服やアクセサリー以外で、恋人同士にしかできない特別なプレゼントとかがあるのだろうか。 不思議そうに紫の瞳を見つめると、幼い頃からの指導役は悪巧みをするように笑みを浮かべている。
「そうですね。恋人になって間もない頃なら、デートの約束をとりつけるために、さりげなく観劇の鑑賞券をプレゼントするとか」
「ほう、デート……」
「そろそろ仲も深まってきた頃なら、更に関係を進めるために旅行に誘ったり。結婚するという覚悟があるのなら、婚前旅行なんてこの時期にしかできない超貴重品ですよ?」
「婚前旅行……!」
思わず、喉がごくりと鳴ってしまう。聞いたことはある。行ったと噂になった恋人同士は、絶対に周囲が結婚させたというあれだ。
「そうです。それにここまで関係を進めてしまえば、結婚しませんとは女性側も言えませんしね。いいですよー、恋人同士の間に味わう蜜月旅行」
そういえば、新婚旅行さえ近場のところへの訪問だった。当時は、代変わりや災害や色々あったせいだが、今聞く蜜月旅行という響きのなんと甘いことか。
旅先で、朝から夜まで二人きり――。
喉が続けて鳴りそうになるが、思わず浮かびかけた妄想を慌てて頭を振って打ち消した。
「わーっ! ダメだ! いくらなんでも、まだいきなりそこまでは……!」
「おや、されたくはないんですか?」
「いや、したい! すごくしてはみたいが……! まだ」
グリゴアが不思議そうに首を傾げている。
「言いだしたら、さすがにまだイーリスに逃げられそうな気がする……!」
「なるほど」
あまりの焦りっぷりに、二人の距離がそこまでは縮まってはいないと理解したのだろう。
「では」と明るく笑って話題を変えている。
「やはり、なにかイーリス様のお好きな物を贈られてはどうでしょうか? 貴女のことを考えて選んだのだとわかるようななにかで」
「――やっぱり歴史書か」
うっとつまって、また歴史書に三連敗と呟いているリーンハルトに、グリゴアが心底呆れたような顔をしている。
「歴史書以外で、イーリス様のお好きな物ってないんですか?」
「それ以外といっても――イーリスは贅沢品とかも使い方次第と思っている気がするし」
むしろ、金の使い道として購入している節がある。六年も一緒にいると、さすがに気がついた事実に、うーんと考え込んでしまう。
その様子に、グリゴアがすっと指を一本立てた。
「ならば、考え方を変えてみましょうか。陛下は、イーリス様のどういうところをお好きになったんですか?」
「どうって――」
考えたこともなかった。いや、そもそも恋心自体を自覚したのが最近なのだから、仕方がないのかもしれないが。
いつだったか――と思い出そうとすれば、やはり初めて会った日のことが、どれよりも鮮明に浮かびあがってくる。
初めて出会った日、幼いイーリスはルフニルツ王国からの馬車を、かしこまった様子で降りてきた。
白いドレスと広がる金の髪。異国からきた姫は、童話に出てくるように美しい容貌で、一瞬で瞳が吸い寄せられた。それなのに、表情は硬くて少しだけ顔色が悪い。
だから、少しでも緊張を解こうと、自分は手を差し出したのだ。
「やあ。遠くまで大変だっただろう? 俺がリーンハルト。これから君の夫になる相手だよ」
その瞬間、笑った彼女の笑顔のなんと明るくて綺麗だったことか。
「これから仲良くしよう」
なんてかわいらしいのだろう。
「ええ」
声も仕草も元気で、すごく愛らしい姫君だ。そう思ったのに、自分の手をとった瞬間、彼女の指先がカタカタと細かく震えているのに気がついた。
笑っているのに――本当は、不安なのか?
ひょっとしたら、必死で元気に見せているのかもしれない。だって、触れた指先はこんなにも冷たいままだ。しかし、触れたリーンハルトの温かさにほっとしたのか。手をのせてすぐに、彼女の指の震えは止まった。
だから、ぐいっと握ったのだ。
「おいで! この王宮で一番美しい花畑に連れて行ってあげるから!」
「きゃっ!」
手を握って突然駆けだしたのに驚いたのだろう。あがった悲鳴に、ほかの令嬢達のように転ぶか慌てさせてしまったかと焦ったが、振りむいてみたイーリスはなんと笑っているではないか。それも、今度こそ弾けるような元気な笑顔で――。
それが嬉しくて、そのまま西の庭園に連れて行くと、広がる白い花畑にすごく無邪気に喜んでくれる。
「すごい! 幸福草がいっぱい!」
「この花が好きなの?」
「うん、私が生まれた国のお城にも咲いていたの。小さい頃からずっとそのお庭で遊んで、私を送り出す時にもお父様とお母様と兄弟が、そこでピクニックをしてくれたから」
「そう」
きっと彼女は、この花の中で大きくなってきたのだろう。そして、リエンラインからの無理な縁談の申し込みで、半ば強引にこの国に連れてこられた。
そう感じると、広がる花の中に座る彼女に手元の花を取り、そっと一輪を差し出していた。
「君の大切な花は、この国にも咲いているよ。だから、きっと君もこの国を好きになっていけると思う」
「――うん」
瞳の先に、少しだけ涙を浮かべながら、幼い自分が差し出した花をそっと受け取ってくれた顔のなんと愛らしかったことか。
その記憶が脳裏から鮮明に甦ってくる。
「そうだ……。俺はあの時、彼女を守れるような男になりたいと思ったんだ……」
涙を浮かべながら花を受け取って笑っている彼女を。
(そして、イーリスが初めて俺から笑顔で受け取ってくれたのは――)
「あ……」
思い出した記憶に、慌ててがたんと椅子を立ち上がった。




