第4話 反撃の合図
王宮の東端にある離宮に入り、イーリスはようやく人心地をつくことができた。
「ふう、なんとか夜露をしのげる場所ができて助かったわ」
夜露などといってはいるが、それにしては上等だ。絨毯に置かれた椅子は、全て薔薇色で統一され、白い壁に彩られた室内を華やかに彩っている。白い壁を飾るのは、いくつもの絵画と、天井から伸びて施された蔦の装飾。それが、シャンデリアが光を弾く度にきらきらと金色に輝き、まるで王妃宮を小さくしたように優美な宮殿だ。
「とても美しい宮殿ですね。私はイーリス様にお仕えして六年になりますが、こんな建物があるとは知りませんでした」
心から感嘆したようにギイトが呟く。
「それは私も、同じよ。あなたが全部管理されているの?」
そう尋ねると、先ほど、突然木陰の小道から声をかけてきた青年は、穏やかな笑みを浮かべる。
「お気に召していただけて、幸いでした」
そして、ことんとイーリス達の前にお茶を差し出した。
「はい、私はハーゲン・ダスキシリングと申します。宮中省に所属しており、今はこちらの建物の管理を任されております」
宮中省――平安時代の日本でいう宮内省にあたる組織のことだ。宮殿内の建物の管理、食事、清掃、更には王族の治療や女官の管理までもを行う機関だ。
広い王宮には、イーリスでさえもまだ入ったことのない建物がいくつもある。
だから助かったと、少し赤みがかった髪の青年を見上げた。顔にそばかすがあるせいだろうか。にこっと栗色の瞳で微笑まれると、前世で見た同級生達を思い出す。
(それにしても――)
くるりと、前を振り向く。するとそこには、柔らかな紅茶の香りを前にしながら、ずーうんと落ち込んでいるリーンハルトの姿があるではないか。
「……折角、初めて一緒に暮らせると思ったのに……」
残念がってくれるのはありがたいが、やはりそれを企んでいたのかとつっこみたくなってしまう。
(本当に、なにを狙っているのやら)
これで本当に今日、約束通り離婚届けにサインをしてくれるのだろうか。
(なんか怪しいわ……)
とは思ったが、取りあえず今はやっと落ちつくことができた香りに、カップに顔を寄せた。ひょいっと横から、コリンナが顔を覗かせる。
「イーリス様。持ってきた荷物をお解きしたのですが、さすがに百日の間これだけでは足りません。女官に話し、今から王妃宮に行って、身の回りのドレスだけでも運び出してこようと思うのですが」
ぴくりとリーンハルトの肩が揺れた。
「コリンナ。あなたも疲れているのでしょう? それは、少し休んでからでも……」
「いえ、逆に早くに片付けてしまわないと気分が落ち着かないんです。お茶は、全部が終わってからゆっくりとギイトといただきますから」
ちょっと荷物持ちに借りますねと、側にいたギイトの腕を強引に掴んでいく。
「いたたた! そんな強引に引っ張らなくても!」
「いいから、一緒にいらっしゃい! まったく気が利かないんだから!」
真面目すぎるのも考えものなのよとコリンナがギイトの袖を引っ張っていくが、二人が出て行けば、必然的にリーンハルトと二人きりになる。
(いや、まだハーゲンがいるから! 厳密には二人きりじゃないし!)
しかし、なにを話せばいいのか。ぱたんと閉まった扉を追うように目を動かしたが、それと同時に今まで俯いていたリーンハルトが顔を上げた。
「王妃宮の女官か……多分、そろそろ戻っている頃だとは思うが……」
「うん?」
なにか変な呟きを聞いたような気がする。
「どういうこと? まさか、私が飛び出したから、全員解雇だなんて――」
「いや、拘束して全員牢屋に収監しておいただけだ。いざと言う時、君を追う手がかりになるかもしれないと思って」
紅茶を噴くかと思った。
「ちょっと! なにをさりげなく告白しているのよ!」
知らない間になんてことをしてくれているのだ! 叫んだのに、目の前にいるリーンハルトはイーリスに負けじとアイスブルーの瞳を見開いている。
「仕方がないだろう!? あの時は本当に焦っていたんだ! 第一、王妃が行方不明になる事態を防げなかった! これが家出ではなく、拉致や監禁だったら死罪ものの事態だ!」
殺していないだけ温情のある処置だと思えと告げているが、まさかここまで思い切ったことをしているとは思わなかった。
「どうしよう……王妃宮に入ってから、どんな顔でみんなの前に出ればいいのよ……」
「安心しろ。必ず君を連れ戻すつもりだったから、牢に入れたと言っても、本当に閉じ込めただけだ。拷問もしていないし、入れたのも豪華な寝床のついた個室用の部屋だ」
「ちょっと待って! それ絶対に政治犯用の牢獄でしょう!?」
罪を犯した貴族を閉じ込めたという――。
「君が再婚の約束をしてくれたあと、すぐに元の部署に戻すようにと伝令を出した。だから、そろそろ王妃宮の活動も元通りに戻っているはずだが」
「さては、それでさっき強引に王妃宮を開けさせなかったのね!?」
ひょっとしたら、まだ用意が整っていないかもしれないと思って。ぷいとリーンハルトは横を向いているが、その顔は間違いなく図星だ。
(こいつ! こんな事態にならなければ、そのまま黙っているつもりだったわね!?)
イーリスが出奔したことで、そんな処置を受ければ、これからは王妃宮全体がイーリスの一挙手一投足に敏感になるだろう。逃げだそうとすれば、間違いなく全力で包囲され、王に注進が走るのに違いない。
「知らない間になにをしてくれているの!」
「仕方がないだろう。こっちはそれだけ必死だったんだ!」
「だからって、これからどんな顔をしてみんなと会えばいいのか……」
「安心しろ。出した職員は、王妃宮に一端戻した上で、新しい人員と交替させた。ただ引き継ぎに時間がかかったかもしれないというだけの話だ」
それに、それを承知で残りたいという者は、きちんと最初の配置に戻したぞと腕組みしながら言われているが、あまり嬉しくはない。
(あああーもう! どんな顔をして、宮に戻れというのよ!)
百日の猶予ができて助かった。この間に、迷惑をかけたみんなに謝る言葉と、なにかお詫びの方法を考えておかねば。
思って俯いた時だった。
「大変です!」
突然、扉を開けて王妃宮に行ったはずのコリンナとギイトが駆け込んでくる。はあはあと息をついているのは、よほどのっぴきならない事態が起こった証拠だ。
「どうしたの!?」
慌てて椅子から立ち上がり、駆け寄った。
まだ息が整わないが、身を投げ出すようにして走り寄ったコリンナは、伽羅色の目でイーリスを見上げている。
「それが……今、王妃宮にいた者に話したら、イーリス様が使っていた物は、ドレス一枚といえど持ち出してはならんと、グリゴア様からお達しがあったと……!」
「なんですって!?」
まだ息が切れてうまく言葉をつなげられないコリンナにかわって、ギイトが続ける。
「王妃宮にあるものはすべて次代の王妃様が使われる財産。たとえ元はイーリス様の物であったとしても、国家予算で作った以上勝手にすることを許されないと――」
「あいつ……!」
きっとイーリスが逃げる時に、宮殿から物をほとんど持ち出していないことなど百も承知なのに違いない。その上で、そんなことを言いだすだなんて――。
(百日間着た切り雀にさせて、王宮のあらゆる公式行事に参加させないつもり!?)
いや、公式だけではない。非公式で開かれた夜会や茶会でも、決してリーンハルトのパートナーとして出席させないつもりだろう。
「でも……、それだけじゃないんです!」
ようやく息が整ったのだろう。苦しそうに繰り返していた息を少し静めて、コリンナが必死で言葉を絞り出す。
「王妃宮に残った女官の話によると――さっき、陽菜様がここに入れられたと!」
陽菜が、王妃宮に――!?
相手の意図など確かめるまでもない。
( では、どうしても次代の王妃に陽菜を据えたいのか)
姿を現してきた新たな不穏な空気に、ごくりと唾を飲み込む。
怒りで頭の中が、沸騰しそうだ。
(よくもやってくれたわね――グリゴア)
拳を強く握りしめるが、強すぎる怒りが逆に頭の中を冴え渡らせていく。
(私から王妃宮を取り上げて、陽菜を使って困らせるつもりでしょうけれど……)
はんと頭の中で笑う。
(生憎だったわね! 王妃宮についてなら、何年も暮らしてきた私の方が何倍も詳しいのよ!)
陽菜を王妃宮に入れたのが、あなたの運のつき――と、イーリスは焦るコリンナの前で、不敵に笑みを浮かべた。




