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うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい

バビロニアの王と割り切れないロールケーキ 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜

作者: 尾白景
掲載日:2026/01/31

 これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――




挿絵(By みてみん)

 ※


「……はぁ。計算しづらすぎるだろ、これ」


 日曜日の午前。

 暖房の効いた快適なリビングで小学五年生の俺、匠は算数の宿題を前に頭を抱えていた。


 今日の敵は“時間と単位の計算”だ。


「百円は十円が十枚。一キロは千メートル。全部『十』の区切りで進むのに、なんで時間だけは六十秒で一分、六十分で一時間なんだよ。全部百で区切ればいいのに……」


 シャーペンを投げ出し、椅子の背もたれにぐったりと体を預ける。

 窓の外は冬晴れだが、俺の心は土砂降りだ。


「十進法の方が絶対楽だって。なんでこんな中途半端な数字なんだよ。昔の人は意地悪だったのかな」


 ―――その時だった。


「匠。あなた、今、人類最高の知性を侮辱したわね?」


 背後から響いた冷徹な声に、俺はビクッと肩を震わせた。

 恐る恐る振り返ると、そこには異様な出で立ちの人物が仁王立ちしていた。


 姉の真綾だ。


 しかし、今日の格好はいつも以上に気合が入っている。

 身に纏っているのは、ざっくりとした生成りの麻布でできた、着物のようなワンピース。

 腰には、目の覚めるような鮮やかな青――ラピスラズリ色と言えばいいのか――の幾何学模様の帯が巻かれている。


「……なにその服。土嚢袋?」


「失礼ね。これは『カウナケス』と呼ばれたシュメールの神官服を現代風にアレンジしたものよ」


 真綾はふん、と鼻を鳴らして胸元を張った。

 よく見ると襟元や袖口には金色の糸で、無数のくさびみたいな文字が刺繍されていた。


 首からは大粒の青いビーズのネックレスを下げ、手には粘土板……ではなく、分厚いハードカバーの歴史書を恭しく持っている。

 まるで博物館の展示から抜け出してきたような『古代メソポタミア風・休日コーデ』で、彼女は冷然と俺を見下ろしていた。


「ね、姉ちゃん……侮辱って、ただ時間が計算しにくいなって言っただけで……」


「それが無知だというのよ! いい? 十なんて数はね、二と五でしか割れない貧弱な数よ。でも、四千年前にバビロニアの賢者たちが愛した『六十』という数はどうかしら」


 真綾は手に持っていた本をバサリと閉じ、俺の宿題プリントの上に叩きつけた。


「二、三、四、五、六、十、十二、十五、二十、三十……と、驚異の十二種類もの約数を持つ、宇宙で最も美しい『完成数』なのよ! それを証明してあげるから、ちょっとおやつのロールケーキ出しなさい」


「え、おやつ?」


 怒られるかと思ったら、急におやつの催促だ。

 言われるがままに冷蔵庫から三切れ分の長さのロールケーキを出すと、真綾は包丁を構えた。


 その袖口にある『ハンムラビ法典』の第一条が刻まれているらしい刺繍が、キラリと光る。


「いい、匠。これを私とあなた、そしてきなこの三人で分けるとするわよ。あなたの好きな十進法脳で考えると、全体を『10』とするわね。すると『10÷3=3.3333……』と無限に続いて美しくないわ。最後の一切れを誰が食べるかで、血で血を洗う争いになるのよ」


 真綾は眼鏡をクイッと押し上げ、鮮やかな手付きでケーキを切り分けた。


「でも、全体を『六十』と考えればどう? 六十割る三は『二十』。きれいに整数で割り切れる。だから円の角度も三百六十度なの。ほら、完璧な三等分よ」


 差し出された皿には、定規で測ったかのように均等なケーキが載っていた。


「……すげぇ。ミリ単位でぴったりだ」

「でしょう? 見て、この青。美しいでしょう?」


 真綾は自慢げに、胸元のラピスラズリ色のネックレスと、均等に切られたケーキを交互に指差した。


「メソポタミアではね、この青は『天空の破片』として黄金以上に尊ばれたの。六十進法という秩序もまた、星々の運行を測るために生まれた天空の叡智。つまり、このケーキは宇宙の真理そのものなのよ!」


「へぇ……(よく分からないけど、ケーキは美味そうだな)」


 俺はケーキを頬張る。うん、美味い。


 確かに、割り算に関しては姉ちゃんの言う通りかもしれない。十だと喧嘩になるけど、六十なら平和だ。


「わかったよ姉ちゃん。六十進法、意外と便利かも」


「素直でよろしい。じゃあ今日一日、我が家のルールはすべてバビロニア式……『純粋六十進法』に移行します! ついてらっしゃい!」


 美味しいケーキと、姉ちゃんの妙な説得力に釣られ、俺はうっかり頷いてしまった。


 この時の俺は知らなかったのだ。

 古代文明の階級社会の厳しさを。


 ◇


「姉ちゃん、おやつのポテチ持ってきたよ……あ、これも六十進法で分けるんだよね?」


 数時間後。俺は袋を開けながら確認した。

 さっきのケーキみたいに、きれいに半分こ(三十対三十)あるいはきなこを含めて三等分(二十ずつ)にしてくれるはずだ。


 しかし、真綾はソファで足を組み、麻衣の裾から覗く足を揺らしながら冷酷に言い放った。


「ええ。この袋には概算で六十枚のチップスが入っているわ。バビロニアの社会階層に基づいて分配しましょう」


「しゃかいかいそう……?」


「この場のルガルである私が全体の二分の一、つまり『三十枚』。次に、神に仕える神官階級であるきなこが全体の三分の一、『二十枚』」


「……え、ちょっと待って」


 嫌な予感がして計算する。三十足す二十は、五十。


 残りは――――


「そして、平民である匠。あなたは残りの六分の一、『十枚』よ」


「きなこより下かよ!!」


 俺の抗議などどこ吹く風。真綾は優雅にポテチを口に運び、きなこには犬用のボーロを二十粒、皿に入れてやった。


「ワフッ!」


 きなこが姉ちゃんを讃えて、全力で尻尾を振っている。


 俺は手元の十枚(しかも割れた小さいやつばかり)を見つめ、涙目で齧った。


「……文句があるなら出世なさい、匠。私の袖に刺繍されたハンムラビ法典にも、身分による扱いの差は明記されているのよ」


「くそぅ……いつか下克上してやる……」


 姉ちゃんの言う「六十進法による平和」とは、上の身分の者にとっての平和だったらしい。


 ◇


 散歩(一八〇〇秒間の行軍)を終えて帰宅した頃には、すっかり日が暮れていた。


 ポテチ十枚しか食べていない俺のお腹はペコペコだ。


「お腹すいた……姉ちゃん、晩ごはんは?」

「任せなさい。今日はバビロニアの豊穣を祝う炊き込みご飯よ」


 真綾は自信満々にキッチンに立った。

 カウナケス風の衣装の上からエプロンを締め、気合は十分⋯⋯だったのだが、そこからが長かった。


 炊飯器の前で、姉ちゃんがブツブツと呪文のような独り言を呟きながら固まっているのだ。


「ええと、お米二合は……約三六〇ミリリットル。古代シュメルの単位『シラ』は約一リットルだから……〇.三六シラ?

 いや待って、アッカド期の度量衡改革前だと一シラの容量が都市によって違うから、ラガシュ市の基準で再計算すると……」


 計量カップを持った手が震えている。


「水加減も重要よ。容積の比率を六十進法の分数で導き出し……表面張力の誤差を考慮して……」


「姉ちゃん、普通に目盛り見て入れればいいじゃん!」

「ダメよ! 現代の目盛り(十進法)に頼ったら、神聖な儀式が汚れるわ!」


 真綾は頑なだった。

 ラピスラズリ色の帯を締め直し、真剣な眼差しで電卓と歴史書を交互に睨みつけている。


「古代の料理人は、感覚ではなく星々の運行と同じような厳密な計算で煮炊きをしたはず……ここで妥協すれば、マルドゥク神の怒りに触れるわ」


 結局、姉ちゃんは十分(六百秒)以上悩み続け、ようやく「ここだわ!」と叫んで水を入れ、スイッチを押した。



 ―――さらに数十分後。


 ピーッ、と炊飯完了の音が鳴る。

 俺たちは期待を込めて炊飯器の前に立った。

 いい匂いはしている。匂いだけは。


「いざ、開帳!」

 パカッ。


 湯気と共に現れたのは、ふっくらとしたご飯……ではなく。


「……なにこれ。おかゆ? いや、のり?」


 そこには、水分を吸いすぎてドロドロに溶け崩れた、茶色い粘土のような物体が鎮座していた。


「……計算上は完璧だったはずよ。たぶん、古代の水は現代より粘度が高かったのね」


「そんなわけあるか!」


 ベチャベチャの炊き込みご飯を前に、真綾は遠い目をして呟いた。


「古代の謎は深まるばかりね……」


 その横顔は博物館の展示物というより、ただの料理に失敗したポンコツ姉貴だった。


 俺たちは無言で、それを「古代バビロニア風リゾット」だと思いこんで食べることにした。


 味付け自体は悪くなかったのが、唯一の救いであった。


 ◇


「ふぅ……ひどい目にあった」


 夕食後、俺は再び算数のドリルに向かった。

 平民扱いされ、ドロドロのご飯を食べさせられ……六十進法生活はこりごりだ。やっぱり現代の十進法で生きるのが一番いい。


 そう思って問題を解き始めた、その時だ。


『時速4kmで15分歩きました。進んだ距離は何kmですか』

 いつもなら「ええと、15分は時間の何分の一だ?」と悩み、分数にするか小数にするかで迷うところだ。


 けれど、今の俺の頭には、昼間に見たロールケーキの断面図が浮かんでいた。


 そして、姉ちゃんが言っていた言葉が蘇る。


 ―――全体を『六十』と考えれば、きれいに整数で割り切れる。


「……15分は、60分の4分の1。0.25時間。――なら、これに時速4を掛けて……1kmだ!」


 一瞬だった。


 数字がパズルのピースのようにカチッとはまる。

『1時間40分は何分ですか』

「1時間は60分。40分は……そのまま足して、100分」


『20分は何時間ですか』

「60分の20だから、3分の1時間」


 ――読める! ――――読めるぞ!


 姉ちゃんに散々「秒」で換算させられたり、ポテチの枚数で分数を叩き込まれたおかげで『60』という数字の塊が、手にとるようにイメージできるのだ。


 12も、15も、20も、30も。全部、60の友達だ。


「……すげぇ。俺、時間の計算だけは天才になってるかも」


 俺は驚いて自分の手を見た。

 シャーペンが止まらない。面倒くさかった計算が、今はバビロニアの粘土板に文字を刻む書記官のようにスムーズに進む。


 ふとキッチンの方を見ると、真綾がきなこと遊んでいる姿が見えた。


 青い帯をなびかせ、何かを熱心に語りかけている。


「次はエジプト式分数に挑戦しましょうか~『ホルスの目』を使った計算は美しくてよ」


 なんて物騒なことを言っているのが聞こえた。

 きなこは「ご飯さえくれれば何でもいいよ」という顔で尻尾を振っている。


 俺は苦笑いしながら、ドリルの最後の答えを書き込んだ。


 古代の服を着て、変な理屈をこね回す姉ちゃん。

 でも、そのおかげで俺の苦手意識が一つ消えたのも事実だ。


「まあ、テストでいい点取れるなら、たまには付き合ってやってもいいかな」


 少しだけ大人になった俺(平民)は、リビングのソファでくつろぐバビロニアの王に向けて、小さく感謝したのだった。


本作をお読みいただきありがとうございます。

お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。


連作短編『うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい』シリーズは複数公開していますので、そちらもご一読いただけましたら幸いです。

次回は02月07日(土曜)17時30分に投稿いたします。


【匠の「その後」の物語はこちら!】

本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?


匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!

本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。


ぜひ合わせてチェックしてみてください!

『転生式異世界武器物語』

https://book1.adouzi.eu.org/n3948lb/



※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。

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― 新着の感想 ―
最初の問題、進んだ距離を問われてるのに、出ている答えが0.25というところで、答えが間違ってるような? それともわざと、そういう書き方にしたのかな? と、疑問に思い、物語から意識が逸れました。 …
控え目に言って天才でした。 「無数の楔くさびみたいな文字が刺繍されていた」これって古代メソポタミアのキイプですよね?紐の結び目を駆使した文字形式の一つ。まさか、ここにきてなろう系でキイプに出逢おうとは…
お姉様の英才教育がすごいwww そのおかげで、匠くんが異世界でもたくましく生き残って行けていると思うと、 感慨深いものがあります……!笑
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