第26話 眼鏡×眼鏡
滑らかながらも素早いフットワークで、露店の軒先に近寄るマヤ。
彼女は牛の頭骨をかたどったブローチを手に取り、唇の端を吊り上げた。
「マヤ。その禍々しいアクセサリーは、いったい何なんだ? 【魔神のエンブレム】とか、言ってたな」
「旦那様。私は魔導書で、読んだことがあるのです。これは、強力な特殊効果を秘めたブローチでして」
特殊効果の部分は本当だが、魔導書で読んだというのは真っ赤な嘘である。
マヤが――神崎真夜が【魔神のエンブレム】の存在を知ったのは、乙女ゲーム「セイント☆貴族学園」をプレイしてのこと。
宮廷魔導士候補の攻略対象キャラがいるのだが、そのルートで出てくるアイテムだった。
「ふふふ……。この【魔神のエンブレム】を使えば、私はさらなる力を得ることができる」
「おいおい、マヤ。すでに君は、莫大な魔力を持っているじゃないか」
「全然満足しておりません。あの……旦那様?」
「まさか……。お詫びの贈り物は、そのブローチがいいとか言い出すんじゃないだろうな?」
「ダメですか?」
マヤは手の平を組み合わせ、おねだりのポーズを取った。
ついでに前かがみになり、豊か過ぎる胸を腕で寄せ上げ強調する。
「わかった! わかった! 買ってやるから、そのポーズはやめてくれ! 周囲の男達に、谷間を見られるだろう!」
「あら、旦那様。独占欲ですか? 可愛いですね」
「怒るぞ? ……店主。このブローチは、いくらだ?」
カインが値段を尋ねると、たったの銅貨3枚だという。
なんか不気味だし、手に取っただけで体調が悪くなるような気がするから、安く売り払ってしまいたいそうな。
「旦那様、着けていただけますか? 心臓の近くに」
「ば……馬鹿を言うな! 着ける時、俺の手にマヤの胸が当たってしまうじゃないか!」
「ふふふ……。それぐらいなら事故。女に現を抜かしたことには、ならないでしょう?」
「君も淑女なら、もう少し恥じらいを持て!」
「旦那様は、その方が萌えるのですね。承知いたしました」
顔を真っ赤にして、照れながら怒るカイン。
そんな夫をてえてえと愛でながら、マヤは自分で左胸に【魔神のエンブレム】を装着した。
「……ぐっ!」
装着した瞬間だった。
マヤは地面に崩れ落ち、両手と両膝を突いてしまう。
「マヤ!? どうした!?」
「お客さん!?」
カインと露店の店主がうろたえる。
「顔色が、真っ青じゃないか!? やっぱりこのブローチは、呪いのアイテムか何かなんだな? すぐに外すんだ!」
「いいえ、外してはダメ。これでいいんです。……ふ……ふふふ……。……もの凄い脱力感。期待していた以上の効果だわ」
気遣う夫を手で制し、マヤはゆらりと立ち上がった。
しかしフラフラで、今にも倒れそうだ。
「俺が屋敷まで……いや。レイチェルが、近くにいるんだろう? 彼女を呼んで、運ばせる」
カインは悔しそうな表情をしていた。
女性としては背が高めであるマヤを運ぶのは、彼では難しいだろう。
筋力は足りているのだが、体格が足りない。
「はぁ……はぁ……はぁ……。大丈夫です。これくらいで旦那様とのデートを中断するのは、もったいない」
「そんなことを、言ってる場合か! ……とにかく、座って休むんだ。こっちへ」
カインに手を引かれ、マヤが連れてこられたのは広場の噴水前にあるベンチだ。
促されるままに腰かけると、ひんやりとした風が体に当たり心地よい。
マヤの気分は、少し良くなった。
「汗をかいてしまっているな」
「そういえば、喉が渇きました」
「待っていろ。すぐに飲み物を買ってくる」
そう告げると、カインは駆け出した。
「ふふふ……。ウチの旦那様は幼く見えても、けっこう頼もしいわね」
カインが走って行った方向を見やりつつ、マヤはハンカチで汗を拭う。
その表情は辛そうだが、笑みが浮かんでいた。
マヤはこのデートを、本当に楽しんでいるのだ。
体調不良ごときに、邪魔されたくはない。
――しかし、邪魔者は現れた。
「ご気分が、優れないようですね。美しいお嬢さん」
声をかけてきたのは、商人らしき身なりの男だった。
年の頃は、20代半ばといったところ。
旅装ではあるが、衣服は綺麗で生地も上質。
細やかな刺繍も施されているところから、男の経済的な豊かさがうかがえる。
清潔感のある、栗色の髪。
眼鏡の下からは、ハシバミ色の瞳が覗いていた。
香水を付けているのか、強い薔薇の匂いが鼻につく。
線が細い印象だが、かなりの美男子だ。
しかしマヤの心は、全くときめかない。
美ショタな夫と比べると、尊さ不足だ。
「主人と一緒ですので、ナンパなら他所へ行っていただけませんか?」
「これは手厳しい」
眼鏡美男子は、素直に立ち去ろうとした。
ちょうどその時だ。
絹を裂くような、悲鳴が響き渡った。
「きゃああっ! 魔物よー!」
万全ではない体調ながらも、マヤは弾かれたようにベンチから立ち上がった。
振り向けば噴水の中から、巨大な影が這い出てきている。
「巨大スライム……。しかもこの腐臭。生命力も、感じられない。……不死者ね」
通常であれば【死霊術士】の能力により、もっと早く不死者スライムの気配を察知できたはずだ。
しかし今のマヤは、正面から相対してようやく敵が不死者だと気付けた。
相当な不調である。
不死者スライムは、その巨体から粘液の弾丸を撒き散らした。
石畳の地面に着弾すると、ジュッ! という音を立てて穴があく。
酸だ。
群衆の何人かにも、酸弾が命中した。
皮膚を焼かれる痛みに、人々は絶叫を上げる。
不幸中の幸いで、致命傷を受けた者はいないようだ。
ウィンサウンドの住民達は、一斉に噴水の近くから退避した。
しかし小さな女の子が1人、逃げ遅れてしまう。
スライムは体の一部を触手状に変化させて、女の子を絡め取った。
触手は酸ではないようだが、女の子をギリギリと拘束する。
「いやぁあああっ! 誰か、助けてぇえええ!」
マヤは女の子を救出すべく、手をかざした。
死霊の魔導士を召喚し、攻撃魔法を放つつもりだ。
体調が芳しくない今のマヤでも、不死者スライムをあっさり倒せるくらいの魔力は残っていた。
だが――
「……チッ。単細胞生物のくせに、悪知恵が働くわね」
不死者スライムは、捕えた女の子をマヤの前に突き出した。
自らを守る、盾とするために。
高まるマヤの魔力を感知して、危険だと判断したのだ。
「お逃げなさい、お嬢さん。貴女は強い魔力を持つ【魔法使い】か何かなのだろうが、子供を盾に取られては……」
マヤに撤退を促したのは、先ほど声をかけてきた商人風眼鏡美男子だった。
だがマヤは、彼の言葉をスルー。
さらに魔力を高めてゆく。
「まさか……子供ごと……?」
戸惑う眼鏡美男子を横目に、マヤは不敵な笑みを浮かべた。
お読みくださり、ありがとうございます。
もし本作を気に入っていただけたら、ブックマーク登録・評価をいただけると執筆の励みになります。
広告下のフォームを、ポチっとするだけです。




