元帥の部屋
翌朝。
優しい日差しに気が付いて眼を開けた。
「うぅ、ん……?」
今何時頃だろう?
起き上がろうとすると背中辺りの服を掴まれた。
「えっ、ひゃ!」
ぼすん、と勢い良くロアの腕に中に。
「ちょ……ロア!?」
眼が合った。
あまり体調は良くなさそうだ。
「魔力、回復しきってないの?」
無言で頷くロア。
魔力回復をほとんど食事で済ませていたのか……たくさん食べてたもんね。
「今日……お仕事は? そんな状態で仕事できるの?」
騎士の業務は騎兵と変わらない。
街の見回りと鍛錬が主だけど……今のロアには無理な気がする。
「飯食えば何とか……」
「朝ごはん食べに行こうか」
「……ああ」
体調が悪いロアを気遣いながら二人で部屋を出た。
「あ」
「あ」
二人同時に声が出た。
真っ直ぐな廊下、その先に……
「ロアー! ミツキー!」
手を振るレッドとロナントの姿があった。
ちらりとロアの様子を盗み見ると、顔が引きつっていた。
どうやら連れ戻されて治療の続きをするのかもしれない……
「おはよ」
「おはようございます、レッドさん、ロナントさん」
「おはよう」
「……おはよう、ございます……おじい様、おばあ様……」
「ロア!」
レッドに呼ばれ引きつる笑顔をみせるロア。
昨日の治療はさぞつらかったのだろう……後で慰めてあげようかな……
「勝手に帰るとかしたらダメでしょ」
「許可してもらえなさそうだったので……」
「しないよ! 治療の途中だもの!」
「申し訳ありません」
「どうして帰っちゃ……」
帰ってしまった理由を聞こうとしたレッドと眼が合った。
多分、理由はわたしだ。申し訳ない。
ロアを怒って欲しくなくて、しゅんとした表情を浮かべるとレッドとロナントが慌てた。
「ミツキが大変だったから仕方ないよね!」
「こんなので良かったら好きなだけ使ってくれ」
こんなの、と言うロナントの言い方にロアは反論したそうだったが、魔力不足で頭の回転が足りずに眉を寄せただけだった。
「ロア、着替えて」
「……何か食べたいんですけど」
「ダメ、許さん」
「本当に死んじゃいそうなんですけど」
「本当に死ぬ奴は死んじゃいそうなんて言わないから大丈夫」
笑顔のレッドを前にロアは肩を落とした。
魔力漏れってどのぐらいで治るんだろう?
治るまで絶食なのだろうか? 恐ろしい。
着替えの為、ロアはとぼとぼ自室に向かって歩き始めた。レッドは監視なのかロアの後ろを付いて行く。
「ミツキ」
ロアの全てを諦めた背中を見ているとロナントに呼ばれた。
ロナントは何時になく神妙な顔でわたしの事を見つめている。
「少し話をしないか」
「良いですけど……お仕事は?」
「……俺が居なくとも隊は回るように出来ている」
元々は元帥で、今は教官だから居ても居なくても変わらないのかな。
「時間は取らない」
「分かりました」
ロアとレッドを見送って、逆方向にロナントと進んで行く。
「聞いたよ、ミツキもナタリアと同じようにメイドになりたがったと」
「……すみません、ロゼさんのトラウマだとは知らずに」
「良いんだ、ミツキは何も悪くない」
ロナントの横顔を見上げた。
相変わらず綺麗な顔をしている。
「ミツキがこの世界で生きていく決意をしたのは良い事だと思う」
家に帰れなかったと知って絶望していた時、わたしを引っ張って此処まで連れて来たのはロナントだ。
「わたしが働ける場所って、ありますか?」
「……やはり住み込みの仕事になるだろうが、」
ロナントは一度言葉を切って眉を寄せた。
「難しいだろうな」
「……そう、ですよね」
此処で働く事は出来ないし、他の住み込みの仕事ってなると……外出は簡単ではないからロアとなかなか会えなくなっちゃうかもしれない。
となるとロアは反対するだろうな……
「此処だ」
一つ扉の前で立ち止まる。
「立派な扉ですね」
この家からどんな高級品が出て来ても驚かないが、とても立派な扉だった。
他の扉と違い、男性が彫られていて絵画のようだ。
金銀の装飾に色取り取りの宝石が散りばめられている。
「元帥の部屋ですか?」
「今はロゼの部屋だな」
ロナントが一度ノックした。
「ロゼ居るか? 入るぞ」
返事も待たずに豪華な扉を開けた。
鍵はかかっていなかった。
「きゃあ!」
入ろうとして声を上げ、急いで部屋の外に出た。
「なんで開けちゃうんですか」
と言うロゼの声が聞こえた。
着替え中だったのかロゼは上半身裸だった。
見てはいけないものを見た。まだドキドキしてる。
やっぱり引き締まってたなあ……って、こんな事考えてたらロアが対抗して脱ぎそうだ。
「ミツキ、もういいぞ」
ロナントに言われて恐る恐る部屋に入る。
見知った元帥の服をまとったロゼに頭を下げる。
「すみません……裸を見てしまって……」
「不慮の事故とは言え、おじさんの裸はつらかっただろう……すまなかった」
「おじさん……?」
はて、この部屋におじさんなんていませんが……
老いないって、良く考えると異常だと思う。
顔を上げた時、ロゼの隣にナタリアがいる事に気が付いた。
着替えの手伝いをしているのだろう。
「おはようございます、ナタリアさん」
声をかけると、いつもと違う花開くような笑顔が帰って来た。
「おはよう」
「何か良い事でもありましたか?」
「えっ」
ひとしきり戸惑った後、ロゼと視線を合わせてまた微笑んだ。
少女のような幸せな微笑みに、何か良い事があったのだと、わたしまで幸せな気分になれた。
「何でもないの、本当よ」
「そうですか?」
詮索するのは野暮だし、ナタリアが幸せそうだから何でも良いか。
「悪いナタリア、少し外してくれ」
ロナントが言うとナタリアは首を傾げたが言われたとおりに出て行った。
立ち居振る舞いが屋敷のメイドのようだった。
「メイドだった頃の癖が抜けきってないようだが」
「普段はあんな風にしないです。父上だからですよ」
ナタリアがメイドだった頃の当主がロナントだったから、って事かな。
確かにナタリアがメイドっぽいなんて思ったのは初めてだ。
部屋に高そうな机と椅子が四脚置かれていた。
まず何も言わずにロナントが座り、促されてわたしもロナントの隣に座った。
ロゼはロナントの前に座り、
「父上はロアとミツキをどうしたいのですか」
と聞いた。
ロアとわたしを、って……ロナントを見た。
何を考えているか分からないが、眉を寄せていた。
「眷属協議が近いのはお前も十分知っているはずだ」
「口煩い偏屈の集まりですね、分かっています」
「けんぞく、きょうぎ……?」
眷属協議とは。
古くから存在するグラスバルトと血の繋がりのある家々が集まり、アークバルトやグラスバルトの今後を話し合う会議の事。
ちなみに、繋がりのある家は数えきれない程あり、現存する貴族の半分以上がグラスバルトと何かしら繋がりがある。
と、ロナントが教えてくれた。
口煩い偏屈、と言うのは昔の事を重んじすぎている人達の事らしい。
「ミツキ、当家の問題で申し訳ないが……ロアとどうしたいのか、教えてくれないか」
「どう、って……その……」
「ロアと一緒に居たいか?」
それは……一緒に、居たいけど……
結婚とか言われて、少しはその気になっちゃってる所もある。
誰にも言えないけど。
「居たい、です……」
小さな声で俯きながら呟いた。
この世界に来てからロアとずっと一緒だった。
楽しい時もつらい時も一緒に居てくれた。
今更、居たくないなんて言えない。
わたしはこの世界をロアと一緒に生きていきたいから。
「ミツキ、ありがとう」
ロナントに頭を撫でられた。
俯いていた顔を上げると、目尻が緩んだロナントと眼が合った。
「それが聞きたかったんだ」
綺麗な顔に見惚れる。
レッドさんは毎日、こんな綺麗な顔を見てるのか。
「ロゼ、聞いたな」
「はい」
「俺はしばらく隊を休む。いいな」
「構いません」
親子の間で何かが決まったようだ。
ロナントの話したい事は終わったらしく、早々に席を立った。
「ああそうだ」
部屋を出ようとしたロナントが振り向く。
「ロアは3番隊で預かるとレッドが言っていた」
「治療は進んでいますか?」
「少なくとも後数日はかかるな」
「分かりました。治るまで好きにして良いと母上にお伝えください」
分かったと片手を上げてロナントは部屋から出て行った。
二人きりになってしまった部屋で、ロゼを見た。
あまりロゼとロナントは似ていないと思っていたが、本当は良く似ている事に気が付いた。
髪の色と瞳の色で印象が大きく変わるから、だろうか。
「あの……ロゼさん、さっきの会話を全く理解できなかったんですけど……」
「そうだな、すまない」
「ロナントさんは何をするつもりなんですか?」
教官としての仕事を休んで、何をするつもりなんだろう。
ロゼが溜息を吐いた。
「眷属協議でロアとミツキの結婚は……あまり喜ばれないだろうと思われる」
「えっ……?」
「ロアが結婚する事は喜ばれるが………ミツキ」
「は、はい」
「顔が強張ってる。話を聞いてくれ」
ロアが結婚する事は大喜びだが、わたしとの結婚には反対をする。
理由は簡単、わたしがこの世界の貴族では無いからだ。
グラスバルトは一目惚れが多い家系で、妻となった女性の中には勿論平民出身もいる。
どうして駄目なのだろう。
「わたしがこの世界の人間では無いからですか」
「違う、ミツキが原因では無い」
ロゼが言いにくそうに顔を歪め、言葉を切った。
「この家は父の代から妻が貴族では無いからだ」
つまり、ロナントの妻レッドは平民で、ロゼの妻も平民、と長らく貴族を娶っていない事に反発されるだろうと言う意味で……
「ナタリアさんって、貴族じゃないんですか?」
ナタリアの上品な立ち居振る舞いは明らかに貴族だと思ったのだけど。
「いや、ナタリアは貴族だ」
「じゃあ、どうして」
「ナタリアは実家と縁を切っている。貴族だと名乗れないんだ」
ナタリアは生家を嫌っていてすでに家の名は捨てていた。
ロゼと結婚したのは名を捨てた後で、平民として扱われた。
次の当主であるロアも平民を娶るとなると厄介な事になるかもしれない。
「厄介な事?」
「これ以上連続して平民の血を入れるならばそれはもう貴族では無いと、ロアを廃嫡し他の優秀な子に跡を継がせると議会で決まりかねない」
「ロア以外に次の元帥が務まる人が居るんですか」
「居るはずがない。次の代で元帥となるべく教育を施したのは、ロアだけだ。だが、連中は聞く耳を持たないだろう」
なんだか面倒な事になってきた。
そんなに簡単に廃嫡って……
ロアとずっと一緒に居るのは意外と大変みたいだ。
「わたし……ロアと一緒に居たいです」
「父上が俺の代わりに動いてくれる。悪いようにはしない、安心していい」
「我が儘を言っているようですみません……」
ロゼが首を傾げた。
「我が儘なのはロアの方だろう。ミツキの事を手放せないのだから」
言われて少しだけ楽になった。
二人が行動するのは、わたしの為だけでは無くロアの事が大きいのだと感じた。
「俺もそろそろ行かないとな……」
立ち上がろうとするロゼにある事を思い出して頭を下げた。
「ロゼさん、昨日の事すみませんでした」
知らなかった事とはいえ、人のトラウマを刺激する事をしてしまった。
もう二度と絶対に言わない。
「……ああ」
ロゼから気の抜けたような声が出た。
「俺の方こそ怒鳴って悪かった。何かやりたい事があったら遠慮なく言って欲しい……メイドだけはやめてもらいたい」
「もう言わないです」
「……そうか、安心したよ」
薄く笑うロゼを見て、安心して微笑んだ。
部屋を一緒に出た。
廊下にはセレナが待機していた。
ロゼを見送った後、セレナと一緒に部屋に戻った。
ロアとゆっくり話したいけど……治療が終わるまで待つしかないか。
紅茶を淹れてくれるセレナを見ながら、これからの事について考え始めた。




