外堀
「早朝、旦那様から通達がありました」
「どんな?」
「ミツキ様を当家に入れるとお決めになられました」
よく分からなくて首を傾げた。
ロゼがわたしをグラスバルトに入れる?
「二つの意味があるかと思います」
一つ目は、わたしを養子にすると言う意味。
二つ目は、わたしをロアの妻として迎え入れる、と言う意味。
「な……ええ?」
「察するに、後者だと思われます」
「わたしそんな、結婚とか……」
「分かっております、時期尚早である事は旦那様も分かっておいでです」
「じゃあ、どうしてそんな」
聞くとセレナは言いにくそうに黙った。
「……旦那様は準備をしろと言っておられました」
「何を?」
「ミツキ様を迎え入れる準備です」
「………」
「坊ちゃまとミツキ様の御関係がそこまで熟していないのは重々承知しております。ですので、裏で……少しずつ進めていく予定でした」
「どうして、突然……」
ロゼはそんな事を言い出したのだろうか。
立場的にロアは今すぐにでも結婚した方が良いのは分かる。
十中八九、結婚相手にわたしを指名するだろうけど……
裏で少しずつ準備するって言うのも……引っ掛かる。
「ミツキ様には帰る家がありません……居場所を早々に作って差し上げたかったのではないでしょうか」
「確かにもう家に帰る事は出来ません……でも……」
居場所を勝手に作るって言うのも、すごく変だ。
わたしは、自分の居場所は自分で決めたい。
セレナの必死の説明に疑問はいっぱいあったのだけど、ロアはわたし以外を側に置くつもりは無いと言ったらしく、わたしが断りでもしたらグラスバルト家の事情を考えるとロアは誰とも結婚できなくなる。
わたしの事を必死に引き留めるのも、仕方ないと分かってはいるが……
「わたしは此処を出て行くつもりです」
「何故ですか!」
「落ち着いてください。ロアとは今まで通り会います。拒む事はありません」
理想で言うならば、外に出て一人で生活したい。
それからロアと逢ったりするのは構わない。
「ロアと対等で居たいんです。このままだと、わたしはロアを満足させるだけの存在になってしまいます。わたしはロアと結婚するだけの為に生まれてきた訳では無いから……」
ロアと対等で居るなんて、恐らくは無理だ。
家柄も血筋も何もかもロアの方が上。わたしは異世界からの訪問者、持っているのはこの身一つだけ。
「ミツキ様が自立したいと申されるならば、私はそれを応援したいです……ですが、ミツキ様は魔力を持っておられます」
「分かっています、魔力のせいで此処から出て行けない事は……」
安易に外に出て、また連れ去られたりしたらロアに迷惑がかかる。
この世界では、わたしが働ける場所が限られてくる。
「わたしが働ける場所に心当たりは有りませんか?」
「住み込みの仕事しか思いつきません……私と同じような職です」
外を出歩かずに働ける職は限られてくる。
まさか通勤が危険な行為になる日が来るとは。
セレナと同じ……セレナと同じ……?
「ねえ、セレナさん。話しにくい事を聞いても良い?」
「何でしょうか?」
「お給料ってどのぐらい貰ってる? 外に出られないけど、使い道は?」
セレナは少し迷ってから教えてくれた。
お給料は一般的な額を貰っている。そこから毎日の食費が引かれる。
残ったお金の使い道は、グラスバルト邸に定期的にやってくる商人が居て、そこで買い物をする。との事だった。
外には出られないが生活自体に不満は無いと語る。
「メイドになるために必要なものってある?」
「下級メイドなら誰でもなれると思います。掃除と洗濯担当になります」
「………」
「あの、ミツキ様……?」
「セレナさん、わたしも……」
メイドになれるかな。
呟くと、セレナが目を見開いた。
「掃除も洗濯も出来るし……ダメかな?」
「そんな! ミツキ様にそんな事……!」
「だって、此処から出してくれる気が無いんでしょ?」
「それは……」
「タダでご飯食べるのも忍びないし……迷惑になりたくないの」
「いずれミツキ様は坊ちゃまの妻となられる方です、メイドの真似事など……」
「今は妻じゃない。ただの一般市民だよ」
ロアがわたしを手の届く場所に置いておきたい気持ちは分からないでもない。
だからと言って、おんぶにだっこじゃあいけないと思う。
「どうしたらこの家のメイドになれる?」
「……旦那様にお願いするしか無いかと」
「そっか、分かった」
この件について色々話したいし、身の振り方を考えておかなきゃ。
セレナは目を伏せ、落ち込んでいる様子だ。
わたしにメイドになって欲しくないのかもしれない。
「わたしの事、色々と考えてくれてありがとう」
「………」
「結婚の事、もう少し時間を下さい……まだ考えられないから」
ロアとは何度も言うけど恋人ではない。
いきなり結婚だ、なんて言われて混乱している。
セレナも時間が必要な事は分かっていたようで、渋々ながらも頷いた。
「どうしてババさんは結婚を急がせるような事を言ったのですか?」
迎え入れる準備は裏で少しずつ、とセレナは言っていた。
理由があるのだろうか?
「ババ様は……恐らくですが……」
口癖のように、死ぬ前に坊ちゃまのご結婚が見たい、と言っていた。
既に高齢で、自分がいつ死ぬか分からないからだ。
そんな折、ロアがわたしを連れて帰って来た。仲睦まじい様子を他のメイドから伝え聞き、念願が叶うとなった。
最近、ババの願いが変わった。
「坊ちゃまのお子が見たいと言っています」
「こども……!?」
「はい……いつになるか分かりませんから、時期を早めようと……」
結婚の先にあるものを見たいのか……何と言うか……欲深だ。
それにしても子供か……いや、わたし自身が子供みたいなものだし……
危うく手を出されかけた事は何度もあるけど。
「ここのメイドって、そんな事ばかり考えてるの?」
「いいえ、ババ様が少し特殊だからだと思われます」
「特殊?」
「はい。ババ様は……最初は、ロナント様の乳母として勤められました」
「乳母!?」
あんなしわしわのお婆ちゃん……そっか、60年以上前の話だよね。
ババ自身の子供は生まれたと同時に亡くなってしまった。
乳は出るが子供がおらず、子供が亡くなってしまった事で夫に捨てられたそうだ。
そんな中、乳母の求人を見つけこの屋敷で働き始めた。
乳母としての役目を終えても、ロナントの世話係として残った。
「ロナント様の事を本当の子供のように思っていらっしゃいます」
「だから、ロアの子供が見たい……?」
「子孫が繁栄し、続いて行くのを見届けたいのだと思います」
理由は分かったが、まだ心の準備が出来ていない。
ロアと結婚する決意も、グラスバルトへ嫁に行く気概も持ち合わせてはいない。
それにしても……ロナントの乳母か……
幼少期のレッドを知っているのかな。
「そう言えば、ババさんに試されたみたいなんですけど……」
杖を突いて、よろよろ歩いていた。
今ならあれが演技だと分かるけど、どうしてそんな事をしたのだろう?
「あれは……私も初めてこの屋敷に来た時にやられました」
「えっ?」
「思いやりを持っているかどうかの試験だと言っていました」
「どうしてそれをわたしに?」
「勘ですが……ババ様は坊ちゃまの隣には心根の優しい女性が似合うと思われているのではないでしょうか」
ロアが母親の事に思い悩んで家を飛び出してしまうくらい、優しいから。
優しい事ぐらい、わたしだって良く知っている。
「わたしは試験に合格したって事でしょうか……?」
「すぐにでも当家に入って欲しいと思うぐらいには」
それを聞いて俯いた。
気持ちの整理がつかない。どうしたら良いのだろう……
ロアと会って、話がしたい。
わたしの事、どうするつもりなのだろう。
「今日、ロゼさんはいつ頃帰ってきますか?」
「日程通り終える事が出来れば、夕方には」
「そうですか……」
取り敢えず、ロゼと話をしよう。
メイドになれるかはロゼの反応次第だ。
それから……ロアの相手がわたしで良いのか、ちゃんと聞いておきたい。
セレナは本当に沈んだ表情をしている。
はっきりとこの家から出たいと言ったのが不味かったかな……セレナの対応が悪いから出て行きたい訳では無いのだけど……
フォローしておこうと口を開きかけた時、扉がノックされた。
部屋に入って来たのはサラだった。
「ミツキ様、奥様が体調がよろしければお茶でも飲みませんかと」
「あ……うん、じゃあ……」
「行かれますか?」
「うん……セレナさん、案内してくれる?」
「はい」
暗い表情のまま、セレナが先導して廊下に進んだ。




