帰る場所
読んでいる途中で手が震えた。
死んだ? わたしが?
この体が、女神に作られたもの……?
震える手に触れる。
元の肉体は、元の世界に……
「ミツキ……?」
隣に座っていたロナントと目が合った。
「あ……わたし……わたし……」
わたしは死んだ。
あの時あの瞬間。
高速道路、トラックに突っ込まれて。
アスファルトに投げ出され、まともに動けずただ月明かりを眺めていた。
まだ死にたくない、そう思っていた。
「わたしは……死んだ……わたしは、」
此処に記されている事が本当ならば……
あの事故で死んだのは、わたしだけ。
死んだ肉体が残っていると言うならば、家族はわたしの葬儀を執り行っただろう。
事故で死んだ、可哀想な高校二年生として。
「ミツキ! ……ミツキ!」
大きくて温かな手がわたしの手を握った。
「しっかりしろ。真っ青だ」
体はブルブルと震えていた。
「ミツキ」
レッドもわたしの手を握った。
それでも震えは収まらなかった。
「ああ……あぁあ……」
わたしは死んだ。
家族はもう、わたしを待っていない。
「はっ、はっ、ああ……」
呼吸が浅くなる。どうしたら良いのか分からない。
わたしにはもう、帰る場所が無い。
「あ、あ……あああぁあぁあ!!!」
叫んだ。
自分でも驚くぐらい、大きな声だった。
何も見たくないと顔を覆った。
涙がとまらない。
わたしは死んだ。家族は待っていない。帰っても困らせるだけ。
「わたしは今まで何のために……!」
帰りたくて此処まで来た。
何か方法が無いのかと。
けど結局……方法は無かった。それどころか帰った所で行く場など無かった。
わーわー泣いた。
もう二度と会えない家族と友達の事を思い出していた。
顔を覆って泣き続けるわたしを二人はずっと悲しそうな目で見ていた。
「……ねぇおじさん、これには何が書いてあるの?」
少しだけわたしが落ち着くと、レッドが村長に聞いた。
「それは初代村長の日記。内容は代々村長を継ぐ者だけに伝えられるものだよ」
「じゃあ、ずっとずっと前のご先祖様の日記って事?」
「全ての風の民のルーツが記されている。混乱を招かないためそう簡単には教えられえないんだ」
「……教えてくれない?」
「今回は特別に教えるけど、無闇に広めないでくれよ?」
語りだそうとし始めた村長に耐えられず、席を立った。
もう聞きたくなかった。
「少し……外の、空気を……吸って、きます……」
そのまま飛び出した。
何も考えたくなくて走った。
死んだ。
その事実だけが重く覆いかぶさって来る。
わたしの体だと思っていた物は、実は作り物だった。
肌の感覚も、髪の質感も、ほくろの位置も同じなのに。
涙で前が見えず、つまずいて転んだ。
擦りむいた膝から血が滲み始めた。
痛みだって血だって出るのに……この体は生きているのに。
ふらふらと歩き始める。
ずっと胸が苦しい。空気が上手く吸えない。
どうしたら楽になれる? どうしたら……
*****
あてもなく村をうろついた。
どのぐらい時間が経っただろう。
村の端まで来てしまった。
その先には山道が続いている。
虚ろな目で豊かな山を見上げた。
どうしたら良いのか分からなかった。
わたしはこの世界に居ても良いのだろうか。
違う世界から来た上に、作り物の体。
胸がずっと、苦しい……
「……そう、だ」
わたしは死んでこの世界に来た。
なら……もう一度死ねば、帰る事が出来るのだろうか。
死ぬ事に痛みが伴う事は分かっている。
出来れば痛い事はしたくない。
でも止まれない。
山に向かって歩き始めた。
「あっ……」
後ろから腕を掴まれ、振り向いた。
「何処に行くつもりだ」
綺麗に整った顔に、宝石みたいな妖しい光を持った緑の眼。
「ロナント、さん……」
「その先は危険だ。熊が出る」
「………」
「帰ろう」
わたしはロナントの手を拒んだ。
ロナントは眉を寄せ、わたしを見遣った。
「君がどう言った経緯でこの世界に来たか理解した」
「……」
「つらい気持ちも全てでは無いが分かっているつもりだ」
「わたしは……」
違う、ちがう。
わたしは気持ちを理解してほしいんじゃない。
「どうしたら良いのか……分からないんです……」
今までずっと家に帰る事を目標にしてきた。
ロアはわたしの事を家に帰すって、自分がつらくなるって分かっていた約束をわたしにしてくれた。
わたしが弱くて、脆くて、約束しないと壊れてしまうって分かっていたからだと思う。
わたしは弱い。
目標を失った今、どうしたら良いのか分からない。
「自ら命を絶つつもりか?」
「……」
「やめておけ。そんな事をしても意味は無い」
「意味が、無い……?」
「日記を読むのが途中だったろう。その先に書いてあるらしい」
真実を知った村の住民の何人かが命を絶っていた。
死ねば元の世界に行けるだろうと。わたしと同じ考えで。
その夜に日記の主の夢の中に女神が現れる。
そこで死んでも元の世界には行けない事と、作ったとはいえ今の肉体は元の物と全く同じである事が女神の口から語られた。
「その後、日記の主は同じ境遇の女性と再婚し子宝に恵まれる。その子孫の一人がレッドだ」
「わたしも同じように結婚して子供を産めって言うんですか!?」
「そんな事は自分で決めろ。結婚するしない子供を産む産まない、ミツキの自由だ」
「なら此処で死ぬのも、わたしの自由ですよね」
勢いよく両肩を掴まれ、小心者の心が怯えた。
ロナントの顔を見上げると、怒りとも悲しみとも取れない表情に体が固まった。
「そう簡単に死ぬと言うな!」
顔を見つめたまま固まる。
「生きたくても長く生きられない人を蔑ろにするつもりか! ナタリアを思い出せ!」
病に侵されて、もう長くないと死期を悟っていたナタリア。
病床の姿を思い出した。
「ナタリア、さ……」
「此処で死んだら、ロアはどうするんだ」
「……」
「ロアにミツキは死んだと報告しろと、そう言うのか」
その場にへたり込んだ。
此処に来る前、ロアと約束した。
帰る方法が見つかったとしても、帰って来る、と。
「うっ、うぅ……ろあ……うぅう」
涙が溢れて止まらなかった。
溢れた大粒の涙は頬を伝って地面に落ちて染みを作った。
わたしには帰る場所など、もう無いと思っていた。
ロアの所に帰るって、約束、したから。
わたしにはまだ帰る場所がある。
その事に気が付いて、しばらくその場で泣き続けた。
ロナントはわたしの隣に座って背中を撫でてくれた。
途中で転んだ時に出来た膝のすり傷に気が付いて治してくれた。
「落ち着いたか?」
しゃっくりをしながら頷いた。
「悪かった。老人の口煩い説教は聞くに堪えなかっただろう」
首を左右に振った。
その様子を見たロナントが少しだけ笑った気がした。
「昔、この国で戦争があったんだ。知ってるか?」
ロアから聞いた事がある。頷く。
「元帥ってのは司令塔だ。強いけれど守られる対象なんだ」
「………」
「目の前で死んだ人間を見た事があるか? 無いだろう? あったら死にたいなどと言えるはずがない」
「………」
「俺は……国の為に生きるつもりだ。国の為に死んでいったあいつらの代わりに」
ロナントは戦争を経験している。
だからわたしの死にたい、の発言が許せなかったのかもしれない。
「ミツキー! ロナントー!」
レッドが風馬を二頭連れて現れた。
「ごめん、最後に父さんがミツキに会いたいんだって」
「わ、たし、に?」
まだ声が震えているが何とか話せそうだ。
風馬に乗り込んでまた村長の家の前まで戻った。
英雄、オーランドはとても目立つ存在だった。
「よう、ミツキ」
「こんにちは、オーランドさん」
「実は聞きたい事があってな」
背の高いオーランドを見上げる。
見れば見るほど、レッドと似ていない。
あ……一番似てるのはロゼさんかな? ロアもちょっと似てる。
「ロアの事、どう思ってるんだ」
オーランドは真面目な表情だった。
どう……どうって……?
「ああ、いや。スマン」
「?」
「ロアがミツキの事が好きだと聞いていてもたっても居られず……」
どうやらレッドがオーランドに言ったらしい。
わたしが答えにくい話題な事も分かっている様子。
「ロアの事、好きです」
「なに?」
「そう言う意味です」
言ってしまった、けれど心が軽くなった気がした。
わたしはこの気持ちにあれこれ考えず真っ直ぐ向き合って良いんだ、と楽になった。
「う、うおおお」
「えっ、ひゃっ!?」
オーランドの腕が伸びてきた、と思うと体が宙に浮いた。
「わわっ、わあっ」
「今日は良き日だ! がっはっはっはっはっはっ!」
肩車された。
英雄の肩は広いな、って感心している場合では無い。
肩車してもらったのって、いつ以来だろう?
「父さん! 下ろしてあげて!」
「はっはっは! むう、名残惜しい」
レッドが指摘すると簡単に下ろしてくれた。
はあ、良かった。
「じゃあ父さん、今度は王都でね」
「おう、皆によろしく言っておいてくれ」
「まかせといて」
先にロナントが、次にレッドがそれぞれ風馬に乗り込む。
ロナントが手を差す出すので、取ろうとした時声がかかった。
「ミツキ!」
「ミツキ」
シェルアとリリアだ。
ロナントとレッドに少し待ってくれるように言ってから二人に走り寄る。
「帰るって聞いて急いできた」
「私もすっごい急いだんだから!」
「ごめん」
そう言えば二人には今日帰るって言ってなかったか。
謝るとシェルアが大きい布の袋を差し出して来た。
「なにこれ?」
「納豆とか」
「えっ!? 納豆!?」
袋の中には、納豆、醤油、味噌、米、が入っていた。
「泣きながら食べてる奴、ミツキぐらいだろう? やるよ」
「わたし、何もお返しできないけど」
「いいさ、祭り楽しかったし」
シェルアが微笑むのでわたしも笑った。
次にリリアが小箱を渡して来た。
「これは?」
開けると、中には風の民が付けているネックレスと同じ硬い木を平べったく丸く削った物が入っていた。
「後で好きな色を付けてね!」
「え……でもこれ……」
「ミツキはもう私達と同じだもの! 何時でも帰って来てね!」
これを削るのに時間がかかったらしい。
試しに首から下げてみた。
「似合うわ、普段は服の中にしまって置くと良いわよ」
「ありがとう」
「ミツキが幸せになれるようにおまじないしておいたから!」
服の中にしまったペンダントは、硬かったけれど軽かった。
二人にもう一度お礼を言った。
「リリア、シェルア、ありがとう」
「また納豆食べに来い」
「今度はミツキの好きな人と来てね!」
たった一日なのに、こんなにも別れが名残惜しいなんて。
ロナントの手を借りて風馬に乗り込む。
「バイバイ! またね!」
リリアとシェルアに手を振った。
風馬が走り出した。次第に風に乗って浮き始める。
「ミツキー! 元気でねー!」
元気なリリアの声を最後に、風を切る音しか聞こえなくなる。
風圧に耐えられず目を閉じ、開くと既に風の村は小さくなってしまっていた。
また風の村に来たい。
今度は、ロアも一緒に。




